Yahoo!ニュース

英グラスゴー、植民地由来の文化財返還 美術館・博物館責任者にその背景を聞く 「平等の立場で」向き合う

小林恭子ジャーナリスト
英グラスゴーでのインドの文化財返還儀式(「グラスゴーライフ」のサイトから)

 近年、欧州各国では過去の奴隷制・植民地支配の負の遺産を見直す動きが広がっている。

 フランスでは昨年秋、19世紀に西アフリカの旧ベナン王国から略奪した26の美術品を129年ぶりに現ベナンに返還した。エマニュエル・マクロン仏大統領は2017年、アフリカの文化財を返却する方針を表明し、法整備を進めてきた。

 ドイツ政府も、ナイジェリア南部沿岸にあった旧ベニン王国から19世紀に英軍によって持ち去られた「ベニン・ブロンズ」と呼ばれる美術品の返還を決めている。

 ベニン・ブロンズについては、英国でも、ケンブリッジ大学ジーザス・カレッジ、スコットランド・アバディーン大学、ロンドンのホーニマン博物館が返還を発表している。

インドの文化財返還へ

 今年8月19日、スコットランド・グラスゴー市が所有する文化財を保管・展示する美術館・博物館の代表者とインド政府代表者が植民地時代の美術品をインドに返還することで正式合意した。

 英国の美術館・博物館がインドに当時の文化財を返還するのは、これが初だ。

 所有権の移管は、4月、グラスゴー市の返還査定委員会の決定を受けたもの。委員会はグラスゴー市議と同市の美術館・博物館を運営する「グラスゴーライフ」の代表者らで構成され、インド、ナイジェリア、北米の先住民族への美術品・工芸品の返還を推薦した。

 グラスゴー市の美術館・博物館を運営する「グラスゴーライフ」は、昨年1月から、インドへの工芸品返還を巡って、ロンドンの駐英インド高等弁務官事務所と交渉を続けてきた。返還対象となったのは、14世紀のものと見られる剣、11世紀頃の石製のドア枠を含む7点。

 そのうちの6点は19世紀、インド北部の複数の州にあった寺院や神殿などから持ち去られ、残りの1点は元の所有者から窃盗した人物から購入したものだった。全7点はグラスゴー市に寄贈されていた。

 グラスゴー市が元の所有者に文化財を返還したのは、1998年が初めてだった。19世紀末の米国で先住民による宗教運動「ゴーストダンス(幽霊踊り)」に使われたシャツのウーンデッド・ニー生存者協会への返還である。特別のシャツを着ることで、危険から身を守ることができると考えられた。

 現在ではケルビングローブ美術館・博物館に寄贈されたレプリカのシャツが展示されている。

 ちなみにウーンデッド・ニーとは米サウスダコタ州南西部にある地域。

 1890年、ウーンデッド・ニー・クリーク湖畔で米騎兵隊が移動中の先住民族ラコタ族を無差別に銃撃し、多くの人が命を落とした。この中にはゴースト・ダンサーたちも含まれていた。ウーンデッド・ニー事件は、米先住民の抵抗の歴史を象徴する。

 グラスゴー市は、1892年、「バッファロービル・ワイルド・ウェスト・ショー」の興行で使われたシャツを購入したが、このシャツはウーンデッド・ニーの戦場で遺体となったラコタ族の人物から取り去ったものだった。

 約100年後、子孫からシャツの返還を求められ、1998年の返還につながった。

 グラスゴー市ではこれまでに50以上の文化財を正当な所有者に返還してきたという。

 現在、返還予定の文化財にはナイジェリアのベニン・ブロンズ19点も含まれていいる。

ベニン・ブロンズとは

 現在のナイジェリア南部沿岸にあった旧ベニン王国由来の数千点の美術品で、青銅、真ちゅう、象牙などのレリーフや像などを指す。1897年、英国外交官殺害事件をきっかけに英軍の報復侵攻を受け、聖地や礼拝所などから持ち去られた。王国は英領ナイジェリア植民地に併合されて、姿を消した。

 グラスゴー市は寄贈や競売サービスによって入手した。

 6月、グラスゴーライフはナイジェリア政府の代表者とケルビングローブ美術館で会合を開き、所有権の移管、移管時期などについて話し合った。

ケルビングローブ美術館にあるベニン・ブロンズの1つ(筆者撮影)
ケルビングローブ美術館にあるベニン・ブロンズの1つ(筆者撮影)

