NMB48渋谷凪咲が語った「バラエティーは不完全燃焼」と「ここだけは貫く正義」
アイドルグループ「NMB48」の渋谷凪咲(しぶや・なぎさ)は、大喜利ができるアイドルだ。“ゆるふわ”な雰囲気からは想像できない返しで、あまたの芸人を唸(うな)らせ、気づけばバラエティーアイドルの新女王として注目を集めている。自らを“NMBの一本柱”と語る彼女の目標とは?さらに、トイレで確認したという正義、家族との話など、25歳のホンネに迫った。
―8月25日に誕生日を迎えましたが、思い描いていた25歳と比べていかがですか?
全く違いました。お母さんが23歳で結婚したので、私も25歳くらいで結婚して、子どももいて、平凡に暮らしているんだろうなって想像していたんです。
生前、おばあちゃんが「凪咲は眼の輝きが違うから芸能界に行きなさい、向いている」、そして「絶対玉の輿に乗る」という言葉を残して亡くなったんです。その後すぐにアイドルになったので、今一番活躍を喜んでくれているのは、おばあちゃんやなって思います。
―おばあちゃんの言葉どおり芸能界に入ったとなると、「玉の輿」も?
なんの根拠もないですけど、ありそうです(笑)。玉の輿ってお金持ちの人と結婚するみたいなことですよね。正直、ちょっとお金持ちやったらいいな、とは思いますけど(笑)、お父さんのような誠実な人と結婚したいと思っています。
―現在、バラエティー番組に引っ張りだこ。芸人さんからも「いてくれると安心」と言われる存在になっていますね
自分では全く実感がなく、まだまだ階段を登っている途中という感じです。「凪ちゃん面白い」って言ってもらっても、私の中では実力が伴っていなくて不完全燃焼なんです。さらに言うと、人生においてすごく満足いったことがまだなくて、「もっともっとやらないといけない」っていう課題が生まれてきて、まだまだだなと思うことが多いです。
―いつも自然体に感じるのですが、話し方がゆっくりなのは昔からですか?
友達や家族から真似されて、すごく嫌でコンプレックスでした。この声とかしゃべり方とか、笑顔も嫌いだったんです。でも、私が短所だと思っていたことが、NMBに入ってからは「いいね」って言ってもらえて長所に変わって、それからは「これでいいんだ」と自然体で自分らしくいられるようになりました。
私、緊張していないように思われるのですが、メッチャ緊張します。でも、番組に呼んでいただけることなんて、この人生で何度あるか分からないじゃないですか。なので、全力で噛みしめて楽しもうと心掛けています。
―バラエティー番組に出る際の心得を教えてください
ん、心得とは?(説明を受けて…)“代わりのきかない立ち位置を築く”でしょうか。私が(番組に)呼ばれているのは、若い子の意見が欲しいということもあると思います。でも、若い子は誰でも代わりがきくじゃないですか。そうじゃなくて「渋谷凪咲がここに欲しい」って思ってもらえるような、私にしかできない立ち居振る舞いをしたいです。
その為に、オープニングで紹介された時に、“この子ってどんな子?”というのを分かってもらえるような話とか、トークテーマにプラスして、もうちょっと掘られた時のために何個か話題は持って行きます。
最初、キャラを作ったことがあるのですが、すごく疲れちゃって、本当の自分じゃない縛られる感じがして、仕事が楽しくなくなったんです。自分らしくいたら嘘もないので、その時からキャラはなくして、平常心のいつもの自分らしい仕事をやろうと決めました。
―「NMB48」のメンバーとしては、今年の12月で10年目ですね
アイドル生活の9年間は大変でした。NMBに入るまではずっとヘラヘラニコニコで生きてきたので、NMBに入ってからは人と比べられて、仲良しの子たちと順位が決められることで気まずくなったり、この子に負けたくないと思ったり、人生で初めての経験で最初はすごく傷つきました。そういう中で戦っていくうちに、「もっと上に」って思うようになって、嫌な経験が自分の力に変わることも初めて知りました。
大人数のグループなので、みんなと一緒では埋もれてしまうこともあります。だから、私は何が好きで、どんなことを表現したくて、どんな風になりたいんやろうって、とことん自分と向き合いました。周りがどれだけ違うことをしていたとしても、私はここだけは絶対に守って生きようという、その正義をずっと貫くことを大切にしています。
―その“正義”とは?
