これは「切実な状況への、住民一人ひとりの答え」。「小さな役場」をつくる動き、始まる
「地域から人が減ったら、まず何がなくなると思いますか。学校がなくなる、銀行がなくなる。役場も人が減る。ここでも10年前まではあたりまえにあったものがどんどんなくなりました。農協の人員は減り、郵便も窓口業務だけ。店は一軒。学校もなくなったら、ここには何も残りません」
島根県の中山間地で、地域活動を進めてきた男性が語った言葉です。
その人は続けて言います。
「だから私はみんなに言うんです。そのとき、あなた方どうしますかと。自分たちで何とかせんといかん。地域の中で生活できる体制をつくらんといかんでしょと」
島根県邑南町(おおなんちょう)は、以前もこちらで記事にしたまちです。
20年ほど前から住民主体の地域活動が始まり、公民館区で生活に必要なサービスや事業を住民が行い、助け合うしくみをつくってきました。
新聞配達業者が撤退するとなれば地域で引き受け、おばあちゃんたちがアルバイト代わりに広告の折込み作業をしている。ガソリンスタンドも地区の法人が請け負い、買い物やデマンド交通を含めた新たな拠点づくりを試みている。
内容はさまざま、進捗もまちまちですが、町内全12地区でこうした取り組みが進んでいる町は、稀有です。
現在は「地区別戦略事業(以下、ちくせん)」として、進行中。2021年春、ちくせんの第2期が始まった邑南町をふたたび訪れ、12地区を取材してきました。ここではその中から前回の記事で取り上げた地区のその後と、新たな地区の取り組みを紹介します。
■ちくせんとは何か?
邑南町は、2004年に旧羽須美村・旧瑞穂町・旧石見町が合併してできた、人口約1万人のまちです。一時は消滅可能性都市の一つに挙げられましたが、「日本一の子育て村構想」や「A級グルメ」などの施策により、若い世代の移住者が増えました(*1)。20代後半〜30代前半の子育て世代が2015年以降、転入増となっています。
ですが、まちの将来を考えるうえでもっとも大切なのは「地域の側の土壌」だと役場の地域みらい課の課長・田村哲さんは話していました。
田村さん「子育て支援は、始めた時期が早かったので、たしかに反響は大きかったです。でも財源さえあればどこの自治体でもできる。それより移住者を受け入れるのは地域の側。地域が自立していないと、移住者の受け入れもままならない。そういう意味でもちくせんは基盤です。防災も福祉も農業も、ちくせんをベースに考えられます」
邑南町の住民主体の地域づくりは「夢づくりプラン」(2005年〜)、「地域コミュニティ再生事業」(2011年〜)と続き、その後継事業として2014年から「地区別戦略事業」、通称ちくせんが始まりました。
けして町からの強制ではなく、「やってみよう」という住民の意思が先にあって、手を挙げた地域だけが助成対象に。各地区に年300万円の事業費 が用意され(*2)、平行して主にハード面を助成する「拠点等整備事業」も地区対抗のコンペ形式で行われます(*3)。
まとまった予算がついたことにより、それまでに考えられていたプランが次々と形になり始めました。実施内容はさまざま。ある地区では移動スーパーが始まり、ある地区では古民家を改修して宿やカフェがオープン。運動会が再開したところもあります。
■650人のまちに100人の応援隊がいる心強さ
順調に進む取り組みもあれば、うまくいかない地区もあり、タイミングやメンバーによって状況もいろいろです。
けれど一つ明確に言えるのは、ちくせんに関わった人たちは、地域のことを自分ごととして捉えるようになること。行政にお任せだった面を、自ら考えるようになっていく。
冒頭で紹介した言葉は、阿須那(あすな)地区のちくせんを進める「YUTAかプロジェクト」の松島道幸さんの言葉です。
たとえば阿須那では、2017年に交流施設『おしゃべり処・よりんさい家』がオープン。若い人たちにもっと地域に関わってほしいと15年ぶりに運動会も復活し、地元出身者も参加して650人の地区に300人が参加する大運動会になりました。
2020年1月にはガソリンスタンド事業を開始。農協からYUTAかプロジェクトが委託を受ける形で運営しています。将来はここにサロンや商店、コインランドリーなどをまとめた「小さな拠点」にすることを検討中。
ただし、活動のコアメンバーに若い層がいないのが課題でした。
松島さん「そこでYUTAかとは別に、若い人たちで新しい組織をつくろうと、14〜15人に声をかけて『あすな地区応援隊』を結成したんです」
多忙な勤め人は難しくても、これまでに協力してくれた若手や、部分的に参加できそうな人を、一人ひとり訪ね歩いて口説きました。あすな地区応援隊では、福祉面のサポートを実働部隊としてやっていくといいます。
