ムーアの法則を再定義しよう
半導体業界の真っただ中にいると、ムーアの法則が終焉し、半導体に代わるデバイスが求められる、という趣旨の発言がある。しかし、本当だろうか。ムーアの法則とは、市販される集積回路(IC)に集積されるトランジスタ数は毎年2倍で増えていく、と元インテルのCEO/会長を経験したゴードン・ムーア氏が提案した経済法則である。彼はインテル設立前のフェアチャイルド時代の1965年、米Electronics誌やIEEEの論文誌にその経済法則を寄稿した。その12ヵ月で2倍というスピードは、のちに18ヵ月~24ヵ月に2倍に代わったが、それでもムーアの法則といわれている。
なぜ、トランジスタ数の集積度は、これほどのスピードで高くなってきたのか。ウィリアム・ショックレイ、ジョン・バーディーン、ウォルター・ブラッテインのノーベル賞受賞者3人が開発した半導体デバイスはpnpトランジスタであり、このままでは集積化しにくかった。その後、集積化しやすいMOSトランジスタを世界中で開発に成功したことにより、集積化が進んだ。ムーアの法則が進んだのはMOSトランジスタが発展したことが技術側の理由である。応用側の理由として、MOSトランジスタは1と0だけで全ての機能を表現するデジタル論理回路の進展にピッタリ向いていたからだ。
この進化を見ると、半導体産業の最も重要なインパクトは、トランジスタの発明よりも、マイクロプロセッサとメモリの発明が最大ではないかと思う。デジタル回路はコンピュータの進展とピタリ合っているからだ。元々デジタル論理回路だけで全ての機能を表現するだけでは汎用性がなく、コストの高い専用回路しかできなかったが、インテル社がマイクロプロセッサとメモリを発明してくれたおかげで、汎用コンピュータの小型化の道が開けるようになった。
MOSトランジスタは、微細化すればするほど性能(動作速度)が増し、消費電力が減る、という大きなメリットがあり、微細化が進み高集積化が進んだ。まさにムーアの法則が成り立ったのである。しかし、ムーアの法則はアナログ回路やバイポーラトランジスタ回路では集積化の進展は大きく遅れ、ムーアの法則は成り立たなかった。最近でこそ、ようやく微細なアナログCMOS回路が登場するようになってきたが、その要求は4Gや5Gなど無線回路技術によるものである。
ここにきてCMOSの限界が叫ばれるようになったのは、10nmや7nm、5nmと最小寸法が原子レベルの長さに近づいてきたからだ。原子の大きさは、0.2~0.3nmであり、シリコン半導体結晶では、5nmの長さの中にシリコン原子は、わずか10~20個しかない。元々MOSトランジスタは、10の24乗個のシリコン原子の中にドーパントとして10の18乗個のドナーやアクセプタなどの不純物(すなわち100万分の1個の不純物)をドーピングすることで電子や正孔を生み出し、二つの電極間(ドレインとソース間)を走行させるデバイスである。つまり、100万個のシリコン原子に対して1個の不純物で電子や正孔を1個生み出すデバイスであるからこそ、二つの電極間に10~20個しかない原子の間に不純物がどれほど入っているだろうか。ゲート長Lがたとえ10~20個の原子しか含まないサイズでもゲート幅Wを広げることで原子の数を増やすことはできるが、不純物の力で要求する数の電子や正孔を生み出すことは難しくなってくる。だからMOSトランジスタは、物理的限界に近づくのである。
ところが、マイクロプロセッサとメモリの発明によって、ソフトウエアを半導体チップに埋め込むことができるようになったことは、産業的なインパクトが大きい。ハードウエアを替えなくてもソフトウエアだけで異なる機能を生み出すことができるようになったからだ。つまり、ハードウエアをCPUとプログラムメモリのROMと、データメモリのRAM、保存メモリのフラッシュなどさえ揃えていれば、ソフトウエアを自由に取り換えるだけで別の機能を実現できる。スマートフォンのアプリがまさにソフトウエアである。ゲームアプリを入れればゲーム機に、最初から内蔵されているがメールソフトを入れればメーラーに、ラジコを入れればラジオになる。スマホはコンピュータだからである。
となると、半導体チップはCMOSトランジスタの集積度を上げなくても、ソフトウエアを生み出すことで、新しい機能やユーザエクスペリエンスを生み出すことはできる。ただ、そうは言っても現実には、集積度の向上への要求は、クラウド時代にはさらに高まってきている。
では、微細化に頼らずに集積度を向上させるのにはどうすべきか。これが3次元化である。3D-NANDフラッシュは、シリコンの平面上にフラッシュメモリセルを並べるには面積の増大を招き、歩留まりよく生産することは難しくなっている。このためシリコン内部に32層や64層などのメモリセルを構築し3次元化で対処しようとしているのだ。DRAMでもメモリ容量を増加させ高速化も同時に果たすため、すでにメモリセルをスタック型やトレンチ型といった3次元化で平面の限界を乗り越えてきた。さらに集積度を上げるため、メモリチップを重ねてゆきTSV(Through Silicon Via)と呼ばれる貫通電極でチップ同士をつなぐ技術HBM(High Bandwidth Memory)が使われるようになってきた。
3次元技術を使うことで、集積度の向上はまだ増やすことはできる。つまり、1個のシリコンチップ上に集積されるトランジスタの数は年率2倍で成長するというムーアの法則が破綻しても、1個のICパッケージ内に集積されるトランジスタ数は24ヵ月に2倍の速度で増加すると定義し直せばよい。つまり、IT技術がよりクラウドへ進展することで高集積化への要求は止まることがない。さらに最近では、ムーアの法則がさらに進むことで、2045年ごろにシンギュラリティが現れるという予想も出ている。シンギュラリティとは、半導体技術などで人工的に作る神経細胞(ニューロン)の数が人間の頭脳のニューロン数(1000億個)よりも増える時期を指す。つまりシンギュラリティに向けた高集積化の要求はさらに出てくることになる。
高集積化の要求が続く以上、ムーアの法則は続くことになる。となると、「シリコン平面上に集積されるトランジスタの数」を「ICパッケージ内に集積されるトランジスタ数」と定義し直せばムーアの法則はさらに続くことができる。逆に、ムーアの法則はもう限界=半導体技術はもう限界=テクノロジの進歩は止まる、という単純な図式を思い込むようでは、世界が進めるテクノロジの進歩を見失うことになる。トランジスタの高集積化は少なくとも20年、30年以上後でも進展することは間違いない。このことは仮に今、大学を卒業する若者が一生の仕事として、IT/エレクトロニクスを選択しても定年までは、食っていけることを意味する。
ただし、心掛けなければいけないことは、IT/エレクトロニクスの進展は今後も続くが、その中の細かい技術や市場はどんどん変化していく、ということだ。その変化についていける企業や人間こそが生き残る。まさにダーウィンの言葉そのものである。日本の電機・電気・電器企業が世界と差を付けられたのは、時代の変化についていけなかったからだ。時代の変化に対して敏感になるには、さまざまな情報にアンテナを立て、デマに惑わされずに自分で検証する作業をするという地道な作業が必要である。少なくとも海外の勝ち組と言われる企業は常に時代のトレンドをウォッチし、自社の製品やサービスにどう生かすか、そのための作戦・戦略を常に変えながら、生き残っている。
(2018/01/03)