いい意味で変わらないこと。どれだけ立場とか環境が変わったとしても、人に感謝する、初心を忘れないっていうのを大切にしています。
5年前くらいの出来事になるんですけど、メンバーが使うトイレで、手を拭くペーパーがゴミ箱からあふれて床にたくさん落ちていたことがあったんですね。初期の頃は、それを拾ってゴミ箱に入れていたんですけど、先輩になって仕事も増えて、「私ちょっと芸能人やな」って思った時に「誰か拾うやろ」って落ちていたペーパーをそのままにしてトイレを出ようとしちゃったんです。その時に「あっ、私、変わったんや」って。今ここで拾わずに行ってしまったら、今はちょっとのズレかもしれないけど、それがだんだん広がって、私のよかった部分とか素直な部分がなくなってしまう。「アカン」って戻って、ペーパーをゴミ箱に入れました。
―初心忘るべからず、ですね
一緒に住んでいる家族の存在も大きいです。NMBの活動や出演番組をチェックしてくれて「凪咲すごいな」とは言ってはくれるけど、例えば「こんなことあって、こんなこと言われたんだけど、どう思う?」って聞くと、「それは自分にも非があるんちゃうか。何かその人に対して嫌なことはしていないか、一度自分に矢印を向けろ」と言われます。
それはバラエティーにも活きています。例えば、話の流れでメッチャ変な空気になっちゃった時に、誰がどうだったか?ということではなくて、自分にできることはなかったかな?と考えてみることにしています。そう考えられるようになったのは両親のおかげです。
―「ワイドナショー」(フジテレビ系)で、「今は一本柱で頑張っています」と発言していましたね
言いました(笑)。でも本当は一本柱とは言いたくなくて、もっとみんなで揃って大きな柱になりたいです。昔は関東でもNMBで番組をやらせてもらっていたので、またやりたい、それが目標でもあります。
今も8期生を募集していますが、NMBはすごく勉強ができる場所です。専用劇場で劇場公演も毎日やらせていただいていて、芸人さんともお仕事をさせていただく機会もたくさんあったり、メッチャ恵まれている環境だと思います。
とはいえ、いつかはNMBを卒業しなきゃいけないし、よきタイミングで卒業はしたいなとは考えています。でも焦ってはないです。今は「NMB48」という看板もあり、アイドルが大喜利やると面白いからっていろんな番組に出させてもらっているので、「渋谷凪咲」個人としてちゃんと戦えるようになるまで、もうちょっと力を貸してもらって、力をつけていきたいと思っています。
―これから目指すところは?
もともとNMBには演技の仕事がやりたくて入ったんですけど、今はバラエティーで頑張りたいです。バラエティータレントという枠はあるようでないじゃないですか。今の私には生き残って勝ち抜けるくらいの実力はまだないので、ちゃんと突き抜けて立ち位置を見つけたら新たなことに挑戦したいです。
―最後に、渋谷凪咲を作っているものを教えてください
「家族とスイカ」です。私が東京から戻ったら、お父さんが「凪、スイカ買ってんで」って。今年はホンマに6玉くらい食べたと思うんです。スイカは家族との思い出も詰まっているし、自分にとって頑張った後のご褒美なんです。なので、スイカを食べるために頑張れるし、家族に楽しんでもらうために頑張れるんです。
【インタビュー後記】
関西の番組でよくお会いしていた時から、挨拶がしっかりしていて、可愛らしくて、しかも面白いな…と思っていたら、あれよあれよという間に全国放送のゴールデンでよく見かけるようになった凪咲さん。おっとりした話し方から繰り出されるワードセンスとのギャップに、もしかしてちょっとキャラ付けしているところもあるのかなと思っていましたが、ごめんなさい…彼女を作っているのは、素直さと気遣いと、そして努力でした。お守りとして持ち歩いているという祖父母のキーホルダーを私に見せてくれる際、ここでもない…こっちでもない…と3つのポーチの中を一生懸命に探していました。そんな天然なところが、またキュンポイントでもありました。
■渋谷凪咲(しぶや・なぎさ)
1996年8月25日生まれ、大阪府出身。2012年アイドルグループNMB48に4期生として加入。2014年NMB48のシングル「高嶺の林檎」で初選抜入り。以降、NMB48の中心メンバーとして活動を続ける。2021年YouTubeチャンネル「なぎちゃんネル」を開設。同年10月より初冠番組「〜凪咲と芸人〜マッチング」(テレビ朝日系)の放送が決定するなど、バラエティー番組を中心に活躍の場を広げている。NMB48では第8期生オーディションを2021年9月30日まで開催中。
【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】