【名古屋市千種区】地震・浸水対策も|名古屋上下水道の歴史が学べる「水の歴史資料館」で大人の社会科見学
千種区には名古屋市の上下水道関連の施設や水にまつわるスポットが数多くあります。その中心的な学習施設、「水の歴史資料館」を訪問しました!
資料館は覚王山から少し北に行った月ヶ丘にあります。駅からはちょっと遠いので、市バスの「月ヶ丘」停留所か「天満通二丁目」停留所からどうぞ。無料駐車場も18台分あります。とにかく暑い毎日ですので「水」と聞くだけでちょっと涼しい気分に♪ 入場料は無料です。
「水の歴史資料館」は名古屋市の上下水道事業100周年を記念して2014年に設立された施設です。ですので名古屋市の上下水道事業は今年2024年で110周年になります。配水場を管理する施設「東山管理事務所」だった建物を改修したそうです。ここでは名古屋の上下水道事業の歴史や役割・防災について分かりやすく学ぶ事ができます。入口に行く途中には名古屋市の歴代マンホール蓋(ふた)が展示されています。
「上下水道110周年特設サイト」もありますので、「水の歴史資料館」の見学後に読むと理解が深まります。
入口前の壁にはだまし絵が描いてあります。ここに立って写真を撮れば、下水道に降りて行っているような写真が撮れます。入口を入った所の床にもだまし絵がありますので写真を撮ってみましょう♪
館内展示
上下水道事業の歴史
「水の歴史資料館」には4つの展示室があり、「第1展示室」と「第2展示室」では江戸時代からの上下水道事業の歴史や役割について、「第3展示室」では使った後の水を処理する下水道関連、「第4展示室」では浸水・地震対策の防災関連、といった展示をしています。今回の取材では、館長様に全館を案内・解説していただきました。本当にありがとうございます!
江戸時代の上下水道
まずは江戸時代の尾張藩の上下水道の展示からスタートです。当時、井戸がない所には既に水道が引かれていたそうです。この頃は木製の水道管を使っていました。水は水源から取り入れてそのまま流されていました。また生活排水は「悪水落」という水路を通って処理をすることなく堀川と精進川(現在の新堀川)に排出されていました。しかしし尿は公衆トイレや長屋のトイレで集められ肥料として取引されていたので、下水には流されませんでした。また堀川は運河として重要な交通路でもあったので、ゴミや泥で詰まらないように定期的に清掃されていたそうです。当時のヨーロッパはし尿も下水や側溝に垂れ流しだったそうですが、江戸時代の日本の都市は非常に清潔だったんですね。
名古屋城下では「巾下水道」という上水道が引かれ、当初は無料だったものの、1727年から利用料として「水道銀」を藩に納める事になったそうです。これはその料金について書かれたものの複製品です。
近代的な上下水道の開始
さて、明治時代になり、明治22年(1889年)に名古屋に市制が施行されたのに伴い、名古屋市でも近代的な上下水道を整備する計画が持ち上がりました。井戸水の水質悪化はコレラなどの伝染病を引き起こすので、殺菌された水が必要になりました。また火事の際も井戸水のバケツリレーではなく、水圧のある水が必要です。
イギリスから来日した内務省衛生局雇工師のW.K.バルトンの計画は費用がかかり過ぎるため実現せず、日露戦争勃発で一時棚上げになった後、水道技師長となった上田敏郎の木曽川から引水する計画が明治41年(1908年)に内務大臣から認可されました。
しかし費用が足らず、英国公債(ポンド債)でも賄う事になりました。これは名古屋市唯一の外国債だったそうです。
大正3年(1914年)に水道事業の主要部分が完成し、鍋屋上野浄水場から給水が開始されました。犬山の取水口から25kmもの距離を4年で完成させたそうです。この旧第一ポンプ所の建物は当時からのもので、1992年まで稼働していました。2012年には名古屋市指定有形文化財に指定されています。
当時の鍋屋上野浄水場はレンガ造りでしたので、そのレンガは「水の歴史資料館」の各所に再利用されているそうです。
これは鍋屋上野浄水場の緩速ろ過池で使っていたレンガだそうです。よく見ると落書きがあって面白いですね。
これは旧急速ろ過池大理石操作台です。
創設期の水道管類です。
レトロな顕微鏡もありました。
近代的な上下水道が引かれたとはいえ、一般家庭ではまだまだ井戸水を使う事が多かったようです。そのため「井戸水は危険で、水道水を使えばこんなにいい事が」というようなリーフレットが配布されたようです。
これは昭和7年(1932年)頃の下水道啓発ポスターです。下水道を引けば蚊も来なくて快適な生活が送れると訴えています。
