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中国徐州市の「鎖につながれた8人の子の母親事件」 なぜ誘拐や人身売買はなくならないのか?

中島恵ジャーナリスト
事件を報道する中国のテレビニュースの映像(筆者撮影)

1月下旬、中国江蘇省徐州市豊県の小さな村で、女性が鎖につながれた状態で発見され、その動画がSNSに投稿されたことにより、中国社会に衝撃が広がっている。

「人身売買」の疑惑が出た

SNSに投稿された動画は、みすぼらしい小屋の中で、首に鎖をつながれた状態の女性が立っている姿。女性の夫は8人の子どもを持つ父親として、村では有名だったが、この動画が広まると、SNSを中心に「人身売買ではないか」との疑惑が出て大騒ぎとなった。

地方当局は当初、女性が鎖につながれていたのは「人身売買ではなく、女性には精神疾患があり、暴力的になることがあったため」だと説明したが、SNSでは再び「虐待を正当化しているのではないか」との批判が噴出し、真相究明を求める投稿が相次いだ。

世論に突き動かされる形でDNA鑑定が行われた結果、この女性は徐州市から2800キロも離れた雲南省の出身であることがわかったが(その後、その情報にも疑惑が出ており、情報はなお交錯中)、当局は夫を軟禁の疑いで拘束。女性を誘拐し人身売買の疑いもある別の男女2人も拘束したと発表した。

2月17日、地方政府はこの事件の真相を明らかにするため調査チームを発足させたと発表したが、中国のSNS上では、現在もさまざまな憶測が飛び交い、議論が沸騰しており、国民の事件に対する関心は非常に高い。

誘拐は大きな社会問題

まだ真相は不明だが、現時点でいえることは、中国では子どもや女性の誘拐や人身売買が今もあるという「事実」だ。

豊かさを享受する多くの中国人にとって、耳をふさぎたくなるような衝撃的なニュースでもある。

日本メディアの報道では、中国の誘拐事件は年間で約20万件と書かれているものがあるが、中国メディアは「これは古い情報であり誇張だ」と指摘している。

児童に関して、中国公安部の「児童失踪信息緊急発布プラットフォーム」が発表した2019年のデータでは、全国で子どもが失踪した事件は3978件、そのうち3901件は親元に帰っており、誘拐は1年で57件、残りは単純な失踪や家出だという。

女性だけの誘拐件数について公的なデータは見つけられなかったが、2018年に警察が立件した児童や女性の人身売買事件は5397件に上る、というデータがある。

中国メディアの報道では、子どもの誘拐は1歳~5歳くらいの男児が多く、女性は9歳以上が多いという。女性の場合は結婚相手や性の相手として誘拐するケースが多い。

誘拐場所は駅やバスターミナル、市場やショッピングセンター、学校の行き帰りなどが多く、混雑する春節や大型連休のときがとくに狙われやすい。

子どもが欲しい人が自ら誘拐するだけでなく、子どもや女性を「売買の対象」とする、多くの「業者」(人買い)が昔から存在する。

なぜ中国で誘拐や人身売買はなくならないのか。理由はいくつか考えられる。

どうしても男児が欲しい

まず、子どもを欲しがる側の理由は、1980年から始まった「一人っ子政策」の影響が非常に大きい。

政府の政策により、子どもは1人しか産めないことになり、とくに最初の10年間は地方都市、農村に到るまで厳しい産児制限が徹底された。

2人目を産もうとすれば強制的に中絶させられたりするケースが多かったが、農村ではどうしても働き手が必要だった。

また、かつて農村の家庭で息子がいないことは、耕作できる範囲が限られ、収入も少なくなることを意味し、周囲の人々から蔑(さげす)まれることが多かった。

『中国子ども誘拐白書』(1995年発行)という中国書籍の日本語版によると、最も児童誘拐が多かったのは1980年代~1990年代だ。中国公安部の1991~1992年の統計では、児童や女性の誘拐・売買事件は年間で5万件、とある。

