「自分らしい生活をしたい」47歳のALS患者があえて独居生活に踏み切った理由 #病とともに
今日、6月21日は、「世界ALSデー」。
「家族には負担をかけたくない。でも、自分らしく暮らしたい」。治療法がない難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の飯島伸博さん(47)は、半年前から名古屋市北区のマンションで「ひとり暮らし」を続けている。人工呼吸器をつけている飯島さんは、それまで看護師やヘルパーが常駐する施設で暮らしていた。安心ではあっても、行動には制約がある。そんな飯島さんが求めるようになったのは、家に客を招き入れたり、好きなときに外出したりする自由。生活に関することを、すべて自分で決められる生活だ。もちろん、ALS患者のひとり暮らしにはさまざまな困難が伴い、一般的だとは言えないのが現状だ。「健常者にとっての『当たり前のこと』を多くのALS患者が手に入れられる社会にしたい」。ヘルパーの助けを24時間借りながら、家族と離れてひとり暮らしを続ける飯島さんの「野望」とは。
**「お互いのためにシェアハウスは必要だった」
飯島さんがALSを発症したのは2013年。父が経営する自転車店で働いていた時に、工具をうまく握れなくなっていることに気がついた。病院で診察、検査を受け、ALSであることがわかった。ALSは手足や顔などの筋肉を動かす神経が次第に衰えて、力がなくなっていく難病だ。呼吸のための筋肉もやせていくため、最終的には人工呼吸器をつける必要がある。
妻・由加里さん(51)との間に生まれた2人の子どもは、まだ4歳と1歳半だった。
「幼い子ふたりを抱えながら、家事と自分のケアをするのは大変。こんなことになってしまって妻には申し訳ないと思った」
妻の負担を考え、自宅と飯島さんの両親と妹が住む実家を1週間交代で行き来して、家族によるケアを受けることにした。だが、飯島さんの病状の進行は思いのほか早く、由加里さん1人で飯島さんを抱えてトイレに行くこともすぐに困難になった。両親や妹の負担も、大きくなる一方だった。
そんな時、飯島さんは介助を受けていた看護師からALS患者のシェアハウスでの生活を提案される。「これで家族や実家の負担を和らげられる」。そう考えた飯島さんは、自宅を出ることを決断する。由加里さんは当時を次のように振り返る。
「子育てで手一杯だし、家で自分ができるケアも限られている。私も夫も、笑顔でいられないことが多くなっていました。良い関係を保つため、お互いのため、シェアハウスは必要でした。『慣れ親しんだ看護師さんもいるから安心だ』と考えたりしていましたが、今思うと自分のためだったのかもしれません」
**気持ちは施設の外へ
その後、シェアハウスに誘ってくれた看護師がALS患者のための居住施設を新たにつくり、飯島さんも2019年にそこに移った。約10人のALS患者が入る施設は、看護師と介護ヘルパーが常駐し、個室も完備。災害時の電源も確保されていた。恵まれた環境ともいえたが、体調が安定するにつれ飯島さんの気持ちは施設の外に向かっていった。
「確かに施設内には常に誰かしらヘルパーさんがいます。ただ、全ての患者にずっと付き添っているわけではありません。人員配置の関係で、どうしてもスタッフが不在になる時間帯が生じます。介護者の確保は難しく、慢性的な人手不足でした。たんの吸引など急を要する時に、新しく入ったスタッフに文字盤を通じて状況を説明しなくてはいけないのに、コミュニケーションがうまくいかないこともありました。そんな状況を変えたいと思い始めました」
2020年からのコロナ禍の影響も大きかった。基礎疾患のあるALS患者は、施設の判断で面会や外出が大きく制限された。好きなミュージシャンのコンサートに行く頻度が減っただけでなく、家族に会うことすらままならないのは、大きなストレスだった。
それでも、自宅や実家に帰るという選択肢は飯島さんの頭の中にはなかった。その理由は二つあったという。
「ひとつは、自宅や実家で暮らす場合、車いすを出し入れするために改装工事が伴うということです。費用もかかりますし、何より家族の生活に不便が生じてしまう」
「もうひとつは、不特定多数の人間が自宅に出入りすることが、家族のストレスにつながってしまうのではないかということでした。訪問診療の時は医師と看護師、訪問入浴の時は入浴介助スタッフ、リハビリの時は理学療法士。彼らが毎週、定期的に家に訪ねてきます。また、ヘルパー1人は24時間ひとときも欠けることなくケアにあたります。こうした外部の人の往来や滞在に、家族が気を遣うことを心配しました」
飯島さんはヘルパーに頼りながら、マンションで一人暮らしすることを決断した。
**ひとり暮らしのために乗り越えなければいけない「壁」
日本にはALS患者が約1万人いる。そのうち人工呼吸器をつけている人は2〜3割程度だとされる。いったん気管切開して人工呼吸器をつけると外すことはできず、最終的には寝たきりになる。自分で声を発することや身の回りのことができなくなるため、人工呼吸器をつけない選択をするALS患者は多い。人工呼吸器をつけた患者は、家族と自宅で暮らすか、ALS患者専用の居住施設で過ごすケースがほとんどで、ひとり暮らしを選ぶ人は限られている。ひとりで暮らすには、乗り越えなければならないいくつもの「壁」があるからだ。