こちらも同じ頃の下水道啓発ポスターです。下水道を引けば雨で道がぬかるむこともなく、水はけのよい綺麗な街になると訴えています。これらの当時の比較作戦は見ていてとても面白かったです。昭和初期でもまだまだそれほど普及はしていなかったんですね。
市営プールの運営
昭和の水道局は市営プールの運営もしていたそうで、昭和8年(1933年)に名古屋最初の市営プール「振甫プール」が開場されました。競泳用の50mx9コースのプール、及び飛び込み競技専用プール、さらに約1万人の観客を収容可能なスタンドにナイター施設を備えた大規模なものでした。開場後すぐに椙山女学校生徒の前畑秀子さん(日本女性初の金メダリスト)が女子200m平泳ぎの世界記録をこのプールでマーク、戦後は古橋廣之進さんなどがこの地で熱戦を繰り広げたそうです。
昭和42年(1967年)に瑞穂運動場に瑞穂プールが完成し、競泳用プールとしての機能が瑞穂プールに移行すると、老朽化などから昭和47年(1972年)に振甫プールは一旦閉場となります。昭和49年(1974年)に市民プールとして生まれ変わり、市民の憩いの場となりました。
長年市民に親しまれてきた振甫プールでしたが、老朽化や入場者の減少などを理由に2009年に閉鎖され、取り壊されました。現在ではその地には名古屋市上下水道局東部営業センターがあり、隣接する千種区生涯学習センターの駐車場には「名古屋市営振甫プール跡の碑」が建っているそうです。
また、水道局は過去に製氷事業をしていたことがあるそうです。
下水道事業
名古屋市の下水道は、大正元年(1912年)に一部地域から利用が開始されました。昭和5年(1930年)に堀留・熱田下水処理場が運転開始されます。日本初の活性汚泥法(下水に空気を吹き込み、微生物の働きで水の汚れをとる方法で、現在、日本の下水処理場で最もよく使用されている処理方法)による処理場だったそうです。
戦後、昭和30年代になると下水道は目覚ましく普及し、新しい汚泥処理場として昭和39年(1964年)から山崎汚泥処理場が運転開始しました。
下水道供用開始100周年記念デザインのマンホールのふたです。納屋橋がデザインされています。これはカラー版が市内12ヶ所、無彩色のものが約100ヶ所に設置されているそうです。探してみましょう!
カラフルなデザインマンホール蓋は名古屋色いっぱいです。
「下水道広報プラットフォーム」が手掛ける「マンホールカード」というものがあります。全国のご当地デザインのマンホール蓋をトレーディングカードのようにしたもので、各地の配布場所に行くと一人一枚無料でもらえます。綺麗なデザインなので集めたくなりますね! でも転売はしないでね♪ 頑張って全国行脚しましょう。
「水の歴史資料館」でも納屋橋デザインのマンホールカードがもらえます。私もいただきました! マンホールカードは在庫が限られているため、受付で申し出た方に渡しているそうです。
裏はこんな感じです。名古屋市内では北区の「メタウォーター下水道科学館なごや」でももらえるそうで、デザインは名古屋市のマンホール蓋で一番多い「アメンボデザイン」です。
防災対策
「第4展示室」では「浸水」や「地震」の防災対策の展示をしています。これは「ポンプインペラ(羽根車)」というもので、ポンプ内部で回転する事によって中の液体に遠心力を与え、「吸い込んで吐き出す」という働きをするものだそうです。実物はかなり大きくて、直径1m近くあったと思います。
災害が来る前に準備しておきたいものが並んでいました。取材日は南海トラフ地震臨時情報が発表された直後だったので、「しっかり学ばなきゃ!」と緊張感をもって見学しました。
地震が起きて水が止まった場合も、名古屋市各地にこのような「地下式給水栓」というものがあるので水が使えます。蓋を開けると水道の蛇口があります。どこにあるかは名古屋市上下水道局のサイトの「災害時に役立つ施設の検索」で検索してください。公立のすべての小中学校にあります。地域住民が自ら操作して給水できる設備です。
今回一番「そうだったのか!」と思ったのが、この「災害用仮設トイレ」です。「震災用」と書いてあるマンホールは下水道と直結しているそうで、その上にこうした簡易便器とテントを設置すればトイレになるそうです。これは心強いですね。
でも小学校やコミュニティセンターまで行けない場合もありますので、各自で段ボールトイレの作り方を知っておくのは大切です。
屋外展示
「水の歴史資料館」は屋外にも展示物があります。これは名古屋市の下水道創成期に作られたレンガ積みのマンホールです。大正2年から100年以上にわたり名古屋市中区正木3丁目で使用されてきたもので、非常に貴重なものだそうです。
これは創成期の仕切弁で、明治44年製造だそうです。なんかかっこいいですね!
