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「軽率な発言」への私刑(リンチ)はどこまで許されるのか?

橘玲作家

人気お笑いタレントが深夜のラジオ番組で、女性を貶めるような発言をしたとして炎上騒ぎに発展しました。

発言の経緯を見ると、リスナーから「コロナの影響でしばらく風俗行けない。思い切ってダッチワイフを買おうか真剣に悩んでいる」との相談が寄せられ、「苦しい状態がずっと続きますから、コロナ明けたらなかなかの可愛い人が、短期間ですけれども、美人さんが、お嬢(風俗嬢)をやります。なんでかって言うたら、短時間でお金を稼がないと苦しいですから」「今我慢して、風俗に行くお金を貯めておき、仕事ない人も切り詰めて切り詰めて、その時のその3カ月のために、頑張って今歯を食いしばって、えー、踏ん張りましょう」と述べたとされます。

たしかに軽率な発言ですが、その趣旨はリスナーに対し、「この時期に風俗に行くのは我慢して感染拡大を防ごう」というもので、その理由として「コロナが収束したらいいことがある」との軽口で笑いを取ろうとしたのでしょう。男同士の会話としてはよくあるもので、「経済的に困窮する女性を蔑視している」といわれればそのとおりでしょうが、芸能人として社会的生命を断たなければならないほどの「罪」とは思えません。

この事件をはじめとして、SNSなどで広がる炎上騒ぎの問題は、罪の重さが恣意的に決められていることです。当然のことながら法治国家では、罪を判定し刑を科すことができるのは司法だけです。もしその行為が違法でないのなら、どれほど不愉快であっても、表現・思想信条の自由として許容するのがリベラリズムでしょう。

ところがネット上の「道徳警察」は、自分たちで罪を認定し、本人が謝罪してもなお「謝り方が気に入らない」として番組からの降板を求める署名を集めています。これは「私刑(リンチ)」であり「公開羞恥刑」以外のなにものでもありません。

かつては多くの国に、公の場で恥をかかせる羞恥刑がありました。18世紀のアメリカでは不倫をした妻と間男は2人とも公開のむち打ち柱で打たれることになっていましたが、その後、「公衆の面前で屈辱を与える刑罰は死刑よりも残酷である」との批判が高まり、19世紀半ばまでにほぼ廃止されます。ところがその羞恥刑が、21世紀になって「私刑」として復活したのです。

道徳バッシングがなぜこれほどまでひとを夢中にさせるかというと、それがきわめて強い「快感」をもたらすからです。脳科学は、不道徳な行為を罰すると脳の快感回路が刺激されて神経伝達物質のドーパミンが分泌されることを明らかにしました。

ネットニュースでもっともアクセスが多いのは「芸能人」と「道徳」の話題だといいます。芸能人の不道徳なスキャンダルはこの2つの組み合わせですから、ページビューを増やして手っ取り早くお金を稼ぐもっとも効率的な方法です。

こうしてニュースを提供する側の利益と、そこから快感を得ようとするひとびとの欲望が一致して、異様な公開羞恥刑が起きるのでしょう。この仕組みはきわめて強固なので、私たちはこれから何度も同じような光景を見ることになるはずです。

参考記事:岡村隆史「コロナ明けの風俗を楽しみに」貧困セックスワーカー増加を歓迎し猛烈批判

参考:ジョン・ロンソン『ルポ ネットリンチで人生を壊された人たち』 (光文社新書)

『週刊プレイボーイ』2020年5月18日発売号 禁・無断転載

作家

作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。最新刊は『言ってはいけない』。

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