「選手は家族」震災で移転したプロバスケチームの帰還を待つ、夫婦の思い#災害に備える #知り続ける能登
2024年元日の地震で、能登半島は大きな被害を受けた。その中央部で七尾西湾に面する七尾市田鶴浜町は震災前、プロバスケットボールチーム「金沢武士団(サムライズ)」の練習拠点だった。だが、震災で体育館は避難所となり、選手やスタッフの住居も損壊したため、チームは拠点を金沢近郊に移転してしまった。田鶴浜でチームを支えてきた山本直樹さん(51)と美保さん(51)夫妻は「再びチームを呼び戻して町の活気を取り戻したい」と奔走するが、その前提となる復興は思うように進まない。一方、B3リーグの新シーズンを迎えた金沢武士団は、被災地に元気を届けようと試合に挑むが、苦しい戦いが続く。厳しい局面でも声援を送り続け、チームが戻ってくる日を待ち続ける山本夫妻の思いとは。
■今シーズン初めて迎えた七尾市開催のホームゲーム
2024年11月9日、バスケットのB3リーグに所属する金沢武士団は、七尾総合市民体育館でシーズン13試合目を迎えた。それまで3勝9敗で17チーム中16位。この日の対戦相手は格上の岐阜スゥープスだ。この日は山本夫妻のほか、震災前まで練習拠点を置いていた田鶴浜の住民たちが会場に駆けつけていた。「勝って被災地に元気を与えたい」。選手たちはみな、意気込んでいた。
■共に支え合った田鶴浜地区住民と金沢武士団との絆
金沢武士団が金沢市から七尾市田鶴浜町に練習拠点を移したのは、2022年夏。チームの経営悪化がその理由だった。選手獲得に資金を割けず、21年シーズンは最下位に低迷した。無給でプレーし、アルバイトをする選手もいた。経営立て直しとチーム強化を図るべく新たな拠点として選んだのが田鶴浜だった。練習時間が確保でき、利用料の安い田鶴浜体育館を使えることが決め手となった。
武士団は住民たちに温かく迎えられた。地元で採れた野菜や料理を体育館に差し入れする人も現れた。山本美保さんは、田鶴浜体育館の管理人として懸命に練習する選手たちと接するうちに、応援したい気持ちがわいてきたという。夫の直樹さんも「プロの世界で頑張ろうとする選手たちの姿が輝いて見えた。食事でもごちそうしてあげたいと思った」
夫妻にとって選手たちは、我が子ほどの年頃だ。やがて休日に選手たちが夫妻の自宅で食事をすることも増え、夫妻は「田鶴浜のお父さん、お母さん」と呼ばれるほどの関係になった。
■苦しい避難所生活を支えた金沢武士団の思い
24年1月1日、七尾市では最大震度6強を記録、約1万6千棟が被害にあった。その日、山本夫妻は帰省中の長男長女と自宅で過ごしていた。直樹さんが娘と車で買い物に出掛けた直後に地震が発生。自宅の壁や床は崩れたが、建物そのものは倒壊を免れ、美保さんと長男は無事だった。
田鶴浜体育館へ向かうと、すでに500人ほどが避難していた。体育館の管理人だった美保さんは、直樹さんと協力して避難所としての運営にあたった。被災直後は食料が十分になく、温かいものが食べられずに避難者の心は荒んでいた。そこに地震の翌日から炊き出し支援に駆けつけたのが、金沢武士団のゼネラルマネージャー原島敬之さん(63)と妻の寿美子(63)さんだった。
「お世話になった地域の方々が寒い思いをしているのを目の当たりにして、炊き出しで温かいものを食べてもらいたいと思いました」と原島さん。選手やスタッフたちは正月休みで七尾にはほとんど残っていなかったが、チーム運営会社の中野秀光社長と相談し、来られる選手やスタッフに炊き出しを手伝ってもらうことにした。美保さんは「大変な状況だったんですけど、選手たちも『元気でしたか?』って私たちのこと本当に心配してくれました」と美保さん。直樹さんも「心から私たち田鶴浜の人々を救おうと必死になってくれているんだと感じました」と振り返る。
■「必ず戻ってきます」金沢武士団選手たちの決意
