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久田将義氏に「生身の暴力」を聞きに行く 第二回

藤井誠二ノンフィクションライター

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■不良たちの集団が作り出したエアポケットにはまってしまった被害者

■「ダサい」という概念を身体化したかどうか

■ブレーキのきかない「ノリ」の恐ろしさ

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■「ダサい」という概念を身体化したかどうか■

藤井:

「デビュー」が早い方が良いというふうには、久田さんは言っていないと思うけれど、そういった組織的なところに組み込まれていった方が、抑制が効くという傾向はあるということですか。

久田:

あくまで傾向です。例えば、俳優の宇梶剛士さんは今ちゃんとやっていると思いますし。

藤井:

僕は彼をアエラの「現代の肖像」に書きました。(単行本『壁を越えていく力』に所収)取材以来、仲良くさせていただいてますが、取材時はいつも一緒に呑んでいました。

久田:

爽やかな人ですよね。

藤井:

じつに爽やか。自分が宇梶さんに興味を持ったのは、あの人はいつも身体を折り曲げて座っているのです。あのでかい身体を何故折り曲げているのかなと思うところから聞いたら、「自分の身体は凶器だ」と言うのです。「喧嘩は強いし、皆寄って来なくなったから、無意識の内に身体を縮め込ませて前の方に座るようになった」、「自分の身体や喧嘩の強さを恨んだ」ということを言ってくれて、そのことを中心に書いたのです。

久田:

野球でもプロに入る寸前だったから、喧嘩も相当強いし、とにかく運動神経が良いですからね。しかも身体もでかいし。元プロ野球選手の愛甲猛さんと僕は仲良いですけれど、横浜高校で野球をやりながら暴走族にいたのですけれど、陰惨な事件は起こさないというか、そういう方向にいかない。「デビュー」の早い、遅いという問題は、どうして陰惨な事件を起こすのかという仮説のようなものです。

藤井:

デビューの年齢とか時期の問題と、いわゆる組織化されたものや共同体的なものから外れたところといるやつが、むしろ虚勢を張るにはそうやって、常軌を逸する犯罪をやってしまう方向にいくのかな。一匹狼的な方向とは逆の。

久田:

川崎の中一殺人事件の加害者も3人でしたが、金髪にピアスして写真上はヤンキーになるけれど、僕はヤンキーと思っていない。それよりも格上の人間ですごく喧嘩が強い奴がいて、綾瀬のコンクリ事件の犯人グループみたいなイメージを持っています。80年代から90年代にかけて、綾瀬の女子高校生監禁事件、名古屋のリンチ殺人、90年代前半の木曽川・長良川リンチ殺人とか。藤井さんがおっしゃったように、不良のヒエラルキーから外れた、そこに入れなかった人間の虚勢もあるでしょう。つまり、そういうふうになってしまうのは「デビュー」が遅いからではないのという仮説を立てたという事です。

『生身の暴力論』には書かなかったけれど、女性問題で炎上しちゃったオタキングの岡田斗司夫。彼はそれまで、全然、女性と遊んだ事がなかったのです。40デビューじゃ、デビューするのはいいのですけれど遅すぎるよ。だからこんなに酷い事になっちゃった。

藤井:

デビューが遅い人間は周りが見えなくなる傾向がある?

久田:

大学デビューでもいいのですけれど、もう少し経験をしておけば、あんなにならなかったと思うのですけれど。

藤井:

そこを言い換えると、デビューが早いという事は痛い目を早めに覚えるという事なのか、あるいはルールを身体で覚えるという事なのか。久田さん的にはどういう事なのですか。

久田:

両方なのだけれど、ルールを覚えて痛い目に遭って、恥をかくみたいな事だと思うのです。『生身の暴力論』にも書いた不良少年の心理の話になるのですけれど、「ダサい」という概念が出てくる。「ダサい」か「ダサくないか」が行動規範になっていると思う。「あいつダサい事やっているな」と絶対からかわれたくないから、それが不良少年の行動規範になっている。その「ダサい」という感覚を身につけるのがデビューの早さや遅さになっているのではないかと思うんです。

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■ブレーキのきかない「ノリ」の恐ろしさ■

藤井:

そういう意味では綾瀬の事件は最悪だった。

久田:

最悪でしたね。地元には番長みたいな人がいるじゃないですか。宇梶さんみたいに「そんなダサい事をするんじゃねえ」みたいなふうに怒鳴りつける人がいなかったのではないかと思うのです。

藤井:

罪の思い少年が入る少年院や少年刑務所に取材に行くと、もちろん私語は禁止だしお互いの罪状は知らないけれど、段々ばれるじゃないですか。そうすると強姦とか性犯罪で入ったやつは、暴走族上がりの奴から酷い目に遭うことがめずらしくない。人間扱いされない。クズ扱い。

