需要と供給のエネルギー政策についての雑感
エネルギー政策について考える時、電力会社、ガス会社、石油元売などのエネルギーを供給する産業について考えざるを得ない。しかし、最近ふと思うことは、そのようなエネルギー産業の発展とは、果たして社会にとってどんな意味を持つことなのかということだ。
社会の経済活動を支えているのは間違いなくエネルギー供給であり、それを担うエネルギー事業者の存在は社会の根本であって極めて重要であることは間違いない。コロナ禍で話題になった「エッセンシャルワーク」の一つであり、日々安定して供給される電気やガス、ガソリンといったエネルギーを届けてくださる事業者の方々に対してはリスペクトしかない。
しかし、エネルギー産業自体の発展を考えるとき、エネルギー産業の売上・収益・雇用等の拡大がKPIとなるが、それはかならずしも社会全体にとってプラスとは限らない。
産業が拡大し経済が成長する局面においては、エネルギー産業の安定的拡大が重要となるのでそれでよかったが、経済成長が停滞しエネルギー需要が減ってくる中では、エネルギー産業のあり方が変わってくる。
エネルギーはあらゆる活動の源であるが故に、基本的であると同時に極力安くなければならない。できれば従事する人の数は少ない方がベターで、なんとなれば全部機械がちゃんとやってくれるならそれに越したことはない。
結局、産業政策とは、エネルギー需要側と供給側の両輪のバランスが重要で、どちらに傾いても良くないが、供給インフラは公共性が高く規制産業なので行政の管理に入らざるを得ないため、政策的に需要政策より重視されがちになる。
しかし、成長期を過ぎた日本のような国では、そのバランスが崩れてしまっているのではないか。もっと、需要側を軸にしたエネルギー政策が必要なのかも知れない。
あるいは、海外での事業展開を前提としたエネルギー産業の発展というのであれば、まだ意義はあるだろう。
また、国内では既存の事業者やルールなどのしがらみがあるため、新しいことをやろうと思ってもなかなかうまくいかない。海外での事業で成功し高く評価されることで、それを国内に持ち込む、というくらいの発想で考える必要があるのではないだろうか。