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私とイチローの物語 #dearICHIRO イチローにいま思いを、届けよう

山崎エマドキュメンタリー監督

25年に渡り、日本人に感動と希望、そして目指すべき場所、志を照らしつづけてきてくれたイチロー。 どんな世代であっても、平成を生きた日本人であればイチローに何かしらの影響を受けてきたはずだ。

私にも、「イチローとの物語」がある。ドキュメンタリー映像監督として歩む自分自身の人生は、彼の存在なしにはありえなかった。そして今、彼に感謝の思いを伝えるプロジェクトをこれまで培った全てを総動員して、始めたいと思っている。日本中のイチローへの想いを綴って中学生からの「いつかイチローのドキュメンタリーを作る」という夢を実現したい。そう思って、恥ずかしながら、自分が動画にした「私とイチローの物語」をまず見てほしい。

今、イチロー7年ぶりの凱旋に、日本中が湧いている。その一方で、本人の希望通り最低50歳までは現役を続けてもらいたいと願いつつも、いつまで選手としてのイチローを応援し続けられるのか、不安にも思ってしまう。「イチロー物語」を持つ人たちは、私と同じで心を揺さぶられているにちがいない。

平成も終わりを迎え、新しい時代に向かう社会。今こそ、日本中にある「イチロー物語」を集め、彼がくれたもの、「イチローの時代」の意味を考えるきっかけを作りたい。

そして、いつか送りたいと思っていた手紙のように、敬意と感謝を込めて、イチローに届けたい。

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『私とイチローの物語』(動画内容)

「イチローさんへ

私は、
小学校の課題図書の本であなたのことを知ってから、
ずっと、あなたの活躍を見ながら、
あなたの言葉を胸に、
子供から大人になりました。

ほぼイチローさんを見にしか行ったことがなかった
アメリカに引越し、
ニューヨークで自分も映画監督になる夢に向かって
走り続けました。

ときたま、
球場に行ってひとめ拝見できる機会があると、
不思議に涙がこぼれます。

妄想も、楽しみの一つです。

あなたは私を知りませんが、
私はあなたに、計り知れない影響を受け、
あなたを喜びと勇気の源にし、
あなたから学んだ「努力すれば夢は叶う」という志と共に、
生きています。」

始まりは2001年、ちょうどイチローがメジャーに挑戦した年。私は小学校の課題図書でイチローの本を読み、以来彼の生き方そのものが自分のバイブルになった。当時書いた感想文は、今も手元に残っている。

『イチロー 努力の天才バッター』 (抜粋)
「今、イチローは大リーグで大活やくをしている。イチローの努力できたえたうまさは、アメリカでも十分通ようしている。わたしも夢を持ったらすぐに努力することに決めた。ただ、がんばるのじゃなくて、力のかぎりやれば、きっと、どんな夢でも実現できると思 う。」

中学生でビデオカメラを手にし、映像制作にハマった自分は映画監督になる夢を抱きはじめる。その時、心に決めた目標は「いつか、イチローのドキュメンタリーを作る。」

2002 年、イチローを見に初めてシアトルへ。彼が目の前に存在した瞬間に、夢と現実の境界線がなくなった。13歳にして、自分もイチローのように「努力すれば夢は叶う」ことを疑い無く信じるようになった。その生き方を最大限に実行し、アメリカで成功していくイチローを目の当たりにして、大きな勇気をもらい、「努力して夢を叶えよう」と自然に志ざし、青春時代を送った。

2008 年、私は映画制作の勉強のため、ニューヨークに渡米し、その後 10 年近くを 過ごすことになる。それまで、アメリカにはイチローを見に行ったことしかほぼなかった。今振り返ると、イチローが挑戦した国・アメリカで、自分も夢に向かってチャレンジしたい気持ちが自分をアメリカに向かわせた気もする。

映画監督を目指す中、大学生の時は「自分は誰なのか、何人なのか?」とアイデンティティの問題に悩まされた時期もあった。日本人とイギリス人のハーフの自分は、どこにいても完全に居心地のいい場所が見つからずに不安になっていた。そんな時に立ち会った、イチローのヤンキース本拠地デビュー戦(2012年)。イチローはニューヨーカーに大歓迎を受けた。イチローコールがかかると、まるで自分の名前が呼ばれているかのように嬉しかった。日本人として、一番誇らしく思った瞬間だった。そして同時に、「なに人」とかは関係なく、「活躍すれば認めてもらえる」ということを肌で感じ、もやもやしていた何かが吹っ切れた。

2015 年、イチローがマイアミに移籍した頃、自分も初長編映画となる『おさるのジョージ』という絵本の原作者のドキュメンタリー映画を作ることを決め、人の2〜3倍仕事をして稼いだお金で自主制作を進めていた。結局完成まで3年間掛かったが、一度も諦めようと思ったりしたことはなかった。小学校 6年生でイチローに出会い誓った『ただ、がんばるのじゃなくて、力のかぎりやれば、きっと、どんな夢でも実現できると思う』。このことを実戦できる夢を見つけたことに 感謝しながら、努力を重ねた。 クラウドファンデェングで2000万円の資金を集め、映画は無事完成。2017年に世界配給され、日本でも2018年に劇場公開された。

気がつけば 2019 年。イチロー45 歳。私 29 歳。 思えば、環境が目まぐるしく変わっていった自分の人生の中で、ずっと変わらなかったことは、イチローがいたことだった。今の自分は、イチローがいたから、あるもの。そう確信している。
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イチローさんに思いを伝えるみなさんの『私とイチローの物語』を募集します。

ハッシュタグ #dearICHIRO とつけて、動画・文章、どんな形でも良いのでSNSに投稿してください!

私と直接繋がってくださる方・質問等はこちらまで:

dear_ichiro@yahoo.co.jp

#dearICHIRO 思いを、届けよう

山崎エマ(Ema Ryan Yamazaki)
神戸生まれ。日本人の母とイギリス人の父を持つ。19才で渡米し、ニューヨーク大学映画制作部を卒業後、数々のドキュメンタリー制作に参加。長編初監督作品『モンキービジネス:おさるのジョージ著者の大冒険』ではクラウドファンディングで2000万円を集め、ロサンゼルス映画祭でワールドプレミア後2018年に日本で劇場公開。2018年には夏の甲子園100回大会を迎えた高校野球を長期取材。現在NHK大河ドラマ『いだてん』の紀行番組を担当中。日本人の心を持ちながら外国人の視点が理解できる立場を活かし、ニューヨークと日本を行き来しながら活動中。

ドキュメンタリー監督

日本人の母とイギリス人の父を持つ。19才で渡米しニューヨーク大学卒業後、エディターとしてキャリアを開始。長編初監督作品『モンキービジネス:おさるのジョージ著者の大冒険』ではクラウドファンディングで2000万円を集め、2017年に世界配給。夏の甲子園100回大会を迎えた高校野球を社会の縮図として捉えた『甲子園:フィールド・オブ・ドリームス』は、2020年米スポーツチャンネルESPNで放送し、日本でも劇場公開。最新作『小学校〜それは小さな社会〜』では都内の小学校の一年に密着。その他、NHKと多くの番組も制作。日本人の心を持ちながら外国人の視点が理解できる立場を活かす制作を心がけている。

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