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マスターズ制覇の松山英樹は、なぜ震える2度の瞬間を乗り切ることができたのか

舩越園子ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学・客員教授
(写真:ロイター/アフロ)

 松山英樹のサンデーアフタヌーンは震えるスタートから始まった。

 1番の第1打をいきなり大きく右に曲げてボギー発進。2位との差は、4打から1打に縮まった。

 緊張で硬かった表情は、さらに硬くなった。しかし、2番のバーディーと3番のナイスセーブで、彼は自分を取り戻し始めた。そうやって最初の山を自力で越えたことで、勝利にまず一歩近づいた。

 そこから先は淡々とパーを拾い、8番、9番の連続バーディーで5打差へ抜け出した。

 しかし、震えそうな瞬間は、終盤にもう一度、訪れた。同組のザンダー・シャウフェレが4連続バーディーで迫り、15番でボギーを喫した松山とは2打差へ。

 だが、シャウフェレは16番で池に落とし、トリプルボギーで自滅した。他選手も追い上げられず、すでにホールアウト。

 それは、スコアを伸ばせなかった他選手たちが松山を楽にしてくれたのではなく、松山の群を抜く着実なプレーぶりが、他選手たちを圧倒し、抑え込んだ結果だったのだろう。

 何が松山をマスターズで勝利させたのか。ずばり勝因は何かと問われたら、彼がこの日、そうやって震える2度の瞬間を見事に乗り切ったからである。

 それならば、なぜ彼は2度の山を乗り切ることができたのか。そう問われたら、「一言では言い尽くせない」と私は答える。

【大波、小波】

 思えば、松山英樹が米ツアーに挑み始めた2013年ごろ、米ゴルフ界はジョーダン・スピースに沸いていた。

 そのスピースがバッバ・ワトソンと熱戦を繰り広げた末に惜敗した2014年マスターズで、松山はあえなく予選落ちして姿を消した。

 翌2015年マスターズで松山は最終日に66と猛追をかけたが、グリーンジャケットを羽織ったのは、圧倒的な強さで通算18アンダーをマークしたスピースだった。

「差がありすぎた。追いつけなかった。後悔ですか?勝てなければ(悔いは)残ります」

 それでもマスターズ自己最高の5位になったことは「すごくうれしい」と彼は言っていたが、以後、今年の大会を迎えるまで、松山がマスターズでそれ以上の順位になったことはなかった。

 その後、スピースは全米オープンでも勝利を挙げ、2017年には全英オープンも制してメジャー3勝の大物へと飛躍。しかし、その後はスランプに陥り、優勝争いにも絡めない日々を、つい最近まで送ってきた。

 松山より一足早く米ツアーにデビューしたリッキー・ファウラーは、松山が参戦開始したころには、すでにアメリカの国民的スターになっていた。

 そのファウラーと死闘を演じた2016年フェニックス・オープン最終日、松山は大観衆を敵に回す完全アウェイの中で見事に勝利を挙げた。そんな松山にファウラーは悔しさを噛み締めながらも「ヒデキ、またやろうな」と再戦を挑む声をかけた。しかし、それは実現しないまま、ファウラーもスランプに陥り、今年のマスターズには出場することもできなかった。

 スピースからやや遅れてデビューしたジャスティン・トーマスは、やがて松山と頻繁に勝利を競い合うことになり、ことごとくトーマスが勝利を奪っていった。中でも2017年全米プロは、トーマスが笑い、松山が悔し泣きをした忘れがたき大会となり、スターダムを駆け上がったトーマスは世界ナンバー1にも輝いた。今年始め、試合中に口走った言葉が差別的だと批判され、トラブルに陥って意気消沈していたが、3月のプレーヤーズ選手権を制して息を吹き返した。

 スピースはマスターズ前週のテキサス・オープンを制し、3年半ぶりの復活優勝を飾ったばかりで、誰もが大きな大きな山や谷を登ったり下ったり、目まぐるしい激動の日々を過ごしてきた。

