「あの商品の部品コストはわずか何円」「それを伝える新聞の原材料費はおいくら?」
先日、某ハイテク機器の発売を間近にひかえ、原材料費(部品コスト)が売価の数十分の一に過ぎないとの話を柱に、いかにもその機器が暴利をむさぼっているかのような論調を呈する記事が目に留まった。これに限らず定期的に著名な、身近な商品を挙げて、その原材料費はわずか何円だ、驚きでしょう、これだけぼったくりをしているのですヨ的な話を論ずる記事や論調を見聞きする。
原材料費がいくらであるかは興味関心が沸く対象ではあるし、その材料費と商品の実売価格だけを並べ「実は信じられないぐらいに安いモノの原材料費、ばらしちゃいます」的にあおられれば、論調の通り「暴利をむさぼっているよなあ」と考えが誘導されてしまう。なによりインパクトのある内容なだけに注目も集まりやすく、書き手側・伝える側としても何かと「都合」が良い。
しかしその考えは正しいのだろうか。
商品はその材料だけで勝手に構築されて店にずらりと並ぶわけではない。それは子供でも理解できる話。具体的に金銭周りでその全体像をざっと示すと次の通りとなる。
直接原価=材料費(商品を構成する材料の価格)+労務費(商品を作る働き手の賃金)+経費(機械の運用費など)
製造原価=直接原価+製造間接費(間接労務費(商品を作る工場を運用する企業の直接現場以外で働く人の賃金)や間接材料費(工場消耗品など)、間接経費など)
総原価(コスト)=製造原価+販売費(販売手数料や広告費)+一般管理費(企業全般を管理するための費用)
売上高(販売価格)=総原価+利益
上には明記していないが、研究開発や輸送も当然必要になり、そのコストも発生するのは言うまでもない(実際には上記項目内に含まれている)。もちろん各工程には多くの人が携わる。
お店で手に取る商品の価格には、材料費だけでなく多種多様な人達の手が加わり、それらのコストが上乗せされる。原材料費と販売価格だけを比較して、その差額を見て「暴利をむさぼる」という論評は、それら合間にいる人達の行為を評価しないことに他ならない。今流行の「ブラック企業」も真っ青の発想を、自らしていることになる。
今記事タイトルにもあるように、新聞や雑誌のような紙媒体でこのような論評が語られていたら、「それを伝える新聞の原材料費はおいくら?」で、論じる側はグゥのネも出なくなる。自らの語る内容の論点がいかに問題かを、自分自身の立場で知ることが出来るからだ。インターネット上の論調でも変わらない。材料費などゼロに等しくなるだろう。
商品やサービスに対して、その材料費だけで優劣を決める、価格が高いと批評する場合、その商品などに携わった人すべての労力を無視したことになる。言い換えれば「超ブラック企業を推奨している」ことをも意味する。
扇情主義的な切り口で注目を集めやすく、読者の関心を引くため、この類の記事は定期的にちまたに流れることになる。原材料費を知る事そのものは決して悪い話ではない。しかしその価格と売価の差異から、バッシングをするのは、おろか以外のなにものでもない。もちろんそのような記事そのものは、働き手の労苦をないがしろにしている、超ブラック企業的な活動を推挙しているものとして認識されねばならない。
考えてみよう。人間を構成する要素は元素ベースで、酸素に炭素、水素、窒素にカルシウム、リン、硫黄、カリウムなどなど。もう少し大きめに区分しても、水とたんぱく質、脂質、糖質、そして無機質。これらの原材料だけで金銭的な価値を計算したら、いくらになるだろうか。
そしてあなたはそれだけの価値しか無い存在なのだろうか。
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