「怒り心頭」は「達する」のか「発する」のか
「押しも押されもせぬ」「怒り心頭に発する」は不正解者の方が多い
具体的な解説では冗長に過ぎる時にその代わりとして、あるいはちょっと洒落た表現をしたい時、さらには普段何気ない場面でも慣用句を用いる事は良くある話。しかし案外その言い回しは、うろ覚えをしたものを使っていることが多く、正しい使われ方・表現の仕方をされていない場合もある。
文化庁が毎年秋口に発表している「国語に関する世論調査」では、気になる「慣用句の正しい使われ度」を推し量るデータが掲載されている。概略として公開されているものを整理したのが次のグラフだが、正解の選択肢の棒を赤で着色している。その内容を見て初めて「え…この表現間違ってたの?」と驚く人もいるに違いない。
正解を選択した人が多かったのは「取り付く島が無い」「的を射る」「伝家の宝刀」の3つ。「押しも押されもせぬ」「怒り心頭に発する」は間違った言い回しの選択者の方が多い。特に後者は正解が23.6%のみで、間違いは67.1%にも達している。
恐らく間違った人は「怒りが心や頭の中に届くほど隅々まで浸透してしまうほどの怒り」と解釈しているのだと思われる。しかし「心頭」とは「心の中」を意味し、「頭」そのものを表しているわけではない。要は「心の奥底から湧き上がる怒り」という意味。この意味も合わせて言い回しを覚えておけば、「達する」という間違った表現を使うことは無い。
年上ほど知っているとは限らない
慣用句は年上の人ほど認識しているというイメージがあるが、実際にはそうでもない。
高齢層ほど高い正解率を示しているのは「実力があり堂々としている」を意味する「押しも押されぬもせず」のみ。「怒り心頭に発する」も近いが、30代以降の回答率はほぼ横ばい。それ以外は逆に若年層の方が高い正解率を示している、あるいは世代の差異がほとんど無い状態である。慣用句の使い方の難しさは単純に「今の若い者は慣用句の一つも正しく使えない云々」というものでは無く、世代を超えて存在するようだ。
なお今件について「慣用句というのは世間一般に使われる言い回しなのだから、その世間で多数派を占める意味こそが、正しい言い回しではないか」「意味が通じれば間違った表現でも良いではないか」とする意見がある。それはそれで一理あるのだが、上記の「怒り心頭に発する」のように、言葉の由来・意味そのもので考えるとおかしな話になってしまう。また、他人との会話の中で間違った表現を用い(あるいは用いられ)、言った側と聞いた側とで内容の齟齬が生じる可能性もある。これは状況としては良いものではない。
やはり慣用句でもうろ覚えで「それっぽいもの」で良しとすることなく、正しい表現方法・意味で使いたいものだ。
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