 それならば、松山が過ごしてきた日々はどうだったのかと言えば、2014年メモリアル・トーナメントで早々に初優勝を挙げ、2016年は年間2勝を挙げた。2017年にはフェニックス・オープン連覇を果たし、8月のブリヂストン招待を制して通算5勝目を達成。松山の日々も激動だった。

 そして、2017年全米プロで初のメジャー・タイトルをほとんど掴みかけ、しかし、勝利は彼の手から滑り落ちていった。

 あの2017年の激しい夏以降、松山は勝てなくなった。

 周囲では激動が起こり続け、タイガー・ウッズは2019年のマスターズでメジャー15勝目を挙げた。ブルックス・ケプカは2018年と2019年の全米プロを連覇した。2020年はコロナ禍で全英オープンが中止されてしまったが、全米プロではコリン・モリカワ、全米オープンではブライソン・デシャンボーという新しいメジャー・チャンプが誕生し、松山は追いていかれた感さえ漂った。

 勝てなくなった松山は、輝くことも目立つこともなく、しかしスランプと呼ぶほどの絶不調に陥ることもなく、この4年間、大きく上がりも下がりもせず、波風を立てることもなく、静かな日々を過ごしてきた。

【静かな日々、心の激動】

 とはいえ、それはあくまでも見た目の印象であり、松山の心の中には、きっと幾度も波が立っては引いて、そんな葛藤があったのだと思う。

 ずっと自己流で磨いてきた技術だったが、勝てなくなってからは「コーチを付けたら?」と、どれだけ言われたことか。そのたびに彼は「自分のスイングは自分が一番わかっているので」と突っぱねてきた。

 あの2017年全米プロのように最終日のバック9で崩れていったのはメンタル面の問題だと何度も指摘された。「メンタルトレーニングを受けてみたら?」と勧めたこともあった。そのたびに彼は「なんか、言いくるめられちゃいそうで」と突っぱねてきた。

 勝利や大活躍がない静かな日々と言っても、それでも世界ランキング、フェデックスカップランキングは、どちらもトップ30を常に維持し、主要な大会すべてにクオリファイしてきた。

 それだけでも、すでに偉業だが、幼いころからメジャーで勝つことを夢見てクラブを振ってきた松山にとっては、それだけでは達成感は決して得られない。だから彼は、夢の実現のために、それまでの自分を見つめ直し、頑固なまでにこだわってきたことも一度リセットしようと思うことができたのだ。

「(この4年間)いろんな問題があった。自分ひとりで何がダメだとか、フィーリングだけでやっていた部分を、自分が正しいと思い過ぎていた。今年から(目澤秀憲)コーチを付けて、客観的な目をもってもらいながら正しい方向に進んでいる」

 そんな謙虚な言葉が2017年の夏以前の松山の口から聞かれたことは無かった。勝てなくなった4年間、スポットライトが当たらなくなった4年間は、数字の上では波風のない静かな日々だったが、彼の胸の中では葛藤に葛藤を重ねた「心の激動」の日々だった。

 それを乗り越えたことを「成長」と呼ぶのであれば、その成長が、松山を2021年マスターズの勝者に導き、彼を表彰式に立たせ、グリーンジャケットを羽織らせたのだ。

「この素晴らしいマスターズで、この場所に立てることがうれしい」

 満面の笑顔だった。彼の胸の中で、喜びの大波が立った瞬間、日本中が歓喜し、松山にとっても日本にとっても、忘れがたき日が歴史に刻まれた。

ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学・客員教授

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。百貨店、広告代理店勤務を経て1989年に独立。1993年渡米後、25年間、在米ゴルフジャーナリストとして米ツアー選手と直に接しながら米国ゴルフの魅力を発信。選手のヒューマンな一面を独特の表現で綴る“舩越節”には根強いファンが多い。2019年からは日本が拠点。ゴルフジャーナリストとして多数の連載を持ち、執筆を続ける一方で、テレビ、ラジオ、講演、武蔵丘短期大学客員教授など活動範囲を広げている。ラジオ番組「舩越園子のゴルフコラム」四国放送、栃木放送、新潟放送、長崎放送などでネット中。GTPA(日本ゴルフトーナメント振興協会)理事。著書訳書多数。

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