阪神・淡路大震災から20年、経営者の当時の証言から読み取るBCPの本質
オーラルヒストリーという言葉を聞いたことがあるでしょうか?オーラル(oral)は口述。つまり、歴史研究などのために、関係者から直接話を聞き取り、記録としてまとめたものです。
阪神・淡路大震災から3年後の1998年から、神戸市にある人と防災未来センターの前身である阪神淡路大震災記念協会が中心となり、震災の体験者や行政の当事者広範にインタビューを行い、多くの犠牲者を出した震災において、何があったのか、その中からどのように立ち直ろうとしたか、震災の復興のプロセスの実相を本人たちの実際の応答による記録として残し後世に伝えようと「阪神淡路大震災オーラルヒストリー」をまとめました。
当初、聴取内容については30年間、原則非公開を前提としてインタビューされたものでしたが、2011年3月11日に起きた東日本大震災に直面し、阪神・淡路大震災の発災時・復興時に得た教訓や経験の貴重性、重要性を鑑みて、また行政や市民の防災意識向上もあって、これらオーラルヒストリーを行政の発災・復興対策や市民の防災対策の立案に役立てていただくべきであるとの理由により、本人などの同意を得られたものから順次、人と防災未来センターで公開されています。
プロジェクトは、当時の神戸大学教授で現名誉教授の五百旗頭真氏と室崎益輝氏、京都大学教授の林春男氏をリーダーにする3つのチームから構成され行われました。
当時、内閣府総理大臣だった村山富市氏や、兵庫県知事だった故・貝原俊民氏、神戸市長だった故・笹山幸俊など、当時の行政のリーダー、企業のトップ、復興に尽力した市民、震災で亡くなられた方のご遺族、ボランティアらから直接話を聞き、400件を越える記録としてまとめられています。
私も、すべて読んだわけではありませんが、やはり当時の状況を、当時の担当者が、発災から間もない時期に語った記録集というのは、生々しいものがあります。リスク対策.com(http://risktaisaku.com)1月号では、阪神・淡路大震災のオーラルヒストリーの発案者である京都大学防災研究所の林春男教授へのインタビューと、オーラルヒストリーの中から5人の経営者の証言を抜粋して紹介しますが、崩壊、あるいは燃え上がる自社施設の姿を目前にしながら、再建を決意し、苦悩を跳ね返しながら成長戦略に舵を切った経営者には学ばされることが多くあります。
風呂釜や給湯器などを製造・販売する(株)ノーリツの名誉会長である太田敏郎氏は、本社が壊滅的な被害を受けながらも、震災翌日に全国の代理店会を東京で予定していたことから、翌早朝から伊丹空港から東京に駆けつけ、会社の存続を悲観する代理店に「ノーリツは生産を再開する」と言い切って神戸に戻ってきました。社員からはボランティアとして活動したいという意見が多く出されたものの、自分たちの使命は製品の製造でそれが本当の社会貢献だと社員に言い続け、製品を送り届けることで対外的な責務をしっかりと果たしました。
最も多くの犠牲者が出た東灘区で甲南大学を運営する学校法人甲南学園の理事長を務めた小川守正氏は、私学の理事長の役割は、いただいた授業料に対してサービスをすることだと、運動場に仮設校舎を造り2月半ばの入学試験や4月からの授業再開を果たしました。
ポートアイランドにある(株)ポートピアホテルの社長だった中内力さんは、ホテルに滞在中の世界中からのお客の不安を解消するため、3日間でほぼ全員を帰宅させ、反対に、取材などで神戸入りしたが宿泊場所のない多くのメディア関係者に部屋を提供しました。発災初日は、ホテル滞在者だけでなく周辺の住民に対しても食事を無料で提供し、帰宅のための交通手段を確保するためあらゆる努力をされた。会社とは何か、社会貢献とは何かを考えさせられる内容です。
どの経営者も、会社の本来の目的を達成するために意思決定し、あの震災を乗り越ええてきた。京都大学防災研究所の林春男教授は、本誌インタビューに対し「震災から20年たってBCP(事業継続計画)の重要性への理解が広がり、体系的に整理され、普及も進んでいる。しかし、形式的なBCPはあっても、事業継続の本質でもある経営者の信念はあるのか。もっと言えば、器はあっても魂が入っているのか。私の危惧はその点にある」と答えてくれましたが、その通りだと思います。
別の言い方をすれば、テクニックが未熟でも、目的さえしっかりしていれば、困難の多くは乗り切れる。阪神・淡路大震災20年を機に、何のために会社は事業を続けなくてはいけないのか、今一度、BCPの原点に返り、そのことを組織全体で考えてみたいものです。