資料館正面にある、堀留下水処理場の初期に使っていたブロワだそうです。
資料館の建物と正面の緑の壁の間のスペースです。この奥の門から「東山配水場5号配水池」に行く事ができます。
東山配水場5号配水池を「天満すいどうはし」から見た写真です。「水の歴史資料館」の前の道路からは見えないので、こんなものがここにあったなんて初めて知りました! 昭和12年(1934年)に整備されたもので、鍋屋上野浄水場でろ過された水をポンプで高台(標高約50m)のここに送り、高低差を利用して市内へ自然流下で配水しているそうです。こんなレトロな見た目の配水池が隠れていたなんて!
「天満すいどうはし」から鍋屋上野浄水場方面を見た写真です。奥にシマシマの建物があるのが分かりますか? あれが浄水場の建物です。こうして見ると、確かに坂になっているのが分かりますね。
反対側を向くととんがり帽子がトレードマークの「東山給水塔」があります。道路からだとあおりの角度になったり電線が写ったりするので、「天満すいどうはし」から撮影するのがベストだと館長様もおっしゃっていました。昭和5年(1930年)、東山配水塔として建設され、昭和48年(1973年)までの43年間、覚王山一帯の高台に配水するために利用されてきたそうです。現在は災害対策用の応急給水施設として大量の水を蓄えているそうです。名古屋の水道事業のシンボルですね。
なおとんがり帽子がついたのは昭和58年だそうです。建設当時はこんな感じでした。今の方がレトロ感がありますね。
金鯱水
見学お疲れ様でした! 最後に受付横にある、キンキンに冷えた「金鯱水」を飲んで一息つきましょう。
名古屋市の水道水は、良好な水質で硬度が低い軟水である木曽川が水源であるため、硬度が19mg/リットル(令和2年度時点)と大都市の中で最も低くなっているそうです。そのため名古屋の水道水はそのままでも「おいしい水」ですので、冷やして飲めばミネラルウォーターにも負けません。名古屋市ではこのおいしい水道水を「金鯱水」と名付け、市内各所の観光地にサーバーを設置しているそうです。金鯱の口から冷たい水が出てきますので、水筒に入れたりして飲んでみてくださいね♪
2024年10月31日までオリジナルマイボトルが当たる「金鯱水キャンペーン」を実施中!
また、名古屋市の水道水を缶詰にした災害用備蓄飲料水「名水」も作られています。災害時のために備蓄しておくと安心です。「名水」は通販で買う事ができるのですが、南海トラフ地震臨時情報が発表されて注文が殺到したため、現在は一時停止されています。
この「名水」ボトルもいただきました。ありがとうございました!(本記事制作にあたってはガイドラインに基づき公平中立に制作しています)こちらはPR用のボトルで、イベントなどで配布されるものだそうです。
周辺の水スポット(水の歴史プロムナード)
「水の歴史資料館」の周辺には水に関するスポットが整備されており、「水の歴史プロムナード」と名付けられてお散歩コースとなっています。
「水の歴史資料館」の道を挟んだ向かい側には「水道給水開始100周年記念碑」が建っており、創設時の東山配水場旧2号配水池の壁を再利用しているそうです。
また、創設期の施設である東山配水場旧2号配水池上部にあった水位計室を記念碑の隣に移設したそうです。
「水の歴史資料館」と「鍋屋上野浄水場」を結ぶ「天満緑道」は、周辺住民の憩いの道となっています。お散歩やジョギングにぴったりですね。
また「東山給水所」と今池を結ぶ「水道みち緑道」の下には水道管が通っており、春には桜が咲き誇るお花見ストリートとなっています。
名古屋市ではこの一帯を「千種公園とみずのみちめぐり」としてモデルコースマップを作っています。
「うるおいライフ」
名古屋市上下水道局では「うるおいライフ」という水に関する楽しい生活情報サイトを作っていますので是非読んでみてください。
私たちの生活に欠かせない水。能登半島地震で長い間断水していたのは記憶に新しい所です。さらに最近の南海トラフ地震の臨時情報でも緊張感が走りました。
きれいな水を作り処理してきた歴史と、災害に備えるための知識を学びに、「水の歴史資料館」に行ってみませんか? 取材時には親子連れの方もたくさんいらっしゃいましたよ♪ 夏休みの自由研究にもピッタリのスポットです。
「水の歴史資料館」館長様、全館をご案内・解説していただき本当にありがとうございました。
水の歴史資料館
住所:〒464-0043 名古屋市千種区月ケ丘1丁目1番44号
アクセス:市バス「月ケ丘」停下車徒歩2分、または「天満通二丁目」停下車徒歩5分
電話番号:052-723-3311
入館料:無料
開館時間:9:30~16:30
休館日:月曜日(休日の場合は直後の平日)・12月29日から1月3日まで
駐車場:普通自動車18台(その内、身体障害者用駐車スペース2台)
公式サイト
名古屋市上下水道局公式サイト
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