国会で憲法9条を「禁治産者」と例えた安倍晋三首相
高村正彦・自民党副総裁や、公明党・山口那津男代表、中谷元・防衛大臣をはじめ、与党幹部が過去の自らの見解や政府としての答弁をかなぐり捨てて、「安保法案」(戦争法案)や、集団的自衛権について、憲法9条に違反しない、と言い張っており、支離滅裂な発言をくり返しています。
そんななか、意外と顧みられていないのが、安倍晋三首相の過去の発言です。
安倍首相の憲法9条に対する基本的な見方
安倍首相の憲法9条に対する見方が端的に表れているのが、平成12年5月11日の衆議院憲法審査会での意見表明です。
要約すると、(1)集団的自衛権は憲法以前の自然権である、(2)集団的自衛権を有するが行使できないとする政府解釈はおかしな理論であって禁治産者であることを宣言するような恥ずかしい見解、(3)従って憲法9条のいかんにかかわらず集団的自衛権は行使できる、ということになります。
「恥ずかしいから」の一言で憲法9条を否定する恐るべき価値観ですね。「禁治産者」(平成12年4月に成年後見制度に移行し廃止)を「恥ずかしい」と述べる点にも、差別的な価値観が見てとれます。なお、日本国憲法で禁治産制度に概念が近い制度をあえて挙げるなら、憲法5条と皇室典範に定められた摂政の制度なのですが、安倍首相は摂政の制度も恥ずかしい、というのでしょうか。
官房長官としての政府答弁
一方、安倍首相は、小泉政権で官房長官だった平成18年4月17日の政府答弁で、下記の様に述べています。
ちょうど1年前までの憲法9条に関する政府見解を綺麗に述べていますね。ここから分かることは、少なくとも、安倍首相は、私的な見解と政府の見解を分けて考えることができる人だ、ということです。私見から独立した国家の意思が存在することを認めるからこそ、私見とは全く違う政府見解を答弁することができるのです。
「禁治産者」で「恥ずかしい」から憲法違反をできるのか
自らの口から、自らの意に反した政府答弁を述べた安倍首相は、自らの意思に反していても、自分も含めて何十年にもわたって繰り返し答弁してきた憲法9条に関する政府見解を勝手に変えてはいけないことは分かっているはずです。それをやったら個人の意思からは独立した政府が、国民に向かって数十年越しのウソをつき、あわせて政府を縛っているはずの憲法を縛られているはずの政府がぶち壊すことになるからです。この間、憲法学者が火のように怒っているのもそのためです。それをやりたいのなら最低でも憲法9条の改憲を国民に訴えるべきでしょう。
それにもかかわらず、安倍首相が憲法を冒して政府見解を変えても平気でいられる心理の底には、上記のように憲法9条による集団的自衛権行使不可≒禁治産≒恥ずかしい、という安倍首相自身の見解があるように思えます。
安倍首相は上記と同じ平成12年5月11日の議事録で憲法の制定過程について以下のように述べています。
裸の王様は誰なのか、今、攻守は反転しつつあるように思えます。こんな発想に基づいて、我が国の立憲主義を滅茶苦茶にされることだけは、避けなければなりません。