Yahoo!ニュース

【沼津市】「千本浜歴史ウォーク」ぬまづ観光ボランティアガイドが甲冑隊を実演

NumaLens地域ニュースサイト号外NETライター(沼津市)
駿河三十三観音霊場の第31番札所の長谷寺

静岡県沼津市にある千本浜公園の周辺をウォーキングしながら、地域の歴史を学ぶイベント「千本浜歴史ウォーク」が2024年9月29日に、千本浜公園内の八角池を発着地点として開催されました。

このイベントでは、約2時間のウォーキングを通じて、戦国時代からの千本浜海岸や沼津出身の歌人・明石海人について深く学びました。ガイドを務めたのは、「ぬまづ観光ボランティアガイド」の皆さんです。参加者は数名ずつのグループに分かれ、ガイドの案内とともに出発しました。

武田軍と北条軍の戦いを再現
武田軍と北条軍の戦いを再現

今回のコースの目玉の一つは、千本浜海岸で行われた甲冑隊の実演でした。現在の静岡県東部地域はかつては今川家、武田家、北条家が治めて安定した時期が続いたものの、今川義元が織田信長に敗れると、三枚橋城を拠点にしていた武田軍と、長浜城(内浦重須)を拠点にしていた北条軍が争うようになりました。今回は合戦の一つである駿河湾海戦の様子が、甲冑姿で再現されました。立派な甲冑でしたが、実はダンボール製だったそうです。

千本にある首塚の碑
千本にある首塚の碑

また、激しい合戦の実感を強く与えたのが、首塚の話でした。明治時代に千本松原の中から、多数の人間の頭骨が発見され、発掘調査の結果、駿河湾海戦の犠牲者と考えられています。100体以上の人骨のうち3分の1が若い女性だったという事実に、多くの参加者が驚いていました。

乗運寺にある増誉上人像
乗運寺にある増誉上人像

コースの終盤では、乗運寺を訪れました。千本松原には何度か危機が訪れましたが、今回は2つが紹介されました。。まず、武田軍と北条軍の合戦によって、防風林としての松が伐採され、潮風の影響で稲や野菜が育たなくなってしまったことです。困り果てた村人たちを救ったのは、旅の途中で沼津を訪れた増誉上人でした。「一本植えては南無阿弥陀、二本植えては南無阿弥陀」と唱えながら粘り強く松を植える姿に心を打たれた村人たちも協力し、嵐にも耐える松林ができたそうです。二つ目に紹介された危機は大正時代、松林を材木にしようとする動きに対し、歌人の若山牧水が反対運動を起こしました。乗運寺には、増誉上人の像と若山牧水およびその家族のお墓があります。

千本浜公園内にある明石海人の石碑前にて
千本浜公園内にある明石海人の石碑前にて

今回の歴史ウォークを締めくくったのは、昭和初期の歌人・明石海人の紹介でした。沼津に生まれ、教員となったものの、ハンセン病と闘いながら創作活動を続けました。その人生が紙芝居で紹介され、彼の歌集「白描」の作品から、詩吟が披露されました。

千本浜海岸は、沼津市民にとって馴染みのある場所ですが、その歴史は意外と知られていないようです。身近な地域の歴史を学ぶことで、参加者の地域への愛着が一層深まるとともに、歴史を学ぶことの大切さ、面白さも感じられたイベントでした。

ぬまづ観光ボランティアガイドでは、今後もウォーキングイベントを企画しているそうです。

千本浜公園

静岡県沼津市本字千本1910-24

地域ニュースサイト号外NETライター(沼津市)

静岡県沼津市に住んで30年。沼津市のまちづくり、ひとづくりに関するイベント、季節の行事などを追いかけています。2024年7月より地域ニュースサイト号外NETライター沼津市担当。

NumaLensの最近の記事