松島さん「今考えているのは、有償ボランティアのしくみづくりです。手始めに『灯油の置き薬』という、ある地域で行われている取組を始めようと考えていて」
住民に10Lの灯油缶を二つ買ってもらい、灯油を入れて家の前まで配送。一つを使い切ったら電話をもらう。一週間に一回、配達の日を決めて、多少のお金をもらいながら継続的に高齢者をサポート。その上で、草刈りや電球を変えるなどの支援に広げてこうと考えています。
応援隊のコアメンバーは14〜15人ですが、約100名の登録メンバーがいると聞いて驚きました。今は活動できなくても、いつか協力したいから名前だけでもという人が3分の1ほどいるのだそう。
「メンバーになってくれとるのが大事です。650人のまちに、応援隊が100人いるって心強いでしょう」と、松島さんは微笑んで言いました。
■当事者が考えるから、リアリティのある施策になる
地区の課題は何か。何を優先して、どこにどれほどお金をかけるか。関わる一人ひとりが考え話し合いながら、事業を進めます。
たとえば日貫(ひぬい)地区では、ちくせんを通して保育園の魅力化が進みました。当初は、園児が4名と閉園も危ぶまれる状況。そこで森の幼稚園などを参考に、地域で保育所を手助けして地区全体をフィールドに見立て、子どもたちが自然を体験できるような活動を始めました。他地区からも子育て世代を呼び込もうと取り組んだところ、園児が20名にまで増えました。
生活部担当の古田五二嗣(いふつぐ)さんは話します。
古田さん「保育園の魅力化が進んだ後に見えてきたのが、小学校の問題です。小学生もいま10名のみ。そこで今度は、保育園、小学校、地域の3者で連携して、小学校の魅力化を進めようと。連絡協議会を設けて、公開参観日をやったらどうか、放課後の児童クラブを充実させたらなど検討を始めています。ゆくゆくは日貫の自然や歴史、文化に触れ合う保小一貫教育が実現できればと考えています」
そんなふうに、一つの課題が片付いて終わりではなく、保育園、小学校、さらには…と課題は推移しながら、必要な人が連携して何をすべきか考えていく。かゆいところに手が届く施策になるのは、考える側に当事者が居るからではないかと思えました。
■地域活動のハブとして機能する「小さな役場」に
ちくせんの運営組織が、地区の戦略を決めるハブとなり、ブレインのような存在になっている地区もあります。
布施(ふせ)地区の、ちくせん実行委員長の品川隆博さんは、この組織を「小さな役場」と表現しました。
品川さん「ちくせんに関わっていると、地区の資源にも目が向く一方で、俯瞰して課題が見えてきます。こことここは手を打つべきと、関連性を考えながら事業を組み立てていける。そこが従来の自治会とは違っています。要所さえ押さえれば、少ない人数でもやれることがある。私たちのような地区が生き残るにはそれしかないと思っています」
これまでは役場の縦割りに応じて、福祉、防災、教育などバラバラに動いていた地区の動きが、幹となる戦略をもつことで、個別に打診のくる国や県、町などの助成事業を、必要に応じて地区で選択するようになっています。
布施地区では「銭宝くらし応援隊キッチン」という集落の女性たちによる配食サービスも始まりました。旬の食材を取り入れたお弁当は人気があり、実施の回数も増え、利益が出ています。
■祭りから地域課題の改善へ
一方で、はじめはお祭りなど、若い人たちが「楽しいことしようや」と始めた活動が、次第に生活面にシフトしていく地区もあります。
日和地区では青年部が結成され、2017年から3回、「騒祭(そうづきんさい)」と呼ばれるお祭りを開催。地区外からも多くのお客さんが訪れる盛大なイベントになりました。
その方向性が2020年に始まったちくせん第2期では変化し、「地区に必要なこと」を住民に問いかけ、企画を募集。寄せられた5つの案のうち最終的に残った3案はすべて青年部のメンバーからの提案でした。一つは空き家対策、もう一つは負担の大きい地区役職の整理、そして子どもや大人が一緒に楽しめるバスケットコートの新設。
祭りをきっかけに、地域運営の側に初めて参加した若い人たちが、そのしくみや会計処理のノウハウを知り、地域課題の本丸に向き合い始めている。20年後の日和地区を担う世代として、少しずつ地域に変化をもたらしています。
■ちくせんのテーマ「人口」から「地域の持続」へ
第1期のちくせん(2014〜2019)は、移住定住など「人口減少」が主なテーマにありました。地区ごとに人口の目標数字を掲げ、その足し上げたものを町の総合戦略とした点が画期的でした。ところが、役場のちくせん担当の湯浅孝史さんはこう話します。
