政治への関心や自分の生活とどちらが大切か…政治への想いの実情をさぐる
国民全体に対するさまざまな施策を国家単位で執り行う活動や、その施策そのもの、さらにはそれらを成すためのさまざまな様式、意識決定などをまとめて政治と呼んでいる。その政治に対し、人々はどの程度関心を持ち、いかなる想いを抱いているのか。今回は総務省が2017年7月に情報通信政策研究所の調査結果として発表した「平成28年 情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」(※)の公開値を基に、政治にまつわる4項目の調査結果(設問に対しどれだけ同意できるか)を抽出し、その実態を確認する。
まずは「普段から政治に対して関心がある」。
全体では関心派は4割、無関心派は6割。男女別では男性の方が関心が強く、年齢階層別では若年層ほど無関心派が多い。学生・生徒も10代とあまり変わるところが無い。保護者の下で生活している人が多分にいることもあり、政治への関心まで注力が回らない、優先順位が後回しにされてしまうのだろうか。選挙の投票率は一般的に若年層ほど低率を示すが、この値を見ると納得してしまう。
なお直近の参議院議員選挙では10代の投票率の方が20代や30代よりも高い結果が出たが、これは政治への関心よりもむしろ、住民票の問題や多忙感が影響しているものと思われる。
続いて「政治のことよりも自分の生活の方が大事だと思う」。
大よそ8割は「政治より自分の生活が大切」で、政治にウェイトを置く人は2割程度でしかない。政治に重点を置いても、結局は自分自身の生活にも反映されうる、それが直接的か間接的かの違いでしかないのだが、やはり直結する方に注力してしまうのは人の性というものか。一方、よく見ると10代から30代の若年層では「あてはまる」の回答率が高めに出ており、最初の「政治への関心」の度合いとの連動性も想起される。自分の生活の方が大切なので、あまり政治には関心を寄せないと考えれば道理は通る。
次は「我々が少々騒いだところで政治は良くなるものではないと思う」。
個々の意志の集合が大きな意志となることを考えると、それぞれが同じようにあきらめたのでは、集団としてもその流れに従ってしまう。しかし仮に自分自身が何らかの動きを示しても、それだけですぐに世の中が変わるわけではない。そこに無力感を覚えるのは理解できる。
他方、自分の所属する属性で同じような考えを持っている人が多数居ても、その意志がないがしろにされている雰囲気を覚えると、個々の意見ですら通りにくいと認識してしまうことがある。10代から30代、特に成人となった20代から30代、そして学生・生徒で「あてはまる」の値が高めに出てしまうのも、自分達の考えが軽視されている想いを抱いているからだと見ると、納得はできる。逆に60代で「あまりあてはまらない」の値が大きく増えるのも、意識の奥底で自分の属性の意見が比較的通りやすい、思っている通りに世の中が動いていることを認識している結果ではないだろうか。
最後は「政治のことは難しすぎて自分には良くわからない」。
他の結果を裏付ける動きを示している。女性、若年層ほど「難しい、自分には分からない」との意見が多い。特に10代や学生は7割強が賛意を示している。そして歳を経るに連れてその値は減っていく。若年層ほど政治に消極的、無関心なのも、要は難しいからに他ならない。もちろん難しいのが原因で、その他の姿勢が結果では無く、それぞれ相互に結果と原因となっている部分もあるのだろう。
先の参議院議員選挙は初の18・19歳も投票に参加した上での国政選挙となったわけだが、投票率は上記グラフにもある通り、18・19歳では20代や30代前半よりも高い値が出ている。これは初の20歳未満の投票として注目を集めたのと主に、就業をしている若年層と比べて投票する時間の余裕があること、投票権を得る場所と現在居住地が同じである人が大部分なことなどが原因として考えられる。政治への興味関心の度合いは、今件の調査結果の限りでは、それより上の若年層とさほど変化は無いだろう。
無論、実際に投票ができるとなれば、それに絡んで政治への興味関心が増す可能性もある。少しずつだが10代や学生・生徒に関する各種回答値にも変化が生じるかもしれない。
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※平成28年 情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査
2016年11月26日から12月2日にかけて、全国125地点をランダムロケーションクォーターサンプリング(調査地点を無作為に抽出、地点ごとにサンプル数を割り当て、該当地域で調査対象者を抽出する方法)によって抽出し、訪問留置調査方式により、13歳から69歳を対象とする1500サンプルを対象としたもの。アンケート調査と日記式調査を同時併行で実施し、後者は平日2日・休日1日で行われている。