政治的なテーマは公共施設で話してはいけない!?さいたま市の条例への疑問
さいたま市で起こっていること
「市民活動」は「政治」に関わってはいけないというさいたま市議会の判断への疑問
数日前に上記の記事を書いた。内容としては以下である。
市が指定管理として業務を委託しているさいたまNPOセンターにおいて”政治活動”を行っている団体が多数あることを問題視した議員が、
指定管理制度をやめ、市の直営化へと移行するようにとの条例案を出した。
自分の見解として、
と述べた。
今回はこの記事の 続報として書いている。
まずは、結果として16日の議会でこの条例は賛成多数で可決された。
内容に関していくつかのメディアでも報道がなされている。
NPO運営施設 市が直営化へ- NHK 首都圏 NEWS WEB
http://www.nhk.or.jp/shutoken-news/20151016/5739121.html
政治利用している…さいたま市民活動センター、NPOの運営停止へ
そもそものさいたま市の”市民活動”の定義
なぜこのような状況に至っているのか改めて整理をしてみる。
1:さいたま市民活動センターは市の施設
この施設はさいたま市からの指定管理者としてさいたまNPOセンターが運営を行っている。つまりは市の施設である。
2:市の条件の範囲内での運営が必要
つまりは、指定管理者としても市の定める条件の範囲内での運営を行う必要がある。
市が、市民活動サポートセンターの活動については「さいたま市市民活動サポートセンター条例
」に定められている。
その冒頭に
と書かれている。
つまりはそもそもの「さいたま市市民活動及び協働の推進条例」に基づいて運営されていくということ。
この条例においては市民活動を以下のように定めている
色々と並べたがまとめると
「政治上の主義を推進し、支持し、又はこれに反対することを目的とする活動 」をさいたま市は「市民活動」ではないと条例で定めている。そして、この条例に基づいた運営を求められる市民活動サポートセンターは「政治上の主義を推進し、支持し、又はこれに反対することを目的とする活動」を、市民活動として認めてはならない。
ということになる。
そのため今回の決議に至るわけだ。
発議者の青葉健二議員の発言
発議者である青葉議員は6月議会の際にもこのことについて質問をしておりその発言の内容を一部抜粋する。
さらにNHKのインタビューの中で以下の発言をされている。
青葉健二議員の考えを読みほぐすと
1つ目は、さいたま市の条例の中で「市民活動」から除外されている「政治上の主義を推進し、支持し、又はこれに反対することを目的とする活動 」を行っている団体が登録されていること。
2つ目は、これらの団体が市の施設を優先利用しているということ。登録団体のみしか使えないスペースがあり、自治会などは使えないことをおかしいと思っている。
3つ目は、「市民活動を委縮させるつもりはない」ということ
4つ目は、「国論を2分するような」ものは市民活動ではないということ。影響の範囲が市の範囲をこえているからという考えだと思う。
これらになるのかなと。
※ただ、青葉議員に直接話を伺ったわけではないのでインターネット上で調べられる範囲の話であることに留意ください。
「市民活動」の定義を曖昧にしたままのセンターの運営がなされてきたことが今回の議論へとつながる
上記にも述べたように、センターはさいたま市の条例の範囲内での運営が求められている。
となればその中にある、「政治上の主義を推進し、支持し、又はこれに反対することを目的とする活動 」は市民活動ではなく、センターの利用対象とはならないことは知っているはずだし、さらにいえば使用者に対してこのことを徹底する必要がある。
しかし、正直「政治上の主義を推進し、支持し、又はこれに反対することを目的とする活動 」というのが何なのかは様々な解釈ができるだろう。
NHKのニュース内で利用者の以下の声が取り上げられている
この方の意見もわかる。しかし、同時に「拉致問題の解決は政治的な課題だ!」 と言われても自分は納得する。
つまりは、曖昧なままの運営が続いてきたことにより、「市民活動」に対しての考え方がセンターの運営の中での考え方と違う青羽議員からすれば納得いかないということだろう。
そしてさらに、自治会が使えないのに、”政治活動”をしている団体が使えることへの怒りもあり今回の決議に至ったのだと思う。
そもそも、さいたま市の「さいたま市市民活動及び協働の推進条例」の見直しを
この問題の根本は「さいたま市市民活動及び協働の推進条例」にあると思う。
この条例は
とある。
俺からすれば、活力のある地域社会を実現するためには政治が全く関わらない範囲で活動を行うなんて現実的ではないと思う。
なので市民活動から「政治上の主義を推進し、支持し、又はこれに反対することを目的とする活動 」を除外するということがおかしい。
繰り返しになるが、まずこの除外対象がよくわからない。「政治上の主義」とは何か?
ゴミ拾い団体は市民活動であり、政治活動ではないということに意義を唱える人は少ないだろう。 では、その団体が団体の活動の際に「受動喫煙防止条例の徹底が必要だ」とでも言っていれば市民活動から除外されるのか!?
青羽議員の主張がわからんでもないが、これだけ市民との協働や、民間の力が求められている時代だ。政治が政治家がなんでもするという時代ではない。
センターの利用の在り方を見直すのではなく、根本の「市民活動」の定義から見直す必要があるという議論を進めて欲しいなと思う。
集まる「場」がある可能性
少し余談にはなるが最後に「場」について2つほど。
昨年ミャンマーに行った際にこんな話を聞いた。軍事政権が強権的な力を持っていた際には、人が集まることができる集会所的な場所をどんどん閉鎖した。なぜなら人が集まるということはそこで様々な企みが行われ、もしかすると政権に不利な力が出てくるかもしれないから、集まる場所をそもそもなくそうという考えだ。
さらに、昨年ヨーロッパに行った際に「ユースセンター」の視察を行った。若者と社会をつなげるために、あるいは若者の自発的な活動を促すために、若者がふらっと訪れることができる場所が必要だ。決して社会貢献などの目的を持ってくる必要はない。だけど、集っている若者同士の会話の中で勝手に色々な企画が生まれる。
「場」があるから一人ではなく複数人で集うことが出来、複数人で集うことにより色々な動きにつながるわけだ。
「場」の運営方法を見直すことはあっても、「場」が市民側の論理ではないルールによって一方的に制限されることはなってはならない。
さいたま市のこのセンターに関しても話し合い歩み寄りが行われて、相互の理解が増し、新たな運用へとつながって欲しい。
NPO法人YouthCreateとしても「場」を作りたいという妄想はある。