湯浅さん「根底ではつながっている話ですが、人口の問題は地域の人たちからすると少し遠い印象があって。地区に目標を持ってもらうのも無理があると。まずは生活基盤をしっかりさせて、その先に移住定住がくる。そこで第2期は人口ではなく『20年後の地域につながる戦略』を事業テーマとしました」
そのとき、ちくせん事業は、どういう評価軸で測られるのだろう。
湯浅さん「数値も定性的な目標も、各地区にもってもらっています。実施目標には実施する予定の項目が入り、数値目標としてはそれぞれSNSのフォロワー数や動画配信数、地産品の開発数などを入れてもらっています」
■町内に増える地域法人
ちくせんの特徴として大きいのは「地域法人の設立」が促される点です。利益第一ではなくても、住民が必要とするサービスを提供し、いくらかの利益を得て、働き手である住民にわずかでも支払う。「ボランティアでは長続きしないので」と、みなが口を揃えました。
ちくせんを経て、町内には新たに3つの法人ができ、もともとあった地域法人も含めると7つになりました。
田村さん「これも、町から『やってください』とお願いをしたわけじゃないんです。地域の人たちが、進めていることを持続させるには、事業の形を取る必要があると判断された。ただ、一つの地区だけで利益をあげるのが難しい場合、対象エリアを広げたり、値段を上げたりといった選択になります。
たとえば、中野地区の移動販売『にこ丸くん』は、中野以外の地区でもニーズがあってまわっています。普通にスーパーで買うよりは、品物の値段も若干高いはずです。
それでも、地区の人らが選ぶかどうか。多少割高でも負担する意思を示すかどうかです。みんなあった方がええねと思えば、その事業は続きますから」
地域で事業を行う場合、「利益をあげる」ことと「地区の公益性」の両輪をどうバランスするかは、難しい課題でもあります。地区によっては「一部の人だけが儲けている」とみなされ、うまくいかなかった例もありました。
ですが田村さんはこう言います。
田村さん「失敗はあります、当然。でも新しいことにチャレンジするのは、やっぱり大変なことで。挑戦したこと自体は認めてあげんといかんと思っています。何もしなかったら失敗も生まれんわけです。だから最初の数年間や、初期投資の部分を役場が応援して、トライをしてもらって。自走できるようになったら、地区内でその利益を福祉などにまわしてもらえたらという発想です」
■将来的にめざすのは「地域運営組織」
このちくせんの動きは、最終的にどこに向かうのでしょう?目指す像、青写真があるのでしょうか。
田村さん「いまちくせんでやっていることは、『地域運営組織』の育成だと思っています。すぐにその形になるわけではないですが、将来的にそこまでは町が応援せんといかんと思っています」
地域運営組織とは「地域が自治機能をもって事業をまわしながら、困りごとを解決していくしくみ」。それがごく一部の人でまわるのではなく、一人一票の合議制で進めるのがいいと言います。
田村さん「今の自治会は、9人家族でも一世帯に一票です。すると世帯主は60〜70代の男性に偏りがち。女性や子どもにとっては自分の意思が反映された感じがしないかもしれません。本当はそうじゃなくて、女性も子どもも一人一票をもって、地域の総意として、この事業が必要だね、ここにこれだけお金を使いますと判断していくのが理想なんです」
この未来像がまさに、「小さな役場」の役割を果たすのかもしれません。
■「若いもんはもう帰ってこん。自分たちで幸せに暮らす方法を考えませんか」
町のなかでこの最終形、地域運営組織にもっとも近い動きをしているのが、東の端に位置する口羽(くちば)地区です。
口羽では、ちくせんが始まる5年ほど前の2010年には小田博之さんが中心になり、有志8名による任意団体「てごぉする会」がつくられました。「てごぉする」とは、島根の言葉で「手伝う」の意味。
小田さんは、長年地域づくりに関わってきて、これからの中山間地の集落には「集落支援センター」が必要だという仮説をもっていました。
集落支援センターとは、自治会や集落の活動を支える地域経営のしくみ。高齢化でまわらなくなった集落をサポートする機動力のある組織で、役場の補完的な役割を果たします。田村課長のいう「地域運営組織」とほぼ同義です。
てごぉする会は、ほかの地区に先がけて、独自でこうした機能を実装しようとしてきました。
まずは高齢者世帯の生活調査を行い、3つの課題を洗い出します。一つは地区におりてくる役職による負担。二つめは交通、移動の問題。そして、荒れていく農地の維持。加えて高齢者でも、楽しく生きるための活動が必要ではと考えます。
