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よく使われる採用基準「論理的思考能力」の正体〜本当に論理性を見ているのか〜

曽和利光人事コンサルティング会社 株式会社人材研究所 代表取締役社長
仕事で、それほど高度な論理性など、本当に必要なのでしょうか?(提供:tiquitaca/イメージマート)

■「論理的思考能力」はよく使われる採用基準だが、本来の意味で使われていない

企業が採用時に求める人物要件において、「論理的思考能力」というものがよく出てきます。字義通りに受け取れば、「概念の論理操作の卓越さ」、つまり、論理が長く複雑な思考をたどって理解したり、自分で構築したりすることのできる能力であるということです。

しかし、よくよく観察してみると、驚くべきことに、多くの人が「論理的思考能力」をその本来の意味で使っていないのです。

そもそも、多くのビジネスにおいて用いられる論理の構造など、複雑なものはほとんどありません。三段論法とか、帰納法とかそんな程度で、大昔に私が進学校を受験する中学生に教えていた数学などと比較しても、それ以上の論理的思考能力を求められるようなものは今まで出合ったことがありません(私が大して難しい課題に直面してないからかもですが)。加減乗除とか割合ぐらいしか使いませんし。

■「論理的思考能力」という人が実際に指しているのは「現実認識の正しさ」

では、多くの人が「あの人は論理的だ」「ロジカルだ」と言う際に、何を指していることが多いかというと、それは論理の前提となる「仮定」=「曖昧模糊としたリアルから、冷静に客観的に現実を捉えたもの」が正しいということに他なりません。

仮定(前提)が正しくて、論理が正しければ、結論は正しくなります。それでロジカルだということになるのですが、本質は論理の正しさではなく、「現実認識」の正しさのことを言っているのです。

■結局は、「感情のバイアスから逃れられるかどうか」ということ

現実認識の正しさは何から得られるのでしょうか。逆に言えば、どういうことが正しい現実認識を妨げるのかと言うと、それが、人間の感情です。感情は自動的に発生します。意識の側からみれば、強迫的にやってくる抗いがたいものです。身体(≒無意識)の側から、突然それはやってくるわけです。そして、人間の現実認識にバイアスをかけて妨げるのです。

無意識はバカではありません。人は意識などしなくても、外界から入ってくる言葉の意味を理解するし、思考も行うものです。しかも、基本的に一つの思考しかできない意識と違って、無限のリソースがあるかのように同時並行的に情報処理を多量に高速で行っているのです。

カクテルパーティー(など絶対に行きませんが)の雑踏の中で、自分の名前を呼ばれると分かるのはそのおかげです。また、直感(ここでは、意識的な思考の結果でなく、無意識の思考によって、結果のみ意識側にもたらされる結論と定義しておく)が、大体の場合正しいのはそういう背景なのです。

■無意識から立ち上る感情は利己的なもの

しかし、無意識は野生のものであり、身体のものであり、時にはしたなく、下品なものです。

無意識は倫理的ではなく、利己的で計算高い。身体の側の論理だから、生存本能をベースにして、欲求に忠実な傾向が強い。そういう無意識が生み出した精神的機能である「感情」は、同じように結構はしたないことが多いと思います。

自分が何か好きになるもの、嫌悪を感じるもの、恐怖、不安・・・それらは、かなり自分勝手なものだと思った方がよいでしょう。自然にもたらされる感情がいい、なんてことは本当はないのです。

■意識は無意識を認めがたく、現実認識を歪めてしまう

感情によって歪めてもたらされる「直感」を受け取る意識は、相対的に無意識よりは倫理的な存在です。身体を介して外界と間接的に接しているだけなので、現実離れした妄想を抱くことができます。だから、本来はありえない理想を描くことができ、それが倫理性の源となるのではないかと思います。

なのに、意識は自分が自分の支配者であると錯覚しているので、直感は外から来るものではなく、中から来るものであり、それについても意識が責任を取らねばならないと思っています。

だから、非倫理的な直感をそのまま肯定することはできないのです。自分の中からそんな下品なものが出てきてはならない。そこで、なんとか屁理屈を使って、大義名分を後付けで構築することで、その認知的不協和を解消させようとするのです。

こういうことが、感情による論理性の阻害のメカニズムではないでしょうか。

■要は「感情のバイアスから逃れられるかどうか」ということ

冒頭の話に戻ると、結局、「論理的思考能力が高い」「ロジカルである」ということは、この感情による論理性の阻害というものをどれだけ避けられるかということなのではないかと思います。

意識が自分の感情に対して客観的・批判的でいられるためには、逆説的ですが、非倫理的な感情を自らのものとして受け止めて、汚い下品な自分を一旦は肯定しないといけません。そういう汚い自分を認めることができれば、はじめて感情に意識の光を当てることができ、私たちは「論理的な」「ロジカルな」人間になれるのです。

人事コンサルティング会社 株式会社人材研究所 代表取締役社長

愛知県豊田市生まれ、関西育ち。灘高等学校、京都大学教育学部教育心理学科。在学中は関西の大手進学塾にて数学講師。卒業後、リクルート、ライフネット生命などで採用や人事の責任者を務める。その後、人事コンサルティング会社人材研究所を設立。日系大手企業から外資系企業、メガベンチャー、老舗企業、中小・スタートアップ、官公庁等、多くの組織に向けて人事や採用についてのコンサルティングや研修、講演、執筆活動を行っている。著書に「人事と採用のセオリー」「人と組織のマネジメントバイアス」「できる人事とダメ人事の習慣」「コミュ障のための面接マニュアル」「悪人の作った会社はなぜ伸びるのか?」他。

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