【京都市】上京区 「北野天満宮」境内にある『太閤井戸』と豊臣秀吉
北野天満宮太閤井戸
北野天満宮太閤井戸は、「北野天満宮」駐車場の中にあります。
うっかりすると見逃してしまいそうなところにありますが、見つけた時の感動はひとしお!
●北野天満宮太閤井戸は安土桃山時代の1587年(天正15年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が九州平定と聚楽第(じゅらくだい)造営を記念し、北野天満宮で北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ・北野大茶会)を催した際、茶点ての水として使ったと言われています。
太閤井戸近くには1974年(昭和54年)11月に京都市茶業組合が創立100周年記念に建立した高さ約2.1メートルの石碑・大茶湯之址(おおちゃのゆのあと)があります。(HPより)
『北野大茶湯之址』の石碑
北野大茶湯(北野大茶会)は豊臣秀吉が行った茶会のことですね。
北野大茶湯(北野大茶会)は安土桃山時代の1587年(天正15年)11月1日(旧暦10月1日)に関白・豊臣秀吉が北野天満宮境内で行った身分を問わない無礼講の茶会です。1587年7月に九州を平定し、7月末から諸大名・公家や京都大坂の茶人などに茶会開催の朱印状を出し、7月28日に京都五条などに茶会開催の触書を出し、9月から会場の工事が行われました。北野大茶湯では1,500軒以上の数寄屋や茶屋を建てて客をもてなしたり、豊臣秀吉が所有する名物(茶道具)を公開したりしました。豊臣秀吉は黄金の茶室を北野天満宮の拝殿(12畳分)の中央に持ち込み、茶入「似たり茄子(百貫茄子)」などの自慢の名物を陳列しました。豊臣秀吉は千利休(せんのりきゅう)・津田宗及(つだそうきゅう)・今井宗久(いまいそうきゅう)とともに亭主(茶頭)を務めました。なお北野大茶湯は当初10日間の予定だったが、たった1日で終わったそうです。ちなみに肥後(熊本県)の国人一揆が発生したことが切り上げの理由とも言われています。(HPより)
「高津商会」では茶道具などの小道具があらゆる時代劇などで活躍しています。日本映画発祥の地である北野さんエリアは「高津商会」にとっても大切な場所。
北野大茶湯という歴史に残るイベントが行われたこのエリアに思いをはせながら、太秦にある「高津商会」で豊臣秀吉の武将体験などしてみるのも京都らしい面白い経験ですね♪