だが、田鶴浜では練習再開のめどが立たなかった。チームはやむなく金沢に近い白山市や野々市市に一時的に拠点を移すことを決めた。1月21日、選手らは避難所の住民たちに「必ず戻ってきます」と別れを告げた。
「自分たちだけ安全な場所でバスケットをしていいのか。葛藤もあったが、田鶴浜の人たちは温かく送り出してくれました」と田中翔大主将。入団2年目の東野恒紀選手も「田鶴浜はもう第二の家と言ってもいいくらい大切な場所です。この先どんな状況に置かれても、田鶴浜の人の気持ちを忘れずにバスケットボールで勝利を届けたいと思っています」と話した。
■地震で離れた金沢武士団を呼び戻し、町を再び活気ある町にしたい
震災から8カ月あまりがたった9月、仮設住宅で暮らしていた山本夫妻は、解体され更地になった自宅の跡地を訪れた。25年夏に建てる新居の構想を練るためだ。「武士団の子たちが来るだろうと思って、間取りをもう想定している。あいつらが来られない家を作る気はないよね」と直樹さん。もちろん、美保さんもそのつもりだ。「あの子たちが練習後にリラックスしに来てくれるのが楽しかった。私たちには家族のような存在なんです」
2人は、金沢武士団が田鶴浜に戻ってくる日を待ち続けている。「復興の一翼を担ってもらい、町を盛り上げる原動力になっていってほしい」と願うからだ。
■金沢武士団と田鶴浜地区住民とをつなぎ止めたい ゼネラルマネージャー原島敬之さん
原島敬之さんは23年8月に金沢武士団のアドバイザー兼ゼネラルマネージャーに就任。東京から七尾市に移り住んだ。避難所で約2カ月の炊き出しをした後も、妻の寿美子さんと七尾市で支援活動を続けている。町を歩けば感謝の声をかけられるほど、住民からの信頼は厚い。「田鶴浜の人たちとは毎日家族のように避難所生活を送っていました。被災者の方々に喜んでもらえたり、必要とされることが、自分の生きがいにもなっています」。山本夫妻とは家族ぐるみのつきあいだ。
11月7日。原島さんは直樹さんの2日遅れの誕生日を祝うため、山本夫妻を自宅に招いた。山本夫妻にとって原島さんは、田鶴浜とチームをつなぎ止めてくれる存在だ。直樹さんは「今は武士団を呼び戻せる力はないです。産業も何もかも破綻しているところに強引に呼び戻すなんておこがましい。でも諦めてはないですよ」とチームへの思いを語る。原島さんは、そんな気持ちにこう応える。「みなさんの思いはスタッフ選手たち全員感じています。今までの恩返しをするためにも、復興支援を続けていきたい思いは変わりません。チームとしてどういった形で地域に貢献することができるのか、模索している段階です」
■進まない復興 街の未来を思って奮闘する直樹さん
復興が思うように進まない中、直樹さんは地元の自治会長に就いた。建設会社に勤務しながら被災者の要望をまとめ、行政に伝えるなど多忙な毎日を送っている。「チームがいま戻ってきても、選手たちが住む場所がない。まずは戻れるような環境を何とか作っておきたい」
直樹さんは、田鶴浜地域づくり協議会と七尾市や国交省の担当者らによる田鶴浜復興会議に出席し、復興プランについて議論を交わした。しかし、参加者からは具体的な意見は出てこない。国交省からは「何のためにこの会議をしているのか。まずは明確なプランを地域の皆さんで決めるところから始めた方が良いかと思います」と突き放された。
「復興したい」。直樹さんは、そんな漠然とした考えしか持っていなかった自分が情けなくなった。「何もまとめきれていないのに会議を開催したことが、まず間違っとる。まだ(未来に)向ききれていないんだよな」。七尾市内でも観光地の和倉地区や御祓(みそぎ)地区はすでに復興に向けて動き出していることに、焦りを感じていた。
住民たちだけで開いた次の復興会議で、直樹さんはこう訴えた。「武士団を田鶴浜に呼び戻すため心を一つにする。戻ることで新たなコミュニティーや雇用が生まれたり、経済効果が期待できる」。「分かりやすいアイデアだ」と賛同する声も出たが、それ以上の進展はなかった。
