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【京都市伏見区】伏見の坂本龍馬ゆかりのスポットを歩いてみた

くまライター(京都市)

伏見は清酒の産地として知られ、豊臣秀吉の伏見城築城後は城下町として、江戸時代は水運の要地として栄えました。幕末には西国大名の藩邸が置かれ、歴史の舞台となります。

船宿「寺田屋」が坂本龍馬の定宿であったことから、周辺には龍馬に関連する場所があります。伏見の龍馬ゆかりの地をたどってみました。

「寺田屋」は伏見の船宿です。

尊王攘夷派の薩摩藩士が弾圧され、薩摩藩士が同士討ちした「寺田屋事件」と、坂本龍馬と三吉慎蔵が伏見奉行所から襲撃された「寺田屋事件(遭難)」、2つの「寺田屋事件」でよく知られています。

「鳥羽・伏見の戦い」の際に兵火で消失しましたが、明治時代にもとあった場所の隣に再建されました。

現在の寺田屋には、当時の「弾痕」「刀傷」とされるものや、寺田屋遭難のときに「お龍(龍馬の恋人)が入っていた風呂」とされるものが残っています。

もとの建物があった場所には、石碑や龍馬の像が建てられています。

建物を見学できるほか、驚くべきことに現在も宿として泊まることができます。
龍馬の気分を味わいながら泊まってみるのもいいですね。

寺田屋
住所/京都市伏見区南浜町263
電話/075-622-0243

寺田屋を出て西に向かうと、すぐ近くに南北に伸びる商店街があります。
ここは幕末に龍馬や志士たちが歩いたであろうことから「竜馬通り商店街」と名づけられています。

石畳の道に町家風の建物やガス灯風の街路灯が整備されており、レトロな佇まい。夜になるととても趣きがあって明治の町を歩いているみたい。

寺田屋では飲食の提供がないのですが、竜馬通り商店街に個性的な飲食店が並んでいるので困ることはありません。

あちこちに龍馬や西郷など幕末の有名人たちがいるので、探して歩くのも楽しいのです。

竜馬通り商店街
所在地/京都市伏見区納屋町通油掛~蓬莱橋
Webサイトはこちら

寺田屋から北西に進み、府道79号線ぞいに濠川(ほりかわ)を渡ると、「坂本龍馬 避難の材木小屋跡」の石碑が建てられています。

寺田屋遭難の際、龍馬と三吉慎蔵はからくも寺田屋を脱出します。
伏見奉行所の追手から逃げ回るうちに材木小屋を見つけた三吉は、ここに親指に重傷を負って動けなくなった龍馬を隠しました。
もしこの材木小屋がなかったら、龍馬は危なかったかもしれませんね。

材木小屋はすでになく、石碑が建つのみです。

坂本龍馬避難の材木小屋跡
所在地/京都府京都市伏見区村上町370

「坂本龍馬避難の材木小屋跡」の石碑からさらに北へ歩いて10分ほど行った場所に、伏見の薩摩藩邸がありました。

寺田屋遭難で龍馬と三吉が寺田屋を脱出した後、龍馬の恋人のお龍は薩摩藩邸に駆け込み、助けを求めます。
藩邸の藩士たちは材木小屋に隠れていた龍馬を発見。救出された龍馬たちは九死に一生を得ました。

現在は松山酒造の工場になっており、玄関横に石碑が建てられています。

伏見薩摩藩邸跡
所在地/京都府京都市伏見区東堺町

寺田屋から伏見薩摩藩邸跡までは約1kmほど。歩いてみると寺田屋遭難の事件がよりリアルに感じられ、歴史ファンとしては胸に迫るものがあります。

その後、龍馬、お龍、三吉はしばらく薩摩藩邸にかくまわれた後、龍馬とお龍は薩摩へと旅立ちます。これが“日本初の新婚旅行”ともいわれています。いわば伏見薩摩藩邸跡は日本初の新婚旅行の出発点といえるかもしれませんね。

ライター(京都市)

大阪生まれの大阪育ち、京都在住のライター・DTPデザイナー・イラストレーターです。京都の情報誌を経てフリーランスになりました。よろしゅうおたのもうします。

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