「性犯罪者は死刑に」極論だけでは何も変わらない 映画『月光』が促す議論
性犯罪はその実態が伝わりづらく、被害者に向けられる誤解や偏見が少なくない犯罪です。
先日、ある漫画を読んで違和感を覚えた描写がありました。輪姦被害に遭った女性が復讐の相談のために男性主人公の元を訪れるというストーリー。ひと通り話し終わった後、その女性は主人公たち男性2人の前で、いきなりスカートを脱ぎます。彼女はレイプ被害によって下半身に障害を負ってしまい、オムツを履いているという設定で、そのオムツ姿を男性2人に見せるために羞恥心ををおさえてスカートを脱ぐ、という描写でした。
復讐のカタルシスを得るために利用されるレイプ描写
フィクションの中でショッキングな描写を狙っただけといえばそれまでなのですが、なんというか、リアリティーがないなと感じてしまいました。複数の男性から犯されるという被害に遭った女性が、初対面の男性2人の前で、いきなりスカートを脱ぐでしょうか。もっと言えば、密室の中で初対面の男性2人と話をする気持ちになれるかどうか。
思い出したのは、自らの性被害経験を基に『ら』という映画を撮った水井真希監督にインタビューした際のことです。インタビューの中で水井監督は、
と語りました。フィクションの中で「復讐」のための動機付けとして、レイプという性犯罪が使われることはよくあります。しかしその中に、被害者が陥る深刻なPTSDや、偏見から来るセカンドレイプ(二次被害)が未だに繰り返されていること、通報はもちろん、被害に遭ったことを誰にも相談できない被害者が圧倒的に多いこと(※1)を描いたものがどれほどあるでしょうか。フィクションの中では犯人が復讐され、見る人は「スッキリ」することができますが、現実はそうではありません。
全てのフィクションにおいて、性被害を取り上げるならもっと実態について勉強し、真実を描け……というような極端なことを言いたいのではありません。ただ、実態が知られづらく、未だに「レイプ神話」のような偏見の弊害が周知されていない現状において、「性犯罪を現実からなくすために」「性犯罪に対する関心を高めるために」という観点から制作される作品ももう少しあってほしい、知られてほしいと思います。
性被害をテーマにした映画『月光』
6月11日から公開となる、小澤雅人監督の『月光』は、性被害をテーマとした作品です。4月に行われた試写会で作品を鑑賞しました。私が参加したのは女性限定の試写会で、ショッキングな描写があることから、精神科医が立ち会うという配慮がありました。
同じく試写会にいらっしゃったジャーナリストの治部れんげさんもヤフーニュース個人でこの作品について記事を執筆され、性犯罪被害者に向けられる偏見や、小澤監督が性犯罪をテーマに作品を撮った背景をまとめていらっしゃいます。
性暴力を描いた映画『月光』、男性監督が作品に込めた思いとは(2016年5月8日)
作品に込められた「性犯罪被害をフィクションで描くこと」について、小澤監督と、主演の一人、佐藤乃莉さんにインタビューしました。
※インタビューの中で、作品の内容に触れている部分があります。
■作品のあらすじ
ピアノ教師を営むカオリ(佐藤乃莉)は、教え子の一人である小学生ユウ(石橋宇輪)の父トシオ(古山憲太郎)から言葉巧みに連れだされ、レイプ被害に遭う。カオリは教室を休み、ユウを避けるようになるが、実はユウも父から性的虐待を受け続けていた。被害を誰にも言えず、フラッシュバックや自傷行為に苦しむ2人が再会し、向かう先は――。
小澤監督「現実の生々しさに衝撃を受けた」
――性犯罪被害について調べる中で、印象的だったことを教えて下さい。
小澤雅人監督(以下、小澤):『性犯罪被害にあうということ』(※2)という被害者の手記には、被害に遭うまでの経緯が書かれています。自転車に乗っていた際にワゴン車に乗った男性2人から道を聞かれ、答えようとしたら無理やり中に連れ込まれたというもの。その際、被害者は生理中だったのでレイプを免れるかと思ったが、そのままされてしまった。血だらけで車から放り出され、近くの公園で体を洗うという描写があります。その現実の生々しさに衝撃を受けました。
他の方の手記では、帰宅途中にサッカーボールを拾ってあげたら、男性たちに近くの倉庫に連れ込まれて監禁されレイプされたという内容もありました。そこまでやるのかと、男に対する怒りを感じました。性的な衝動に駆られて行っているというよりも、複数でやったり騙したり、計画的であるとも感じました。
――作品内では、カオリもユウも警察へ行かないし、誰にも相談しません。現実でも性犯罪被害者の多くは誰にも相談しないという調査結果がありますが、作品内でそう描いた意図は?