 米先住民由来の25点の文化財はラコタ族やスー族に所属する品物で、米サウスダコタ州の子孫に引き渡される予定だ。

 この文化財は、先住民の「信仰、歴史、価値観を象徴するもの」だった(グラスゴーライフのプレスリリースより)。

コレクション責任者のインタビュー

 筆者は、8月末、グラスゴーを訪ね、グラスゴーライフの博物館コレクションの責任者に今回の文化財返還の背景を聞いた。

ダンカン・ドーナン氏(筆者撮影)
ダンカン・ドーナン氏(筆者撮影)

ーグラスゴーの試みが英国全体に広がると思いますか。

ダンカン・ドーナン氏:それは良い質問ですね。確かに、グラスゴーの動きは大きく報道されましたが。でも、グラスゴーが返還を行い始めたのは、1998年なので、ずいぶん前から手掛けてきたのです。

―どのような判断で返還すると決めているのでしょう。ウェブサイトには、返還についての考え方を記す文書が掲載されていましたが。GLASGOW LIFE MUSEUMS: POLICY ON REPATRITION AND SPOLIATION

ドーナン氏:返還の求めがあった時、いくつかの判断条件を考慮しています。

 1つ目は、返還を求めている人が、その品目(オブジェクト)について倫理的及び法的権限があるかどうかを見極めなければなりません。そのオブジェクトの元々のクリエイターの代表として話しているのかどうか。

 2つ目は、そのオブジェクトを作った当時のコミュニティと返還要求をしている現在のコミュニティとの間に連続性があるかどうか。

 3つ目はそのオブジェクトの文化的、歴史的、あるいは宗教上の意味合い。

 4つ目はこちらの美術館・博物館が合法的に取得したものなのかどうか。

ー国レベルではなく、グラスゴー市のレベルで返還するかしないかが決定できるのですか。

 コレクションはグラスゴー市の所有なので、ここでできます。

 また、返還要請が増えているというわけではなく、それぞれ個々の理由で返還するかしないかのプロセスが始まっていきます。

-かなり時間がかかりそうですね。

 そうですね。返還までのプロセスは複雑です。最初の段階の「倫理的及び法的権限があるかどうかを見極める」ことが大仕事で、そのオブジェクトの元々のクリエイターの代表として話しているのかどうかを確立するまでが大変です。その間に、相手方との信頼感を作ることも大切です。

―博物館側のスタッフが現地に行くことも?

 ナイジェリアに出かけるスタッフが一人いますが、(いつも行くわけにもいかないので)だからこそ、信頼感が大切です。原産国と英国にいる側との間に本当に信頼感が確立していることが必要です。信頼感と前向きの印象を互いに築くことです。何を相手が欲しているのか。全ての問い合わせが返還を望んでいるわけではなく、所有権をもっと明確にしてほしい、という場合もあります。その上で、オブジェクト自体は博物館に置いておく、という選択になることがあります。

ー返還交渉に応じようとしない美術館・博物館もあるのではないでしょうか。なぜグラスゴー市では積極的なのでしょうか。

 オブジェクトが違法に取得したものであるということが確立されたら、私たちはこれに対応するべきと考えています。正統な所有者に連絡するべきである、と。これが1998年に確立された考えで、変化はありません。

平等に向き合う

 グラスゴー市としては、返還を要求する、所有権を持つ人と平等な関係から話し合います。返還要求が出たら、これに対応することで、互いによりよい関係を築くことができます。

 グラスゴーは(スコットランドの中でも)最も多様性がある都市です(注:スコットランドの中でグラスゴーは移民出身者の比率が12%と最も高い)。様々な移民出身者のコミュニティとの関係性を重視しています。そのコミュニティにとって、歴史的に重要なつながりがオブジェクトである場合、対応する必要が出てきます。

ーオブジェクトの取得が合法か違法かを見極めるのは非常に難しいのではないでしょうか。例えば、古代ギリシャのパルテノン神殿にあった大理石彫刻「エルギン・マーブル」をギリシャ政府側は英国に「略奪された」と言って、返還を求めています。英国側は、19世紀初頭当時、ギリシャを支配していたオスマン帝国との合法な契約の下に取得したといっています。

 どこまでが許容される行為なのかということについての認識は、時代が変わるとともに変わってきます。

 でも、本人の同意なしに取得する行為は、21世紀の現在では通用しなくなっています。

 今回の返還対象になったオブジェクトについては、当時の文化、歴史的文脈、該当するコミュニティへの重要性などについて調査を行っており、いかなる状況でも、取得されるべきではなかった、という結論が出たのです。

