どこかへ遠くへ行きたい! 旅は想像からはじまる-机上旅行の愉しみ
緊急事態宣言にステイホームと外出が憚られるような世情ですが、外出したい!友達や仲間と食事をしたい、旅にも出たい!!という欲求は募るばかりという人も多いことでしょう。筆者にとっては取材旅そのものが仕事ということで、目下直接的多大な影響を受けているわけですが、仕事を抜きにしても、旅は人生を豊かにするツールのようなものだと思っています。
筆者にとって旅といえば、幼い頃から鉄道ファンで、小学校高学年の時からひとり旅もスタートしていた記憶があります。とはいえ、夏休みなどのタイミングで日帰り旅といった程度の規模でした。長野県上田市で育ちましたが、当時は新幹線も未開通、東京と信州を結ぶ特急列車や急行列車が頻繁に行き来しており、未知の大都会から来るクリームに赤やオレンジに緑といった車輌はまさに羨望の的でした。
阿川弘之先生か宮脇俊三先生だったか記憶が定かではありませんが、優等列車が行き来する土地で育った子には鉄道ファンが多いというような話を読んだことがあって、自身を照らしてなるほどなぁと妙に納得したことがあります。とはいえ、特急や急行列車を使った旅など当時の自分には縁遠いものであり、“特急あさまで東京へ行きたい!”というのは夢物語でありました。
今年50歳なので中学生時代1983~85年頃の話となりますが、通っていた中学校では週1回のクラブ活動が必須でした。クラブ活動一覧で鉄道ファンの中学生の目に飛び込んできたのが「机上旅行クラブ」なるもの。時刻表片手に紙と鉛筆、電卓などを用い空想旅のプランを作っていくことが主たる内容でした。顧問は数学のS先生。数学は超苦手でしたが机上旅行クラブ顧問のS先生は大好きでした。クラブ活動にのめり込み副クラブ長にもなりましたが、数学の公式よりも鮮明な記憶として蘇ってくる机上旅行クラブ。学校ってそういうところなのかも。
机上の旅は無限、特急列車に新幹線、飛行機まで乗り放題。そして、乗ったことのない鉄道や見知らぬ土地への憧憬-もちろん当時はインターネットなどありませんでしたが、感受性豊かな地方に住む中学生にとっては一冊の時刻表は、いまのスマホやパソコン以上に宝箱のような存在だったのかもしれません。そんな中学生もすっかり大人になって机上旅行を現実の旅に実行出来るようになり、パソコンでホテルまで予約するのが仕事のひとつにもなりました。当時、机上旅行クラブで北海道日帰りの旅なるものを面白半分で作ったこともありましたが、大人になってリアルにやってのけている自身に失笑したこともあります。
スマホの乗り換え案内で、大都会のスパゲッティが絡まったような路線から最短経路を見つけ出す行為も日常定番的なものですが、スマホをタッチしつつふと思うことがあります。最短最安の手段を素早く見つけ出すスマホ画面に余分な情報は必要ありませんが、途中にどんな駅があっただろうか-もし途中の駅で気ままに降りたらどんな路線に乗れるだろうか-“旅は行間にあり”。こんな便利な世の中でも紙の時刻表が駅に備えられ、重宝される理由のひとつでしょう。
「知らない街を 歩いてみたい どこか遠くへ 行きたい(永六輔作詞/中村八大作曲)」という有名な歌があります。中学生の時に見たテレビ番組の主題歌で知りましたが、未踏の地への憧れと共に思春期を迎えた男子の心に深く刻まれた歌です。遠くへ行くことも知らない街を歩くことも、思い立ったら実現出来る大人となり、自身にとってこの歌詞の意味合いは少し変わってきましたが、コロナ禍・緊急事態宣言・ステイホームゆえ何だか中学生の頃を思い出しふたたび深く心に響く歌詞であります。
「旅は計画からスタートしている」「ホテルステイも想像からはじまる」「ゲストの想像力をかき立てるのは素敵なホテル」などと仕事で書いたり話したりしますが、想像することすら楽しい旅ってなんて素敵なのだろうかと思う時、いまでもあの机上旅行クラブのひとときが脳裏をよぎることも。
ステイホームで久々の机上旅行-1日も早く出発できる日を願いつつ時刻表を捲っています。
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いつもはホテルに関するあれこれを書いていますが、今回はプライベートな内容も含む番外編ということでお許しいだたければ幸いです。