小澤:そこに全く疑問はありませんでした。警察に通報するというアイディアすらなかった。身近な人にですら話すのも大変なこと。カオリのような状態では、なおさら難しいだろうと思います。
――カオリの場合はPTSDから叫んだり、感情的になってしまったりする描写がありますが、小学生のユウは感情をほとんど表に出しません。意図的な対比だったのでしょうか?
小澤:カオリは自分のされたことをわかっているし、PTSDを患っています。PTSDの具体的な症状を調べて、こういう風になるだろうと。ユウの場合は、されたことの意味をわかっていないし、父から「人に言ったらお母さんに会えなくなる」と口止めされている。人に言うという選択肢がなく、抑圧的な方向に向かっています。
――カオリがピアノ教室を休む理由を誰にも言えないことで責められ誤解される様子、街中でフラッシュバックを起こし奇異の目で見られる様子など、負のスパイラルに陥っていく様が、性犯罪被害者を取材する中で見聞きしたことと重なりました。ただ、性犯罪被害に関心のない人からは、「なんで通報しないの?」「なんで感情的になるの?」という疑問も出そうです。ある程度、前提となる知識がないと難しい映画なのかなという印象も受けました。
小澤:そうですね。それはよく指摘されます。実際に疑問の声もありました。でも、ぶれちゃいけないと思っています。わかりやすくしたらただの虚構で、訴求力が弱くなってしまう。ストーリーも大事ですが、カオリやユウという被害者に真摯に向き合いたかった。
ただ確かに、性犯罪の実態を知ってもらうためには(作品以外の場所で)補足は必要だと思っていて、ホームページで解説を載せたり、SNSで疑問に返答したりしたいと思っています。疑問の声が出て、知識のある人たちが「こうです」と回答することで、こういった題材を話しづらくしている世間の空気を少しでも変えていければ。映画はあくまで「きっかけ」でいいんです。だから、問題に興味のある人から、批判であっても何でもどんどん意見をいただきたいです。ニュースで報じられても、犯人が捕まればそれで終わり。これまでは性犯罪について、語り合えるちゃんとした軸がなかったのではないかと思います。(軸をつくることで)性被害についての知識の差をなくしたい。
――実際にあった疑問の声とはどんなものだったのですか?
小澤:男性からの意見で、「お父さんをなぜあんなに普通に描いたのか。もっと男を悪く描けば良かったのに」という声がありました。トシオは、ユウの頭をなでたり、おんぶしてあげたりもする。働いていて、普通の人としての日常生活があることを描いています。「性犯罪加害者が、あんなに普通なんでしょうか?」ということは、よく言われますね。
――男性でも性被害に遭うことはありますし、いろんな人がいるので、「男性にはわかりづらい問題」と言ってしまうのも語弊がありますが、男女の認識の差があるとしたら、どうやって埋めていくべきだと思われますか。
小澤:そこが、この映画が試されていることだと思います。治部さんの記事にもありましたが、被害者の支援団体は男性からの理解を得にくいという問題があります。男性の中には、加害者への糾弾を男性全体への糾弾のように捉えてしまっている人もいるのかもしれません。その価値観をくつがえすのは難しいことだと思います。煽れば溝を深くしてしまう。自分の考えとしては、男性が声をあげるべきだと思っています。男性の中でニュートラルな見方をできる人は理解を示すべきと。
――以前の取材で聞いた、「復讐のカタルシスを味わうために使われるレイプ犯罪」という言葉が、強く印象に残っています。
小澤:復讐を描くほうが映画として見やすいし、カタルシスもある。でも自分の映画ではそれをやったら根本が揺らぐ。多くの被害者はそんなことしないしできません。
また、たとえば加害者が復讐されて死ねばそれでいいのかという問題もあると思います。ネット上では「性犯罪者は全員死刑にしろ」とか「チンコを切れ」という言葉であふれています。極論だけ。「死刑にすればいいんだ」で議論を終わらせるのではなく、トシオがああいったことをする前に周囲が気づけなかったのか、なぜレイプという犯罪を行ったのか、今後矯正できるのか、できないのか。ユウやカオリの不安定な状況に気づいて助けられる人はいないのか。そういったことを考えてほしい。
――確かに性犯罪のニュースについて「死刑にしろ」というコメントは多いですね。一方で映画の予告編に「性犯罪が『なかったこと』にされる社会で」とあるように、実際「女性にも隙があったんだろう」とか「女の自意識過剰」とか、犯罪を無効化するコメントも多い。両極端だと感じます。