金沢武士団が田鶴浜にやってきた2022年のシーズン。チームが勝率を上げていくにつれ、住民も盛り上がっていった。チームに戻ってもらうことで、そんな活気を取り戻したい。だが、地元には解体がすんでいない建物が多く、新たに家を建てる経済的余裕もなければ、体力や気力もない高齢者が多いのが現状だ。自治会で復興支援イベントを主催しても、参加する人は少ない。先行き見えない現実に、直樹さんは落胆を隠せない。
■リーグ戦で低迷するチームを田鶴浜住民で盛り上げたい
24年9月、金沢武士団はB3リーグの新シーズンを迎えた。翌春まで17クラブが52試合ずつ戦うレギュラーシーズンをへて、上位8クラブだけが進めるプレーオフへの出場をめざす。
山本夫妻は金沢市内での開幕戦に駆けつけた。だが、声援むなしくチームは敗退。それから8連敗を喫してしまう。
山本夫妻はこの逆境を何とかしようと、チームの遠征試合に田鶴浜でのパブリックビューイングで声援を送ろうと企画した。11月3日の試合には、会場のコミュニティセンターに七尾市長や住民ら20人ほどが集まった。中には、けがで出場できない選手の顔も。田鶴浜の熱い声援が届いたのか、チームは見事な勝利を収めた。
山本夫妻には次の計画もあった。11月9日、今シーズン初の七尾市での試合に、田鶴浜からたくさんの住民を動員しようというのだ。夫妻は原島さんと共に、仮設住宅で来場を呼びかけるチラシを配り、「地域一体となって金沢武士団を応援しよう」と一軒一軒に呼びかけた。「1人でも多くの人に来てほしい。武士団が勝ち続ければ、みんなも振り向いてくれるかもしれない」。そんな思いだった。
そして迎えた試合当日。山本夫妻が期待したほどではなかったが、会場には田鶴浜の住民たちも駆けつけた。
試合は序盤から立て続けに相手にシュートを決められ、前半が終わって33-41。後半に入ると東野選手らの活躍で同点に追いつく。勢いは止まらず、外国籍や新加入の選手たちが3ポイントシュートを立て続けに決め、81-73で逆転勝利を収めた。七尾市のファンの前での公式戦勝利は、震災後初めてだ。
劇的な勝利に武士団のブースターは総立ち。試合後に駆け寄ってきた選手たちは、山本夫妻らとハイタッチして喜びを分かちあった。「カッコよかったよ!お前ら本当にすごいわ!この調子で勝ってくれ!」と興奮する直樹さんに、東野選手も「ありがとうございます!明日も応援来てください!」とうれしそう。武士団は翌日も勝利し、被災地に喜びと元気をもたらした。
■山本さんが描く田鶴浜と金沢武士団の未来
地震発生からまもなく1年を迎える。田鶴浜では、仮設住宅からの移転や生活基盤の整備など、課題は山積している。一方、地元からは「チームを中心としたまちづくりをしたい」、「町に金沢武士団ロードを作ってみたい」などと、直樹さんの考えを後押しする意見も出るようになった。
直樹さんは、これからの田鶴浜をどう描いているのか。
「今、町は疲弊しています。復興を実現するには、まず自分たちが前を向いて気持ちを一つにしていくことが課題だと思っています。その土台を作った上で、金沢武士団がこの町に戻って地域を盛り上げてくれることを願っています」
復興会議は、2025年1月1日に田鶴浜体育館で追悼式典を計画している。そこで参列者から復興への意志や意見を聞き、みんなが願う町の姿を確認する狙いがある。田鶴浜をともに盛り上げてくれる有志を募り、復興へ一歩でも近づいていきたいと考えている。また、式典に金沢武士団も参列して住民らと共に町の復興を祈念する予定だ。
金沢武士団は、来シーズン以降も金沢近郊を拠点にする予定だ。田鶴浜を含めた被災地への支援は続けていく。距離は離れても、被災地の人々に寄り添う気持ちは変わらない。
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監督・撮影・編集・記事:森田雄司
プロデューサー :細村舞衣
記事監修 :国分高史・飯田和樹
写真・映像提供 :金沢武士団・田鶴浜スポーツクラブ