桜の季節の終わりに~女子プロレスラー 乳がんステージIVからの挑戦~
およそ1ヵ月前、3月31日のことだ。
女子プロレスラーの亜利弥’(ありや/フリー/43)は、女子格闘家仲間やその友人たちと共に、東京・靖国神社で夜桜見物を楽しんだ。
都心の桜が満開を告げられたこの日、ライトアップされたソメイヨシノは赤々と夜空を埋め、その下では花見客の波が楽しげに揺れていた。亜利弥’たちの一団も賑やかに、波のひとつに溶け込んでいた。
宴の合い間を縫い、亜利弥’と少しだけ話をした。
桜の季節に合わせて、髪の裾(すそ)を自分でピンクに染めたのだという亜利弥’に、「桜、満開になりましたね」と言うと、茶目っ気のある笑顔と声で彼女は言った。
「まだまだ。桜が散るまで、まだ油断できませんよ!」
亜利弥’は昨年2月に乳がんの告知を受け、その年の暮れに記者会見の場で、がんの進行度合いがステージIVであること、デビュー20周年の自主興行を開催することを発表した。
病状をおして試合出場を決めたのは、「病院選びやセカンドオピニオンの大切さを伝えたい。そして、同じステージIVと闘う人たちに「『試合までやっちゃうなんてバカだねえ』と笑ってもらい、元気になってもらいたい」と思ったからだ。
亜利弥’がプロレスラーとしてデビューしたのは1996年4月14日だ。自主興行も、現役生活20年の節目となる4月に開催したいと思っていたが、病状を危ぶむ担当医に制され、「このまま転移が進めば、おそらく桜は見られないでしょう」と言われた。
医師の言葉を、彼女はすぐに切り返した。
「私は桜が散るのを見ます」
満開の桜の下で彼女が語った言葉は、この時の医師とのやり取りを引き合いに出してのものだった。
◆『必ずがんを叩きのめそう」先輩・北斗晶からの手紙(亜利弥’自主興行詳細)
亜利弥’の近況報告には、良いものもあれば、そうでないものもあった。
1月8日の自主興行では約10分間、「今出せる精一杯の力で」闘い抜いた。その数日後の定期検診で、両肺に転移したがんの数値が初めて下がったのだという。試合をしたこととの因果関係は不明だが、「リングに立てたことの喜びや闘うことの楽しさを、胸いっぱいに味わえた。その感情がプラスに働いたのではないか」と亜利弥’は思っている。
リングでの闘いには代償もあった。
「首の骨に少しヒビが入っていました。たぶん、試合の時にやってしまったのかな、と」
彼女がスマートフォンで見せてくれたレントゲン写真には、頸椎の一ヵ所に薄く筋が入っていた。
「本当は様子を見て、また試合をしようと思っていたんですけどね(笑)。まずはこれを治さないと」
現在、投薬や皮下注射によるホルモン療法と、骨を強くする注射を継続しており、定期健診の数値は、ここ数ヵ月前向きな結果が出ている。だが、薬の副作用は強く、指や全身の関節痛、また筋肉痛や倦怠感で体が思うように動かない日も多い。
体調が悪いときは、かけられる言葉が胸に深く沁みることもある。嬉しい言葉もあるが、心ない一言に傷ついたり腹を立てたりすることも少なくないという。
「がんになって達観する人も、もしかしたらいるかもしれないけど、私は全然。もう毎日ムカついたり、お慰みみたいな言葉に『なんだよー!』と思ったり。頑固者は頑固者のまま。ダメですかねえ(笑)」
心のストレスが一番の大敵と実感してからは、心から笑い、美味しいと感じるものを食べ、ストレスレスな日常を送るよう心がけている。
今回、亜利弥’は同じ女子格闘家の篠原光(ヨックタイジム)に誘われ、靖国神社の花見に参加した。罹患場所は違うが篠原も今、がんと闘っている。
「光ちゃんとはこれまで総合格闘技で3戦、闘っているんです。4戦目を一緒にがんと闘って、5戦目は総合格闘技のリングを夢にみて……」
亜利弥’は心ひそかに、また誰かを勇気づけられる新たな自主興行を企んでいる。
4月の終わり、都心では長咲きの頑固な八重桜も散り急ぐ。散り切る桜を見届けて、亜利弥’は夏へと向かう。