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老後2000万円不足は何が問題なのか?

津田栄皇學館大学特別招聘教授、経済・金融アナリスト
金融庁のワーキンググループが出した報告書で、事が大きくなった老後資金不足問題(写真:アフロ)

年金が一つの争点になった参議院選挙

 21日の参議院選挙の投票結果が出た。野党は年金を、与党自民党は憲法改正を、主な争点にして戦ってきた。それは、6月3日に金融庁から公表された報告書が、老後生活において年金だけでは足らず、2000万円が必要だという内容だったため、野党は、年金を攻撃材料として、自民党は、国民からの非難を避けるために、争点をずらす選挙戦略を採ったといえる。

 選挙は、与党が過半数を維持できたものの、憲法改正に必要な議席を確保できなかったという結果だった。すなわち、金融庁の報告の影響は、軽微にとどまったものの、憲法改正には賛同を得るまでにはいかなかった。つまり、与党も野党も痛み分けの結果ということになろう。

争点のきっかけは

 さて、選挙の争点の一つとなった、老後の生活に2000万円不足するという金融庁のワーキンググループの報告書だが、内容的に、平均高齢無職世帯モデルを使っての仮定の数字であって、現実の世界とはかけ離れた、参考にならないものといえる。そもそもこのワーキンググループのメンバーを見れば、銀行や証券の関係者や、それに近い学者などで構成されており、金融庁の意向を受け(メンバーは金融庁の指名で選ばれた有識者)、家計金融資産1800兆円が証券市場にお金を回るように作られた報告書といえる。

 この老後2000万円不足が問題になったきっかけは、2004年小泉政権時年金不信が国民に広がっているなかで成立した年金改革法である。この時、公明党が「年金100年安心プラン」と呼んで、国民に老後の年金生活は安心だと思わせたのである。

 この年金改革法は、そもそも、現役世代の年金掛け金の上限を設定して負担を限定する一方、マクロ経済スライド(賃金、物価の上昇率より年金給付額の上昇率を低くする、つまり年金給付額を減額していく仕組み)を導入することによって、年金制度だけを維持しようとするものであって、老後を年金で生活できるように年金給付額を維持するものではなかった。

 それを、公明党は、選挙に勝つために「年金100年安心プラン」と言って、国民をミスリードし、誤解を植え付けたのが今回の問題の原点である。

三つの疑問

 個人的には、この老後2000万円不足問題では、三つの疑問を感じる。

―(1)国民の誤解を招いたのは

 一つ目は、一部のマスコミや専門家などが、そもそも国民は年金だけでは老後は生活できないことを知っていたはずだ、少なくとも薄々そのことを知っていたはずだ、だから、早くから貯蓄などして資産を現役時代に蓄えるべきなのに、今更問題だというのはおかしいという、上から目線の言い方である。しかし、なぜ国民は年金だけで老後はなんとかなると思ったかである。それは、国民にミスリードした公明党の「年金100年安心プラン」というネーミングである。

 公明党の説明には、この年金改革で「少子高齢化が進んでも年金水準が下がらないようにすることができ、将来世代ほど年金給付が減るとの国民の不安(世代間格差)を和らげることができるのです」となっている。そうであれば、当時、国民が誤解しないために、マスコミや専門家などは、自分も含めてだが、公明党の説明は間違っている、年金改革は制度の維持のためであって、年金支給額の維持ではない、やはり老後は年金では足りず、それなりの資産を蓄えるべきだと声高に言うべきであったはずである。その点で、ミスリードは、公明党だけでなく、それを鋭く批判しなかったマスコミや専門家なども許したともいえよう。

 もちろん、本来ならば、第一に、政治家が、国民にしっかり正確に説明すべきだったのだが、それをしてこなかったといえよう。それは、間違ったネーミングでミスリードしてきた公明党だけでなく、年金100年安心プランとは言わなかったが、あいまいな姿勢を取って強く否定しなかった自民党、国会でこの改革は制度の維持するための改革だと指摘した共産党を除いて、明確にこの改革法を国民に説明してこなかった他の野党も、責任があるといえよう。

―(2)老後年金生活は一律ではない

 二つ目は、最初に書いたように、この老後2000万円不足は、あくまでモデルケースであり、ただの試算である。これがすべてに適用されるものではない。むしろ、このモデルケースは、東京など都市部に住む年金受給世帯を想定しているようだが、支出の内訳を見ると、教養娯楽やその他の消費で約79,000円/月かかるとしており、都市部で、現役時代と同じ生活をしようとした、少し裕福な老後生活を想定したモデルケースといえる。

 その点では、住む場所によって支出額が違うことを考えれば、このケースは参考にならない。地方では、家とちょっとした農地などを持っていれば、住居費や食費、娯楽、その他の消費も都市部ほどかからない。生活費が10万円ほどですむところもあると聞く。

 また、年金受給期間が95歳までの30年間とする前提で2000万円足りないというが、現実にそうなるか分からないから、あくまで仮定と言うほかない。そう考えると、老後生活で必要な生活費は、個々人が置かれている環境によって異なるのであって、一律に2000万円足りないというものではない。

 付け加えると、2016年の厚生労働省の国民生活基礎調査によれば、高齢世帯も現役世帯も、約15%前後が貯蓄なし、貯蓄ありでも2000万円を下回っているのは、7~8割を占める結果となり、年金で生活できない世帯が今後大きな問題になろう。それだけに、老後は、年金よりも生活保護が問題になるかもしれない。

―(3)老後生活のための資金を強調すると、経済がおかしくなる

 三つ目は、老後2000万円不足問題は、間違えれば、個人消費を抑制し、経済にマイナスになる恐れがあることだ。今も個人消費が伸びないのは、将来不安があるから、消費を抑制しているからだといわれる。つまり、国民は、老後のために、さらにこれまでの生活を改めて貯蓄や投資に励むことになれば、年金掛け金を支払っている現役も、年金を受け取る定年退職者も、貯蓄を進め、資産を増やそうと節約し、消費を削る動きになり、景気が悪くなるのではないか、である。

 そうなれば、GDPの6割を占める個人消費を中心に伸び悩み、経済は、一段と成長しなくなる一方、物が売れなくなることからデフレ傾向を強める可能性がある。そして、所得が伸びないと、国民は老後を心配してさらに貯蓄に励み、消費は冷え込み、デフレ傾向を強めるというスパイラル的状況が起こり得る。その結果、日本経済はますます衰退していくことになるかもしれない。

求められる抜本的な年金改革

 結局、年金でも老後の生活に2000万円の資金が足りないという仮定の数字が、国民に危機意識を持たせたから、良いのではないかという意見があるが、その結果経済が悪くなり、老後の生活を一段と苦しくするのであれば、何も意味がない。その点で、選挙を終えて、これから年金改革に着手するというが、消費税などの税制、経済などを含めて、世代間の所得移転を基本とする賦課方式の年金制度を維持するのが正しいのか、そのほかに何かないか、抜本的に検討すべきではないだろうか。

皇學館大学特別招聘教授、経済・金融アナリスト

1981年大和証券に入社、企業アナリスト、エコノミスト、債券部トレーダー、大和投資顧問年金運用マネジャー、外資系投信投資顧問CIOを歴任。村上龍氏主宰のJMMで経済、金融について寄稿する一方、2001年独立して、大前研一主宰の一新塾にて政策立案を学び、政府へ政策提言を行う。現在、政治、経済、社会で起きる様々な危機について広く考える内閣府認証NPO法人日本危機管理学総研の設立に参加し、理事に就任。2015年より皇學館大学特別招聘教授として、経済政策、日本経済を講義。

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