デモはなぜ危険に<みえる>のか――社会運動とポリシング(警察による取り締まり)の関係
1月14日に都内で行われた「安倍政権NO!+野党共闘☆0114大行進in渋谷」に対し、この日が大学入試センター試験の1日目にあたることもあり、デモの騒音や交通への影響を不安視した意見が寄せられたという一件がありました。また、TOKYO-MXのテレビ番組「ニュース女子」が本年1月2日に、沖縄・高江の米軍ヘリパッド建設に抗議する人々を「テロリスト」と表現するといった事態もみられました。こうした意見や情報に対しては、運動の参加者や専門家からの反論が既にネット上で提示されていますが、近年の活動に限らず、社会運動は多くの場合実態よりも「危険」な活動として見られることが多いようです。
もちろん、社会運動にも様々な政治的主張や形態を伴うものがあります。戦略的に罵声をあげたり、攻撃的な言葉を用いるようなものもありますが、こうしたデモにおいても物理的な攻撃をしないという原則は徹底されていますし、そうでなくとも現代日本における多くのデモは穏健で、警察や機動隊に対する暴力行為などは見られない場合がほとんどです。この記事では、なぜデモが実際よりも危険なものとして見られるのかを過去の事例や国際的な実態との関連から明らかにしていきたいと思います。
日本においてデモが危険視されるようになったのは1960年代以降で、これは国際的な社会運動への取り締まりの動向とも関わっています。安藤丈将は、1960年代後半に社会運動参加者の大量逮捕が生じた後、警察が地域住民へと「ニューレフト運動は過激だ」というイメージを植え付けることにより、警察と住民が協力して社会運動を管理したと論じています。日本では1960年代以降の全共闘運動や新左翼運動といった一連の「学生運動」と呼ばれる出来事において、1969年の運動では2日間の衝突で600名以上の活動参加者が起訴され、国際反戦デーでも1,400人、羽田空港での運動でも1,940人の逮捕者を出しました。こうした事態を経て、警察は直接的な、逮捕を伴うような社会運動の取り締まりから、なるべく予防的な対策を行うように方向転換を行います。そのために、メディアや地域住民といったアクターと提携し、「危険な」社会運動の像を作り出していくのです(安藤丈将,2013『ニューレフト運動と市民社会―「六〇年代」の思想のゆくえ』世界思想社)。
ここで大きな役割を果たしたのがマスメディアでした。メディアが社会運動を危険視する報道を繰り返したことで、運動に参加しない市民が活動参加者を「自分勝手で暴力的な」人々と捉えたのです。例えば、2008年北海道洞爺湖サミットの際には、警察が社会運動参加者と実際に対峙した場合の訓練画面を流すなどといった様子がニュース番組などで繰り返し放映されました。またサミットに限らず、大規模な国際会議の際にはテロ対策として、社会運動に言及されることも少なくありません。実際には建造物を損壊するといった事態はほぼなく、路上にいる一般市民との接触といった事態も見られません。実際にはデモルートや道路の使用時間などについて警察と交渉し、現場で交通の状況を見つつデモを安全に先導する「リーガル」という役割が多くのデモに設けられています。
メディアを通じた「危険な」社会運動のイメージ形成は、日本だけで行われているわけではありません。欧州諸国やアメリカもまた、大規模な社会運動が生じた1960年代から日本と同様に、メディアを通じた社会運動に対する「危険で」「過激な」社会運動へのイメージを積極的に付与していきます。こうしたノウハウは国家間で共有され、社会運動への取り締まりは、活動参加者への逮捕による直接的なものから、事前に危険で過激なイメージを付与するという間接的なものになっていくのです(Della Porta, D and Rucht, D. 1998, Policing Protest, University of Minesotta Press.)。
実際に、このような「危険な社会運動」というイメージは運動の参加者自身によっても認識しており、1960年代以降、デモやストライキといった路上で行われる行動は極端に減少していきます(西城戸誠・山本英弘, 2007「戦後東京における社会運動の変容」『法政大学人間環境論集』7)。また、デモを安全に運営するために、先述した「リーガル」の役割といった形で、デモ参加者による自主管理も進められています。
この記事が、読者の皆さんの社会運動やデモに対する不安を払拭する一端となれば幸いです。
※この記事は、著者の過去に刊行した論文(富永京子,2014「社会運動と『逮捕』――被逮捕者に対するまなざしを通じて」『年報社会学論集』27)に基づき、2017年1月現在の情報を加筆したものです。