―今回は、インドへの返還がニュースになりました。でも、ビクトリア女王時代、インドは大英帝国の植民地であり、当時獲得されたものは、結局は、英国のオブジェクトである、という解釈もできますよね。

 私たちはそのようには考えていません。大英帝国の一部であったということで、そのオブジェクトの所有権があると主張することもできますが、オブジェクトにはスピリチュアルな面もありますので、所有していた個人にとって、重要なものかもしれません。当時の状況から言って、合法だったと考える人もいれば、盗まれたと考える人もいるでしょう。

 私たちは21世紀の考え方の基準で、物事を見ていかなければなりません。

-返還について、これに反対するような意見が英国のアート界ではないのでしょうか

 特に(問題視するような)論争が起きた、ということはないと思います。

 コレクションの価値というのは所有権があるかどうかではなくて、そのオブジェクトを使っていかに来訪者に情報を与え、楽しませ、教育できるかということです。返還のプロセスはこの部分を妨げることになるかもしれませんが、関連する文化の解釈を深めることになるのです。

 返還によって、グラスゴー市からそのオブジェクトを奪うのではなく、より深い理解につながりますので、最終的はよりよい結果になると思います。

―ベニン・ブロンズについては、ロンドンの博物館が返還を決め、フランスやドイツでは国策として返還することにしています。グラスゴーの動きは、英国の中では少数派なのでしょうか。それとも、英国のアート界全体が返還や見直しに動いているのでしょうか

 全体の動きについては何とも言えませんが、アバディーンが返還を決めています。複数の返還が英国内で発生していますし、大規模な返還がドイツで発生しています。

―ここ何十年間で、返還についての考え方は変わってきたのでしょうか。

 私たちの場合は1998年が最初でしたので、それ以前は却下されてきたということです。ですから、変化はありました。

 それに、世界が変わってきましたね。今やどことでも(より簡易に)より広い世界と連絡が取れるようになってきました。広い世界についての、人々の認識も変わってきました。

 美術館の運営の仕方も大分変ってきました。グラスゴーでは企画を立てるときに、コミュニティの人とともに作っていくことが多いです。あるオブジェクトや出来事に対する運営側の見方とコミュニティの見方を統合して、展示を作っていく、と。

ー2年前、反人種差別の「ブラック・ライブズ・マター運動」がありました。一部の美術館、博物館では展示内容を変えていきました。グラスゴーではどうだったのでしょうか。

 ブラック・ライブズ・マター運動の前から、大英帝国時代をどう扱うべきかと考えてきました。2020年初頭、そのために予算をあてて、同年9月にはキュレーターを配置しました。彼を中心に、グラスゴー市民との対話を行ってきました。

ケルビングローブ美術館の展示パネル(筆者撮影)
ケルビングローブ美術館の展示パネル(筆者撮影)

 最初の試みをケルビングローブ美術館で開始したばかりです。入り口を入ってすぐの場所に展示パネル(「大英帝国の美術館」)を並べてあります。公の会話を生み出したい、という狙いがあります。これは継続したプロジェクトで、社会を大きく変えるには時間がかかるでしょう。(インタビュー終)

 上記パネルの1つにはこう書かれていた。

「ケルビングローブ美術館・博物館は帝国の博物館です。もともとの建物はグラスゴー市議会の議長パトリック・クフーンの自宅でした。クフーンはアフリカ住民の奴隷化に関与していたタバコ商人でした。英国の植民地主義の帰結として富を蓄えた富裕な個人が芸術作品をコレクションに寄贈したのです」。陳列作品は複数あるものの「黒人、アジア人、そのほかの少数住民を表現するオブジェクトや美術品はほとんどありません」。

「ケルビングローブ美術館・博物館において、大西洋奴隷貿易と大英帝国の遺産についてよりよい説明する道を模索しています」。ケルビングローブでの将来の展示に向けて、「こうした遺産についての議論を巻き起こしたいと考えています」。

 別のパネルでは、意見募集の呼びかけがあった。

ケルビングローブ美術館・博物館の入り口(筆者撮影)
ケルビングローブ美術館・博物館の入り口(筆者撮影)

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊『なぜBBCだけが伝えられるのか 民意、戦争、王室からジャニーズまで』(光文社新書)、既刊中公新書ラクレ『英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱』。本連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

小林恭子の最近の記事