まず大きいのは、障害福祉サービスの重度訪問介護のために時間数を確保すること。重度訪問介護は重度の肢体不自由で常時ヘルパーを必要とするALSや筋ジストロフィーなど難病の患者が利用できる。しかし、地域差も多く必要時間数の申請をしても行政はすぐに許可を出さないケースもあるという。
もし時間数が確保できたとしても、今度はヘルパー確保の問題が出てくる。ALS患者をケアするには、吸引や胃ろうなどの医療的ケアが必要になる。喀痰吸引研修なども行われているが、有資格者が在籍する介護事業所もまだまだ少ない。都市部から離れれば離れるほどヘルパーの確保がより難しくなる。
その次にぶつかるのが、「ALS患者が住める家を見つける」という大きな壁だ。住むためには、車椅子が出入りできるスペースがあるのが条件だ。よさそうな物件を見つけても、実際に出入りできるかどうかは内見しなければわからない。まずはそのために不動産業者に掛け合う必要がある。内見をへて希望の物件が見つかっても、患者が住むことを家主が認めてくれなければ、賃貸契約は結べない。
さらに、暮らしを安定させるにはさまざまな費用がかかる。飯島さんは、こうしたさまざまな壁を乗り越えて、ようやくひとり暮らしにこぎ着けたのだ。
ALSはいまだ治療法が確立されておらず、日常生活を送ること自体が困難だ。そんな中でひとり暮らしを続けている飯島さんを、ほかのALS患者やその家族の多くは「特別な存在」とみなしているという。
しかし、飯島さんを8年にわたってケアしているヘルパーの今田ゆかりさん見方は違う。
「飯島さんのようにALS患者でも独居ができることを示せば、独居が当たり前になっていく。独居を志す人が増えていくことで、行政からの支援もスムーズに行われていくはずです」
**娘のバイオリン発表会
飯島さんがひとり暮らしを準備中のマンションの部屋に、父・敏夫さんが手作りのスロープを持ち込んだ。玄関と台所にある段差を埋めるためだ。敏夫さんは得意の日曜大工の腕を振るったが、サイズが合わずに苦笑い。とにもかくにも、新生活の始まりだ。
「施設には常に誰かしら居るから安心ですけど、ひとり暮らしだと、もしヘルパーさんが来られないときがあったりしたら」と敏夫さんは心配する。それでも、飯島さんから実家にあるオーディオセットを運んでほしいと頼まれれば、仕事が休みの日によろこんで運ぶ。心配しながらも息子のひとり暮らしを応援しているのだ。
新居で迎えた初めての日曜日。飯島さんは、新居と同じ名古屋市北区にある約300人収容の劇場に市営バスで向かった。お目当ては、小学5、6年生になった娘・加奈さん(11)のバイオリン発表会。バイオリンは、飯島さんと由加里さんがともに親しんだ楽器でもある。
車椅子の上で、加奈さんの演奏に聴き入る飯島さん。「第一印象は、『しばらく見ない間に上手くなったな』と。 子どもの成長を見られることが、生きていて良かったと思える瞬間のひとつ。 本当に幸せなひとときでした」と振り返る。
**離れて暮らす家族とともに
飯島さんは、自宅にいる由加里さんとは毎日連絡を取り合い、子どもたちともSNSで近況を伝え合う。もちろん、一緒に生活できない寂しさがないといえばうそになる。それでも、「妻や子に負担をかけていない」という思いが飯島さんの心の負担を軽くしている。
ひとりで暮らすようになって、外出も気兼ねなくできるようになった。施設にいるときは、外出手続きをして、対応できるスタッフを2人確保するためにシフトの調整をしてもらわなければならなかった。事前に予約した介護タクシーを使う必要があり、障がい者割引を使っても高額になるため、思うように外出できずにいた。今は障がい者割引を使えば100円で最寄りのバスターミナルから名古屋市内へ自由に出かけられる。
これで飯島さんの行動範囲は広がり、外出の回数も増えた。それに伴って、今までやってこなかったことを積極的にやってみようという気持ちも芽生えてきた。
ひとり暮らしを始めてから半年。飯島さんの次なる「野望」は、介護事業所を自分の手で開設することだ。飯島さんが知るALS患者の先輩の中には、すでに事業所を立ち上げ、ヘルパーを雇っている人もいる。
介護事業所を開くのは、自分の暮らしや生活環境を整えるためだけではない。ほかの患者のヘルパーが足りないときには、手助けできる可能性もある。患者家族の負担が減っていけば、「人工呼吸器をつけて生きる」という選択をする人ももっと増えるはずだ。
飯島さんの野望への挑戦は続く。離れて暮らす最愛の家族とともに。
企画・撮影・編集 近藤剛
プロデューサー 細村舞衣
本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。
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