「アフター/ウィズコロナ」で見捨てられるライブハウスと音楽興行 「15%」の先にある未来は?
政府の発令した緊急事態宣言が8都道府県を残して解除され、東京における感染者数も現時点では一時よりもだいぶ低水準にとどまっているなど、徐々に社会のフェーズを「アフター/ウィズコロナ」に移行させるタイミングに入ろうとしている日本。
一方で、音楽に関する興行を巡る環境は好転の兆しを見せていません。むしろ、「アフター/ウィズコロナ」の流れから取り残される、強い言葉を使えば見捨てられるかのような状況が顕在化しつつあります。
名指しされ続けるライブハウス
5月14日に行われた緊急事態宣言の一部エリアでの解除に関する記者会見において、安倍総理はこのように語りました。
専門家のみなさんが取りまとめた新しい生活様式も参考に、3つの密を生活のあらゆる場面で避けていただきたいと考えています。
特に3つの密が濃厚な形で重なる接待を伴う飲食店、バーやナイトクラブ、カラオケ、ライブハウスへの出入りは、今後とも控えていただきますようにお願いいたします。
いずれもこれまで集団感染が確認された場所であり、身を守るための行動を重ねてお願いいたします。
安倍総理は過去の会見でも、感染の初期段階で「クラスター」が確認されたライブハウスを都度名指しすることで何らかの警戒を促してきました。一部のライブハウスで行われる催しがいわゆる「三密」に該当するということに反論するのは難しいですし、そこでの活動が一様にすべて解禁されるのは非現実的だというのは理解できます。
ただ、それでもなお、こういった会見での発言には「ライブハウスといっても規模や運営形態などいろいろある」という当たり前の事実への配慮が著しく欠けているように感じます。
「オンラインで」「知恵はない」丸投げされる興行のあり方
コロナウィルスが「根絶」されるのは難しい、ワクチンや治療薬の実用化にも時間がかかる、という中で、「それでも社会を維持するためにどのように生活を行うべきか」についてのガイドラインが各所で示されつつあります。
そういったものの中でも、ライブハウスに代表される音楽の興行に関しては、「なげやり」「丸投げ」としか言いようのない乱暴な記述が散見されます(これは音楽に限らず、興行・エンターテインメント全般に当てはまる話でもあります)。
たとえば、「専門家会議」が発表してすでに既成事実化しつつある「新しい生活様式」にはこのような記述があります。
この記述だけでカラオケについては無条件でアウトとなるような書き方ですが、歌や音楽を「オンライン」でどのようにエンターテインメントに昇華させるのか、という非常に大きな命題が関係者に放り出される形となっています。
また、東京都医師会が発表した「新しいライフスタイル」にあるのは下記のような記述です。
(※注:パチンコについて「クラスターが本当に発生した」事実はないということで別途訂正と謝罪がありました)
もちろん、今後の興行のあり方を考えるべきなのは業界関係者であり、専門家会議や医師会ではありません。そういった前提を考慮したとしても、ここまで率先して事業を停止することで感染の抑止に貢献してきたセクターに対する配慮が感じられないこういった物言いには、何とも言えない違和感を覚えます。
(もっとも、より本質的な問題は、「感染症や医学の専門家が」「専門外である”生活のあり方”について考えて」「それが既成事実として流通している」という構造にあるわけですが)
「15%」で何ができるのか
「新しい生活様式」については「業種ごとの感染拡大予防ガイドラインは、関係団体が別途作成予定」と付記されており、この先音楽業界としてもう少し実情に沿った形でのガイドラインが提示されていくはずです。
一方で、「ソーシャルディスタンス」を意識する中で必ず問題になってくるのが、「ライブ会場にどれだけの人を入れることができるか」という問題です。
また、大阪府が作成した劇場などに関するマニュアル通りに座席間隔の確保などを行うと、席数の概ね15%程度しか動員できないことが報道されています。
また、沖縄の宜野座村文化センターがらまんホールにて行われた「ソーシャルディスタンスを確保して客席に座る実験」によると、400人キャパのホールに入れることができるのは60人。やはり総キャパシティの15%です(下記ツイート内のFacebook投稿参照)。
スタンディングのライブハウスからアリーナに席を入れる大規模公演まで状況は様々ですが、現状のいくつかのトライを見る限り、イベントに参加可能な人数として「会場の15%(=85%は空席にせざるを得ない)」という目安が導き出されます。
言い換えれば、「チケット収入が最大でこれまでより85%減少する」ということです。
これでは、「歌や応援をオンラインで」考え直す前に、ここ10年ほどで「ライブでの体験」を中心にビジネスのあり方を変化させてきた音楽業界そのものが限界に至ってしまう危険性すらあります。
「自助」の限界
「音楽業界」と一口に言っても(前述のとおりライブハウスがそうであるように)、強固なファンベースを持つ国民的なミュージシャンから、地方の零細企業でしかないイベント会社まで、その規模と形態は様々です。また、スポットライトを浴びる華やかな世界というイメージも強固です。そういった事情からか、「業界への支援を」という声を上げたとしてもその実情や切迫感がなかなか伝わりづらい、広まっていきづらい状況があるように思います。
現時点で業界における打開策として期待されているもののひとつがクラウドファンディングです。有名なクラブやライブハウスの危機を救うべく、多くの音楽ファンが個人的に出資し、複数のプロジェクトがサクセスしています。また、投げ銭という形でオンライン上でのお金の流れを新たに整備する流れも見られます。
ただ、こういった動きはとても「美しい」ものではありますが、「ファンの善意」に頼った仕組みであり、必ずしも持続可能なものではありません。そういった中で、今のところは持ちこたえているライブハウスなどの事業体も少しずつ追い詰められています。
現状の動きを見る限りでは、「ライブ中心の産業構造」「感染の初期段階から事業活動を大幅に停止」「今後に向けた見通しも不透明」という音楽業界は、「アフター/ウィズコロナ」の社会の中での再起がかなり後ろになってしまう可能性があります。そして、本稿では音楽を題材としていますが、おそらく近しい課題が音楽以外のエンターテインメント、興行ビジネスについても横たわっていると思われます。
なかなか前向きな話をしづらい状況ではありますが、こういった音楽業界の状況を通して、社会におけるエンターテインメントのあり方や位置づけについての議論と理解がより深まることを期待したいです。