久田:

ダサいなと、思われる最悪のパターンなんでしょうね。「ダサい」という言葉もずいぶん長く使われていますけれど、便利な言葉で、『生身の暴力論』にもけっこう導入しました。当事者が読んでいて感覚的に「あるある、分かるなあ」みたいなふうに思ってほしかった。「恥をかくな」とか「みっともない事をするな」という言葉は、「ダサい」という一言に集約出来るので使わせてもらったのです。

藤井:

僕もいまちょうど、凶悪犯罪を犯した少年の「謝罪」についてノンフィクションを新書で書いていて、集団リンチ事件の加害者たちがどう賠償をしているのか、していないのか。現実はかなり悲惨な話です。被害者の遺族から話を聞くのですが、逃げている加害者もいれば、困窮生活をしながら賠償金を支払っている者もいる。集団リンチなんて、「ダサさ」の一つの代表的なものだと思います。一人の無抵抗の相手に寄ってたかって、頭を鉄パイプで殴る。それを何十発もやる。ほとんどがそういうパターンです。少年の喧嘩は毎日の様に日本中で起きているのだけれど、何故そのような凄惨なものになってしまうのか。やっている連中は、中には本当に悪い奴もいれば、その周りに付和雷同的に付いているちょっと粋がった奴もいる。

久田:

殺人の前段階で人を殴るという事があると思うのだけれど、人の顔面を思い切り拳で殴るって、初めての人はまず出来ないと思うのです。一発目で本気で殴れる奴って暴力の天才だと思うのですけれど、たとえば花形敬はいわゆる天才だと思います。それを一回やってしまうと、殴らなくてはいけない状況が多々、出てくる。不良少年の場合は殴らないと先輩にリンチをくらう。一線を越えると殴る事に麻痺してしまう。その次は、暴走族は必ず武器を持ってくるので、どんどんボーダーラインがなくなっていく感じだと思うのです。しかし、寄ってたかって何発もという陰惨なものは、僕の中の「暴力」観には該当していないというか、ただのリンチですよね。

藤井:

本人達はタイマンだと言っているけれど、一人ずつ変わりばんこでやっているからリンチです。最後は川に蹴り落としたりとか、大体パターンは決まっている。病院に連れて行って倒れたのを助けたと嘘を吐いて、すぐにばれるから、あっと言う間にパクられるのがほとんどのパターンです。だいたい14歳から19歳の間ぐらいの少年です。

久田:

昔からそういうことはあった事らしく、必ずしもタイマンでやっているわけではないのです。結構、卑怯だった。今35歳くらいの元暴走族に訊いても、「そりゃそうですよ」と言います。刑務所に入って、いかに自分が酷い事をやった自慢をする奴もいます。僕の知り合いに15歳からヤクザの世界に入って、今はかたぎなの人間がいますが、その自慢を聞いて「本当にみっともないと思った」と話していました。悪いコミュニティにいると、悪い自慢、酷い事をやってきたことがどんどんエキサイトしてしまうのではないかと思うのです。

藤井:

いつも何故、そこで誰かが止めなかったのだろうと思ってしまう。それを集団心理と言ってしまえば簡単なのでしょうけれど、そういうのは久田さんから見るとどう思いますか。

久田:

僕はよく暴走族から聞くのは「ノリ」です。「一言で言うと、ノリですね」と彼らは言います。それは少年だからという面もあると思うのですけれど、少年院や少年刑務所に入った後に、その「ノリ」が続くか続かないかは個人差だと思います。けれど、「ノリ」というのは怖いと思います。

藤井:

言葉としては分かりますけれど、そのノリというのはどういう事でしょう。暴力の理由はたいした事ないですよね。悪口言ったどうのこうのという、稚拙きわまりない。

久田:

「ノリ」はつきつめると、精神医学的なところに入って説明せざるを得なくなると思うのですけれど、僕は部外者なので誰がどういうふうにか説明してほしいなと思います。おっしゃる通り、集団心理なのでしょうけれど、学術的に考えるという部分は今回の本では逃げてしまいました。

藤井:

不良ではなく、わりと普通の子達がそういうのに入ってしまう。中心になるやつは割と悪い奴が多いけれど、大きなグループではない。普通の子達をそいつが束ねている。

久田:

大きなナントカ連合というかんじではない、普通のグループなのですね。

藤井:

同級生同士とか、先輩後輩とか遊び仲間という程度の人間関係です。

久田:

川崎の事件はまさにそれですね。犯行に直接関わって逮捕をされたのは3人ですが、周囲にはもう少しいたようです。

第三回に続く

ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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