小田さん「誰とも話さず、ぽつんと一人で暮らしているだけじゃ、やれんじゃないですか。時にはおいしいものを食べたり、みんなで遊びに行くなどの人生充実活動が必要だと思いました。
若い人がいないとか、人口減というのは課題だけれども、自分たちではどうしようもない。だったらできることをやりましょうと。
極端に言えば、もう若いもんは帰ってこん、諦めましょうと。その代わり自分たちが死ぬまでここで幸せに暮らす方法を考えませんかってことなんです」
てごぉする会は、初期には国土交通省などの支援事業を受けながら、自立できる道をつくろうと、コミュニティ・ビジネスを始めます。LLPを立ち上げ、新聞配達を請け負ったり、町営プールの管理などの事業を引き受け、何とか専任を一人雇えるほどの収益団体として、自立(*4)。
一方で、地域の人たちの寄り合い所を設け、マイクロバスを出してお年寄りの楽しみの機会をつくったり、集落では大変になった事務作業を請け負うなどのサポートを行ってきました。
2021年にはこれまでの取組が評価され、隣の阿須那地区とともに島根県の「小さな拠点づくり」モデル地区推進事業の対象になっています。ちくせんより大規模な助成を得ながら、ほかの地域のモデルになるような拠点づくりを進めています。
■「切実な状況への、住民一人ひとりの答え」
それにしても、なぜ邑南町ではこうした取り組みが機能しているのか?ほかの市町村が真似しようにも、簡単にはいかないように思えます。
いくつか理由があると思いますが、あえて三つほど挙げるとしたら。
一つは、もう20年以上前から公民館区単位での活動が行われ、役場も町民も試行錯誤してきたこと。住民がこのやり方に慣れてきた面がある。
そしてもう一つは、それより以前からの風土として、隣近所の集落の団結力が強いこと。たとえば田村課長の暮らす集落には、いまだ「常会」という、かならず毎月一度集落の全員が顔をあわせる場があるのだそう。班費を払い、広報誌を受け取るなどの簡単なものですが、19時になるとみんなが集まり月に一度は言葉を交わす。その積み重ねの中で培われてきた関係性はやはり強い。なかには面倒だからと常会をやめてしまった集落もありますが、防災や福祉を考えるとき「続けておけばよかった」という声が上がるのだとか。
そして三つ目は、ちくせんを、影になり日向になりして支えてきた中間支援組織の存在です。一般社団法人「小さな拠点ネットワーク研究所」は、白石絢也さん、吉田翔さんらによる組織で、ちくせんに関してはかなり細やかに地区に入り、会議に同席したり、住民がわからないことがあれば研修を行うなど、伴走してきました。
役場のちくせんの担当者は2〜3名。ほかにも多くの仕事を抱えており、細かいフォローは難しいのが現状です。白石さんたちの存在がなければ、今ほどちくせんは進んでいなかったかもしれません。
白石さん「地区で計画を立てて実行するという試みは、ほかの自治体にも前例はあるんです。ただ邑南町での違いは、夢づくりプランから続いてきた蓄積があっていま結実し始めていることと、町の総合戦略に地区別戦略が生かされる点が大きい。つまり、ほかの自治体では、国、県、町といった大きな単位で総合戦略、人口ビジョンを決めるだけですが、邑南町では住民にとってもっとも身近な地区の単位で計画をして、それを取り入れる形で町の総合戦略があるんです」
自分と立場の変わらない、ごく一般の市民である住民が、地域の将来について真剣に考え悩む姿に、何度も胸をつかれる思いがしました。高齢者だけでなく、若い人たちにとっても地域のこれからは自分のことなのでした。
取材に同行したディレクターの言葉が心に残りました。
住民主体のこの取り組みは、
「切実な状況に対する、住民一人ひとりの答えなのではないか」というもの。
都会に暮らしていると一見遠い話のようにも思いますが、邑南町の人たちが積み重ねてきた試行錯誤は、この先、ほかの地域にとっても学ぶところがあるのではないでしょうか。
(*1 )2014年から5年間の移住定住者数は63、49、65、67、48人
(*2)財源は国による地方創生推進交付金。最長5年間。
(*3)拠点整備を推進し、継続的な地域経済循環を創出することを目的に行われた事業。主にハード整備費として上限500万円を年に最大2案採択して助成。
(*4)収益事業を担ってきた地域法人LLP「てごぉする会」とは別に、地区の総意を反映する組織として、自治会や社協、公民館長などを加えた「口羽地区振興協議会」を発足。いま地域の合意形成は推進協議会で行い、LLPてごぉする会が収益部門と実働部隊として機能する、両輪で動くしくみを実現している。
※この記事は『SMOUT移住研究所』に同時掲載の(同著者による)連載「移住の一歩先を考える」からの転載です。