小籔座長の何がすごかったのか。見据え続けた吉本新喜劇の今後
小籔千豊さんが8月22日の公演をもって吉本新喜劇の座長を勇退しました。
2006年の座長就任時から幾度となく取材をし、テレビ番組でも共演させてもらってきましたが、小籔さんのすごさ。それは“言葉の力”に尽きると感じています。
15年にインタビューをした時には“座長の引き際”について語っていました。改めて取材メモを振り返っても、力強い言葉の羅列に唸ります。
座長という身の丈を超えた仕事もさせてもらうようになって10年ほど経ちました。
これはいかなる組織でもそうですけど、ずっと権力が同じところにあると腐敗の構図が生まれてきますし、ヌルくなってくるんです。
だから、新喜劇のためにも、さらには僕が長く新喜劇で飯を食うためにも、僕が長く座長をやらん方が組織としてはいい。野球でも強いチームに対して解説者の方が言うことはいつも一緒なんです。「良い若手が出てきて、ベテランを刺激してますよね」と。
ということは、そういうことなんです。僕がいつまでも4番やなくて、5番、6番を打つようになっていって、7番とか2番をさらにベテランの方に担ってもらって引き締めていただく。そんなチームは強いんです。だから、あと2人くらい、すっちーみたいなのが出てきてくれたら、クリーンナップを任せて、僕は一歩引く。その方が新喜劇は盛り上がっていくはずなんです。
実際、ずっと僕が考えてきたプランやったら、あと1~2年くらいで僕は座長を辞めてるはずやったんです。ただ、不測の事態が起こるのが現実なので、もう少し時間はかかるかもしれませんけど、少なくとも、あと5年で僕は座長から降りていたいなと。自ら降りるというよりも、押し出されたいという形で。
自分が65歳になった時に、こやジイとして、後輩たちが盛り上げている新喜劇にちょこっと出て、夕方6時になったら家に帰って家族と飯を食う。それをゴールとしているので、それまでに新喜劇という船がひっくり返ってもらったら困るんです。
そのために、今までいろいろなガマンもし、理不尽も飲み込んできましたから(笑)。もし、来年新喜劇がつぶれるんやったら、すぐにでも“お礼参り”に行かなアカン人が何人もいてます(笑)。
すべては新喜劇で65歳まで飯を食うため。それが、ひいては座員のため、なんばグランド花月のため、吉本興業のため、新喜劇を楽しみにしてくれているちびっ子のためにもなる。だから、船は大きく強くしておかないといけないんです。
もし魔法のランプがあって「お前は何が欲しいんだ?」と尋ねられたら、答えは決まっています。すぐさま「フジテレビ『クイズ!ヘキサゴンⅡ』みたいな番組のMCをさせてください!」と言います。
お笑いタレント、グラビアアイドル、元プロ野球選手、おバカタレント、そして、新喜劇メンバー。それをごちゃまぜにして3列に並ばせてクイズに答えさせたり、みんなで大縄跳びしたり。そんな中から、新喜劇の若い子とメジャーリーガーが結婚したり、島田一の介兄さん、Mr.オクレさん、池乃めだかさんで「羞恥心」を組ませたり。そんなんができたら理想的ですね(笑)。
座長をやらせてもらってる限りは、こういう“成長戦略”も考えないといけませんから。ま、僕がオーナーじゃないのでなかなか思うに任せない部分もありますけど、選手会長をやらせてもらってるうちは、せめていろいろ手を打たないといけない。
逆に言うと、座長じゃなくなった瞬間、これでもかと私利私欲に走りたいと思います(笑)。
毎回取材の度に思うのは、小籔さんのインタビューは極めて簡単で、極めて難しいということ。
何を聞いても、明確でいて強い“原稿映え”する言葉で返してくれます。ただ、どれも強い言葉ゆえにそれをいかにうまく盛り付けるか。それぞれの味がにごらないように。料理人としての腕が問われる原稿になります。
そして、その言葉の力でタレントとして活躍し、全国的な知名度を得ていくことになります。その中で座長就任当初から使っていたフレーズが「アイアム座長」という言葉。
常にどこにいても自分は吉本新喜劇の座長であり、自分が世に出るということは新喜劇が出るということ。自分の知名度=新喜劇の知名度。これを常に頭に入れ、勇退時のInstagramでも綴られていましたが「新喜劇の広報担当」として激しい動きを見せてきました。
僕が新喜劇に入りたての頃、営業で横浜に行ったんです。その時、吉本興業の社員さんから言われたのが「名古屋から東では、まだ新喜劇が知られていない。パッと分かってもらえるのは、池乃めだかさん、チャーリー浜さん、島木譲二さん、Mr.オクレさんくらい」ということでした。
“長所を伸ばして、短所をなくす”というのが組織のリーダーやとしたら、じゃ、新喜劇の短所ってなんやねんと。ま、そら、挙げていったら山ほどあるんですけど(笑)、明らかな短所の1つが、やっぱり“名古屋より東に名がとどろいていない”ということなんです。
言うたら、日本の半分しか市場がない。将棋で言うたら、将棋盤の右半分さされへんみたいな駒では良くないと。
右半分を開拓するという意味も持って、数年前から東京吉本の所属になったんですけど、その時の目標の1つとして掲げたのが、普段本格的なお芝居をやっているような格式高い東京の劇場で新喜劇を上演するということ。吉本を見る習慣のない方々に見てもらって新規開拓し市場を広げる。これは新喜劇に関わる誰にとっても、マイナスではないですから。
僕が「新喜劇のために!!」と言ったところで、それは必ずしもみんなの思いではない。僕が思う「新喜劇がこうなってほしい」領域があるとしたら、吉本興業にも「新喜劇をこうしていきたい」という領域がある。この2つの円は半分くらいしか重なってないと思います。
そして新喜劇の若手にも、ベテランにも、なんばグランド花月のスタッフにも、もう死んだ先輩方にもそれぞれ思っている円があるんです。それぞれ微妙にズレながらも、中心で1カ所だけ円が重なっている部分がある。それが“新喜劇が盛り上がる”ということなんです。
これは、誰も嫌がらない。文句も言わない。そのために知名度を上げる。そこをやって嫌がる人はいないので、そこをやれればなと思っているんです。
その思いで走り続け、今一つの節目を迎えることになりました。吉本新喜劇は109人の大所帯となり、今は間寛平GMが頭を悩ませながら様々な改革を進めています。
ベタ。変わらぬ大阪の文化。そんな言葉で語られることが多い新喜劇ですが、葛藤と革新を繰り返して今も存在している。これは間近で取材をしてきた者として断言できます。
そして、その1ページを強く、濃く、小籔さんが描いたこともまた間違いのないことです。