【京都市】下京区 源氏物語や古事記を研究した18世紀最大の日本古典研究家『本居宣長先生修学之地』!
国学者である「本居宣長(もとおりのりなが)」(1730~1801)をご存知でしょうか?
江戸時代中期の国学者で、古事記や源氏物語を研究した18世紀最大の日本古典研究家と言われます。
本居宣長は宝暦2(1752)年から同7年まで京都に遊学し,堀景山(1688~1757)に儒学を,武川幸順(1725~80)に医学を学びました。
木綿商の家に生まれるが、医者となった本居宣長は、医業を続けながらもことばや日本古典を講義。
また現存する日本最古の歴史書『古事記』を研究し、35年をかけて『古事記伝』44巻を執筆した偉人です!
「時々の社会体制も全て神が司っているので、人は時々の社会体制に従うべきだ」とも主張。さすが、「古事記伝」を執筆しただけありますね。
実は、奈良に「古事記」を編纂した一人と言われる稗田 阿礼 (ひえだ の あれ、生没年不詳)ゆかりの賣太神社(めたじんじゃ、売太神社)があります。稗田阿礼は、飛鳥時代から奈良時代にかけての官人。天武天皇に仕えていた舎人(とねり)です。
稗田阿礼が住んでいたこの地は、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)を太祖とする猿女君(さるめのきみ)が居住していた場所でもあると伝わり、稗田阿礼はアメノウズメノミコトの子孫と言われています。
猿女は、天狗さんのような顔をした道開きの神である猿田彦の伴侶、そして太祖アメノウズメはアマテラスが天岩戸に隠れて出てこなかったときに、外で舞をしながらアマテラスを外界に呼び返したきっかけを作った女神。芸能の神様です。御神職さんに太秦の「高津商会」で朝ドラなどの撮影(ロケ地)で小道具たちがお世話になっている、と話したらとっても喜んでくださって、とっても貴重な神社に伝わる「古事記」を見ながら説明してくださいました!
その「古事記」を研究した人が本居宣長です。
この石標は,堀・武川両名の塾跡を示すものだそうです。
1951年に本居宣長翁遺蹟顕彰会によりこの地に建立されました。
街中にいきなり現れるこういう石碑に驚かされるのも、京都あるあるですね♪
本居宣長先生修学之地
京都市下京区綾小路通新町東入南側