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43歳で認知症に――絶望からの転機と当事者だからこそ伝えたい思い #病とともに

佐々木航弥映画監督・映像ディレクター

「43歳で認知症と診断されたときは、絶望しかなかった」。2023年9月に「とうきょう認知症希望大使」にも任命された、さとうみきさん(48)は「若年性アルツハイマー型認知症」と知らされた時の心境をこう振り返る。ネットで認知症について調べても、出てくるのは暗い話ばかり。絶望に沈んだ。それから5年。周囲の支えもあり、いまは全国を飛び回り、当事者だからこそ伝えられる思いを講演で発信している。ほかの若年性認知症の当事者とも積極的に交流を深め、同じ認知症の仲間同士で暮らしの中での工夫も共有している。「私は認知症になってから、人生の第2章がスタートしたと思っている」。そう語るさとうさんの活動を追った。

●若年性認知症と診断されて

「私も認知症かもしれない」。さとうさんがそう感じたきっかけは、たまたま目にしたテレビドラマだった。若年性認知症の主人公が、同じ商品を何度も買ってしまったり、友人との約束をすっぽかしたりする姿が描かれていた。自分にも当てはまることが多かった。思い立ったらすぐ行動に移すタイプだというさとうさんは、「まさか自分がそんなはずがない」と思いながらもネットで検索してみた。それで知った近所のクリニックで検査を受けると、「若年性アルツハイマー型認知症」と診断された。

65歳未満で認知症と診断されると、「若年性」と呼ばれる。高齢者と比べても医学的に大きな違いはないが、圧倒的に数が少ない。特に50歳未満で診断されるケースはごくまれだという。

身近に認知症の人はおらず、ネットでさらに調べてみた。すると出てくるのは「予後が良くない」「数年で寝たきり」といった言葉ばかり。「息子も立派に成長してくれていたのに、その後の生活を見守ることもできないんだと思った。何もかも忘れてしまうんだと。とにかく絶望しかなかった」と振り返る。

●「人生はこれから」と思えるまで

「DAYS BLG! はちおうじ」でスタッフとして働くさとうさん
「DAYS BLG! はちおうじ」でスタッフとして働くさとうさん

そんな中で出会ったのが、東京都八王子市にあるデイサービス「DAYS BLG! はちおうじ(BLG)」の代表・守谷卓也さん(54)だ。「ウチは若年性認知症の人も多いし、一度遊びに来ない?」。こう誘われたさとうさんは、勇気を出して行ってみた。そこで目にしたのは、驚きの光景だった。利用者たちが、笑顔で生き生きと暮らしている。認知症の当事者と初めてふれ合い、「自分だけじゃない」と感じられたという。あまりに楽しそうにしているさとうさんを見た守谷さんは、「よかったらスタッフとして働いてみない?」と声をかけた。

認知症の自分をスタッフとして誘ってくれるなんて思ってもいなかったさとうさんは、思わず「私、認知症なんですよ?」と聞き返した。守谷さんは「当事者同士で分かり合えることもあるだろうから」と答えてくれた。

さとうさんは結婚を機に長らく専業主婦をしていた。社会に出て働くのは久しぶり。「私はここにいていいんだと、居場所を見つけられた感じだった」という。他のスタッフにも支えられながら、事務仕事や利用者のサポートなど認知症の当事者のスタッフとしてさまざまな仕事をこなした。

BLGでは利用者のことを「一緒に活動していく仲間」という思いを込めて「メンバーさん」と呼ぶ。そんな人たちと一緒にいることで、さとうさん自身も勇気を与えられた。「認知症になっても、たとえ物事を忘れてしまったとしても、楽しいと思える『その瞬間』は変わらない。認知症になってもまだまだ人生はこれからだと思えた」

