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ミャンマー奥地に伝わる民話【こぶとり爺さん】を探す旅

水本博之映像作家・監督

<変わりつつあるミャンマー>
タイと中国とインドに囲まれた東南アジアのミャンマーには約5000万人が住んでいる。その多くが仏教を信仰している。軍事政権から民政に移管した2011年以降、国内の通信設備や空港などへの大規模な設備投資に支えられ経済成長を続けてきた。街の車の数は増え、ショッピングモールなどの商業施設も以前に比べて格段に増えた。また、インターネットなどの情報の送受信も体感できるほどに快適になった。

<少数民族の民話を求めて、ミャンマー北部カチン州へ>
ミャンマー最大都市のヤンゴンから夜行バスで8時間かけて第2の都市マンダレーまで行き、さらにそこから16時間かけて北部のカチン州最大の街ミッチーナーに向かう。この地域は東南アジアの暑いイメージとは違って、12月には防寒具が必要なほど肌寒い。昼間は約25度近いが、夜になると10度前後まで冷える。ヤンゴンの一日中汗ばむ気温とは対照的だ。ここカチン州には、昔から居住してきたカチン人がいる。

多民族国家であるミャンマーは、マジョリティーであるビルマ人が仏教徒でビルマ(ミャンマー)語を話している。少数民族も数多く暮らしており、それぞれが地域・コミュニティで独自の言語・習慣を守ってきた。カチン人の多くはキリスト教徒である。かつては精霊を信仰しており、その習慣はカチンの祭りなどに残っている。

このカチン人の言語・文化を10年以上研究している東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助教の倉部慶太博士(32)は、現地でネイティヴスピーカーの方を師として言語のフィールドワークを続けてきた。その一環として口承によるカチン民話の採集にも取り組んできた。単純に聞き取り調査といっても当然ながら現地語の習得が必須であり、倉部さんはまずミャンマーの公用語であるビルマ語を学んだ。その能力を基礎としてカチン人の主要言語であるカチン(ジンポー)語を習得し、調査・研究するに到っている。現地の人々からも深く信頼されている。数多くの協力者とともに2000近くのカチンの口承民話を採集した。その成果を世界の危機言語・文化を保管・発信するデジタルアーカイブPARADISECに収めた。(http://catalog.paradisec.org.au/repository/KK1)このアーカイブはオーストラリアの大学によって運営され、インターネットで全世界の人が無料で閲覧することが可能となっている。

<カチンで日本の民話と似たものが見つかった>
倉部さんが収集してきた民話のなかには、日本の民話と似たものもあるという。今回現地の年配の方に話していただいた民話の要約をしてみると、

”コブのある男が旅をしていて墓で眠ると、霊魂がコブを取ってくれる。それを羨ましがった同じくコブを持つ男が霊魂の元へ赴くと、前の男から取ったコブをつけられて2つになってしまい、泣いて後悔する。”

この民話は、〔コブを持つ2人の男が”異類”の存在にコブを取られたり、つけられたりする〕という『こぶとり爺さん』とよく似ている。

カチンと日本の民話を比べると

墓 → 木の洞
霊魂→ 鬼・天狗

という要素が目立って異なっているが、やはり最初の男が上手にコブを取り除いたのに対して、2番目の男が不器用で最初の男のコブまでもらってしまう、という構造はあまりにもよく似ている。

<まだ確実なことは何も言えない、そのためにも必要な調査がある>
しかし何故ここまで似たものがあるのだろうか。文化の関係性など、想像力や好奇心をそそられる要素はたくさんあるのだが、残念ながら倉部さんは確実なことを言うのは難しいのではないかという。日本からカチンに、または、カチンから日本に伝わった民話である可能性がある。しかし、民話というものはパターンが限られているため、偶然似た可能性も排除できない。また、少数民族の場合、充分な史料がないという問題もあるという。

「また、類似を説明する手がかりとして、カチン周辺の少数民族における類話の流布状況も調べる必要があると思います。しかし、少数民族の民話はいま急速に失われつつあります。」と倉部さんは言う。

<急速に失われつつある少数民族の文化>
カチン州においても、近年はとりわけFacebookに代表されるSNSの普及で、国内外の様々な情報にアクセスすることが容易になった。流行に敏感な若者たちがビルマ人や外国の文化への依存を高め、自分たちの文化を継承することに魅力を感じなくなりつつあるのだろうか。

「いまの子供たちは、私達のような年寄りの民話をあまり聴かなくなった。私達も彼らに語らなくなった」とカチンの『こぶとり爺さん』を語ってくれたチャンミョーさんはいう。

大民族の影響は言語にも及んでいるようだ。ほかの消滅危機言語と比べれば、カチン語は比較的元気な言語であり、老人たちだけでなく子供たちも話している。しかし、ミャンマーの公用語はビルマ語であり、学校で子供たちが教わるのはビルマ語である。職場でもビルマ語の需要が大きい。テレビやインターネットで影響力があるのもビルマ語である。「最近の若者たちはビルマ語の直訳のような言葉を用いることも多く、カチン語本来の表現を忘れていることもある」と、今回『カムカム鳥』の民話を語ってくれたトゥージャーさんは言っている。

<かつては民話が生活の中にあった。そしていま…>
カチン州では稲を刈り終えると、その後は農閑期になる事が多い。そんな夜の時間に余裕ができる季節に子供たちは民話を聞いていたようだ。トゥージャーさんは子供のころの様子を以下のように回想している。

「この昔話は、私が子供のころに母から聞きました。ちょうど、今のような畑から稲を刈り終えた寒い時期ですよ。刈り終えると夜は長いので、近所の家で誰かが物語を語るそうだと聞きつけると、子供たちみんなで各家の野菜を持ち寄り、芋を煮て食べながら聞きました」

社会が少しずつ便利になることで生活が変わり、日々の営みの中で民話を必要としなくなりつつある。それはより豊かな生活を目指す中で、仕方のないことかもしれない。しかし、民話は民族が長い年月をかけて語り継いできた文化財であり、人々の知恵や生活のあり方などを色濃く反映するものである。記録されず消えてしまうのは、未来の子供たちが先人の知恵に触れる機会を奪っている、ということでもある。

倉部さんが10年間行ってきた調査で、協力してくれた一部の方は既に亡くなってしまった。その際、家族はその亡くなった方の民話を継承していなかった。

残っていたのは唯一、倉部さんが記録した故人の音声のみ。倉部さんは遺族に音源をプレゼントし、とても喜ばれたそうだ。

クレジット

監督・撮影・編集・挿絵:水本博之
出演:倉部慶太 / Tu Ja / Chan Myaw / La Pa
カチン(ジンポー)語翻訳:倉部慶太
音楽:岸剛
編集協力:一原知之

映像作家・監督

映像作家・監督。グレートジャーニーで知られる探検家・ 関野吉晴の道具作りからはじめたカヌーの旅に同行したドキュメンタリー映画『縄文号とパクール号の航海』(2015年公開) を撮影・監督。同作は2018年現在も劇場公開中。以降、現在も国内および東南アジアで急速に変化する伝統社会と文明の関係について取材を続ける。一方で手づくりにこだわったストップモーション・アニメーション映画も監督・制作し劇場公開している。2006年 武蔵野美術大学 映像学科 卒業、2009年 東京藝術大学 大学院美術研究科 修了。

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