その当時、農村に限らず、都市部でも、子どもに恵まれない夫婦や、1人目が女の子だった夫婦の間では、伝統的な価値観から「どうしても男の子が欲しい」という願望が強く「男の子がいなければ、家が途絶える」との強迫観念もあったとされる。

社会インフラが整っていなかったこともあり、「自分たちの老後の面倒を見てくれる子どもがいなくては……」という理由で、強く子どもを欲しがったのだ。なので、誘拐される児童は、女児よりも男児のほうが圧倒的に多い。

現在では一人っ子政策はなくなり、子どもは3人まで産むことが可能となり、中国社会は大きく変わった。

監視カメラも網の目のように設置されているし、AI(人工知能)の画像分析などにより、児童誘拐はかなり減っているが、都市部とは価値観が異なる農村を中心に、男児を欲しがる傾向はまだあり、誘拐は完全になくなったわけではない。

深刻な嫁不足

女性を欲しがる理由の多くは、前述したように、結婚相手や性の相手だ。中国メディアの報道によると、今回の事件の場所である徐州市豊県は江蘇省で最も貧困といわれる地域の一つで、多くの女性は出稼ぎ労働者として都市に出ていくケースが多いという。

結婚できない男性がとても多く、男性やその家族が「業者」から女性を買うという手段を選ぶという行為が行われている。

今回の事件も、報道によれば、鎖でつながれた女性の夫の父親が「買ってきた」ともいわれている。徐州市では80年代以降、数多くの女性が人身売買によりこの村にやってきており、事件は「氷山の一角だ」との見方も出ている。

地方政府とこの事件の関係性はまだ解明されていない点が多いが、前述の書によれば、90年代は、農村の共産党支部の書記が人身売買を黙認していたケースもある、と書かれている。

長年続いた一人っ子政策の影響により、男女のバランスは崩れ、男性余りの状態が「嫁不足」の原因となっていることは事実だ。

2019年の段階で、中国の男性の人口は女性よりも3000万人も多いといわれている。農村だけでなく都市部でも嫁不足は深刻であり、人口減少の一因にもなっている。

お金になるから

むろん、誘拐や人身売買がなくならないのは、需要だけでなく供給する側がいるからだ。具体的にどのような「業者」がいるのか、詳しいことはわからないが、かつては数十人から数百人が1つのグループとなり、全国規模で、組織ぐるみで誘拐や人身売買が行われていた。

また、犯罪がなくならない他の理由は「お金になるから」であるし、貧困や教育の低さも背景にあるだろう。子どもや女性を身勝手な理由で欲しがる人がいれば、そこからお金を得ようとする犯罪もはびこる。

事件の真相はまだわからないが、調査チームが納得のいく報告を出さない限り、世論はこれを許さないだろう。SNSが発達している時代、中国でも嘘はすぐに見破られる。

3月には中国の国会にあたる全人代(全国人民代表大会)が開催される。貧困問題に取り組んできた政府がこの問題にどのように取り組むのか、多くの国民が厳しい目で推移を見守っている。

ジャーナリスト

なかじま・けい ジャーナリスト。著書は最新刊から順に「日本のなかの中国」「中国人が日本を買う理由」「いま中国人は中国をこう見る」(日経プレミア)、「中国人のお金の使い道」(PHP新書)、「中国人は見ている。」「日本の『中国人』社会」「なぜ中国人は財布を持たないのか」「中国人の誤解 日本人の誤解」「中国人エリートは日本人をこう見る」(以上、日経プレミア)、「なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか?」「中国人エリートは日本をめざす」(以上、中央公論新社)、「『爆買い』後、彼らはどこに向かうのか」「中国人富裕層はなぜ『日本の老舗』が好きなのか」(以上、プレジデント社)など多数。主に中国を取材。

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