●当事者ならではの話が評判に

新潟県長岡市で講演を行うさとうさん
新潟県長岡市で講演を行うさとうさん

BLGで当事者の立場に立って働くさとうさんの姿を見た守谷さんが、今度は「地域の介護職の集まりで話をしてみない?」と声をかけた。「人前で話をしたことなんてないし」とのためらいはあったが、やってみることに。いざ話をしてみると、当事者ならではの内容に反応は上々。「私の話が誰かの役に立つならと、ほかでも話したいと思った」とさとうさんは他の認知症関連の集まりなどで講演をこなすようになる。その後、2022年には自身の体験を綴った本を出版。すると、全国各地の講演会にも呼ばれるようになった。

生活が忙しくなったが、認知症の診断を受ける前にもまして家事をこなすようになった。メンバーさんから教えてもらった料理を家庭でも振る舞うと、家族も喜んだ。買い物に行くときには事前に携帯電話にメモをとるなどの工夫もこらす。「家事から離れてしまうと、感覚を思い出せなくなってしまう。作れる料理のレパートリーが減ってしまっても、できる限りは継続してやっていきたい。息子は大学生になったけど、まだまだ母親の味というものを味わってほしい」。社会で必要とされるようになるにつれ、私生活も充実し始めた。

ただ、認知症の症状がなくなるわけではない。ほかの当事者と比べ、さとうさんの記憶に関する困難は少ないが、最近は視覚や聴覚が過敏になる症状に悩まされている。電車内でほかの乗客の声が大きく聞こえてしまい、降りるはずの駅を乗り過ごす。エスカレーターの縁の黄色い部分が薄れていると、なかなか乗ることができなくなる。同じような症状のメンバーさんを見てきたが、自分がそうなった時には受け入れがたかった。時には辛くなってSNSで弱音を吐いたり、身近な人にあたったりしていた。だが、そのたびに周囲からの励ましを受け、こう思い直した。「もう私はひとりじゃない」。それからは少しずつそうした症状も受け入れて、前を向けるようになったという。こうした経験から、「認知症=物忘れ」だけではないことも積極的に発信するようになった。

●ひと足先に認知症になった私から

若年性認知症の当事者と交流も深めている
若年性認知症の当事者と交流も深めている

今の日本では65歳以上の5人に1人が認知症になると言われている。さとうさんは「あくまでも私はひと足先に認知症になっただけ。誰しもがどこかのタイミングで認知症になる可能性は高い。だからこそ、元気なうちに当事者だから伝えられることをより発信していきたい」と話す。2023年の春には首にヘルニアが発症して手術を受けた。入院中に社会から孤立したことで、社会とのつながりの大切さも改めて痛感したという。

講演会で出会った若年性認知症の当事者とも交流を続けている。家に引きこもりがちにならないよう、無理のない範囲で一緒にランチに出かけたりして、少しでも外に出るきっかけを作っている。そうするのは、かつて自身がしてもらってうれしかった経験があるからだ。

「認知症になる以前の私より生き生きとして、これが本来、私のやりたかったことだったんだなと実感している。今の活動ができているのは、全て認知症になってからの出会いのおかげ。この思いを自分のみならず、他の当事者の方々やご家族にももっと共有していきたい。私の人生の第2章がスタートしたと思っている」

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「#病とともに」はYahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。人生100年時代となり、病気とともに人生を歩んでいくことが、より身近になりつつあります。また、これまで知られていなかったつらさへの理解が広がるなど、病を巡る環境や価値観は日々変化しています。体験談や解説などを発信することで、前向きに日々を過ごしていくためのヒントを、ユーザーとともに考えます。

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本作品は【DOCS for SDGs】にも掲載されております。

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映画監督・映像ディレクター

1992年生まれ。岩手県宮古市出身。大阪芸術大学卒業。AOI biotope所属。大学時に映画監督の原一男に師事。撮影・編集・監督をした卒業制作のドキュメンタリー映画「ヘイトスピーチ」(2015年)が座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルのコンペティションで入賞。その後、劇場公開される。その他、撮影・編集・監督をしたドキュメンタリー映画「僕とケアニンとおばあちゃんたちと。」(2019年)「僕とケアニンと島のおばあちゃんたちと。」(2022年)を劇場公開している。

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