小澤:建設的な議論になりにくいんですよね。感覚で拒否してしまう人が多いのかもしれない。そのためにも、こういった映画が議論のきっかけになればいいと感じています。
佐藤乃莉さん「カオリの複雑な感情を表現できていれば」
――PTSDに苦しむカオリになりきるというのは、なかなかツラいことなのではないかと見て感じました。
佐藤乃莉さん(以下、佐藤):演じている間はツラかったですね。誰かが覆いかぶさってくる気がしたり、トシオ役の役者さんを現場で見て緊張したり。本番に入る1週間前からカオリでいろと監督から言われて「自殺させる気ですか?」って怒ったりしました(笑)。撮影中は体も心も疲れて、自分自身が気持ち悪いと感じているのか演技なのかわからなくて、周りに助けられることもありました。でも撮影が終わった今は、カオリでいられたことは自分の宝だと感じています。
――カオリは複雑な気持ちを抱いている女性です。共感するところと、そうではないところを教えて下さい。
佐藤:カオリは欲しいものが手に入らない人生で、根本にはさみしさがある。そこは共感しました。私自身、3人兄弟で父親が全員違うという人生を送ってきているので、通じる部分があったのだと思います。オーディション前に台本をもらってからずっとカオリのこと、彼女のさみしさのことを考えていました。一方で、ラストに近いシーンで、彼女がある男性に自分が一番やりたくないことをする場面がありますが、そこは難しかったですね。でも、演じていくうちに次第に理解できるようになりました。
――出演する前に性犯罪への関心はありましたか?
佐藤:痴漢もそうですが、周囲に多くの人がいる中で行われる犯罪は怖いというより気持ち悪い。駅で歩いていたら、すれ違いざまに若い男性からエルボーされたことがあります。すれ違ったほうとは逆側を殴っているので、明らかにわざとなんです。わざとぶつかられたと感じることはときどきあって、友達からもそういう話を聞きます。意味がわからないし、大勢の人がいる中でそういう行為が行われるというのが気持ち悪いと感じます。
また、4年間海外にいたことがあるのですが、当時レイプ被害に遭った友人がいました。彼女はそういう被害に遭ってから、紙袋の中にナイフを入れていつもそれを手に握って電車に乗るようになったと言っていました。自分の身を守るために。その気持ちは、カオリを演じる中で「そうだよね、そうするよね」ってわかるようになりました。
さみしさをうちに秘めたカオリが、自分から孤立してしまうこと。被害経験を打ち明けられず周りが離れていくこと、さみしさから愛を求めてしまう気持ち。そういった複雑さを表現できていれば。見た人に伝わるものがあればいいなと思っています。
関心をもつことが寄り添うことの一歩
小澤監督が参考にしたという『性犯罪被害にあうということ』のまえがきで、著者の小林美佳さんは「同情を買いたくない」と書いています。
「犯罪被害者支援」なんて聞くと、弱い者の同情買いのような印象を受けやしないか」
「私が最も遺憾に思うことは、『被害者って、こんなに苦しいんです!』と訴えること。この記録が、そうとらえられないことを願いながら、世に出すことに決めた」
そしてさらにこう綴ります。
「ただ、被害者に対して視線を向けるときのほんの入り口として、読んでほしい」
「知ってほしいだけなのだ」
自分の書くことがどう捉えられるかを厳しいまでに客観的に考え、その上で「知ってほしいだけ」と書くこのまえがきに、やはり性犯罪被害者が被害を打ち明けていくことの難しさを感じずにいられません。『ら』の水井監督にインタビューした記事の中でも書いたことを、再度ここにも書いて記事を終わりにしたいと思います。
関心を持つことは、あなたの世界に被害者を加えること、見えなかった被害者を見える存在にすることです。悲惨な現実を見せられても何もできない、ということはありません。まず知ることが、彼ら彼女らに寄り添うことです。
6月11日から公開/映画『月光』予告編
(※1)強姦の認知件数=1410件、強制わいせつの認知件数=7672件(平成25年/警察庁)。1751人の女性に強姦被害経験の有無を聞いた質問では7.7%が被害経験があると回答(平成23年)。また、強姦被害に遭った女性のうち、警察に相談したのは3.7%。被害者のうち67.9%は誰にも相談していない。(平成26年版男女共同参画白書内、性犯罪の実態)
(※2)『性犯罪被害にあうということ』(小林美佳/朝日新聞出版)