謝罪がやたらうまい「謝り侍」の上司と、トラブルを起こさない「平凡無事」の上司はどちらがよいのか
■トラブルシューティングこそ上司の役割?
平時にはあまり働かなくても、危機の際には力を発揮してくれて、チームを救ってくれる上司は良い上司である……というのは一見すると否定し難いように思えます。
平時であれば、部下に権限を移譲して自由にやらせてくれるというのも良い感じですし、有事の際には逃げることなく勇気を持って先頭に立つ。確かに素晴らしいではないですか。
そう思って、世の中の上司の方々は、ピンチになると俄然やる気になって、腕まくりをして出てきます。極端に言うと、日々「何かまずいことが起こらないだろうか」と待っているかのようにも見えます。
■ファインプレーの落とし穴
しかし、有能な若手部下であれば、そもそもそのトラブルシューティングというファインプレーは必要だったのかと思っているかもしれません。
以前、「ミスタープロ野球」長嶋茂雄氏が観客を魅了するために、守備の際にあえて一歩遅れて飛び出し、最後はダイビングキャッチをするというようなことを話していたような記憶があります。
確かに、ひとつのショーでもあるプロ野球においてはそういうことも価値あることでしょう。ちゃんとしたタイミングで飛び出せば、普通のゴロに見えて、ドキドキも何もしないからです。
ところが、それはビジネスでは必要なことでしょうか。
■「ノー・サプライズ」がビジネスの基本
ファーストリテイリングの柳井氏が「バイブル」だと帯に書いた『プロフェッショナルマネジャー』というハロルド・ジェニーン氏の経営論では、その基本ポリシーのひとつとして、「びっくりさせるな!(ノー・サプライズ)」と説きました。
それは、企業でびっくりさせられること、つまり想定外のことが起こることはほとんどが良くないことであるからです。ビジネスにおける問題は、早期に発見し対処するほど解決は容易になります。
プロスポーツなどでは驚きも感動につながるかもしれません。しかし、ビジネスでは目標達成しなさそうというときに、意外なアクションによってギリギリ達成し感動することもありますが、それは良いことではないというのです。
■「謝る機会」などないことが良いに決まっている
そう考えると、上司が「謝罪する機会が腕の見せどころ」などと考えているのはどうかと思えてきます。
謝罪をしなければならないような機会を生み出してしまったこと自体を恥じるべきなのです。
失敗とトラブルとは違います。高い目標にチャレンジして、頑張ったにもかかわらず、失敗してしまったことは恥ではありません。むしろ誇るべきことでもあり、謝ることなど何もありません。胸を張って、再度チャレンジすればいいのです。
謝らなければならないのは、ちゃんと計画したり段取りをつけたりする準備を怠ったがゆえのトラブルが起こってしまった場合です。そういうときに「謝罪」しなければならなくなるのです。
■謝罪に慣れていることなどは恥かも
つまり、冒頭で述べた謝罪があまりにうまい上司像は、一見すると良いことのように見えますが(もちろん、本当に謝罪すべきときに謝罪から逃げないのは当然ですが)、「これまでどれだけトラブルを起こしてきたんだよ」というようにも取れるということです。
それよりも、もっと日頃から事前に先を読み、トラブルが起こらないようにして的確な準備を行っておいてほしかった、というのが部下の本音ではないでしょうか。
「負けて潔い」ことが美徳であった日本では、清々しい謝罪ができることはひとつの徳にも見えるのですが、それが許されたのは昭和くらいまで。これだけ長い間停滞し、ひとつのトラブルで会社の屋台骨がグラつくような今の日本では、もう通用しない美徳かもしれません。負けは負けです。
■「すごい凡人」を見逃すことなかれ
逆に考えると、日々、トラブルもなく、謝罪などという「晴れ舞台」もなく、淡々と仕事をこなし続けている上司を、凡人と捉えて、その丹念な準備や対応能力を見逃してはいけないともいえます。
ビジネスでは、ひとつの派手なイベントで成果を出すことよりも、「無事、これ名馬なり」と、長期にわたってトラブルを起こさず、成果を地道に出し続けることのほうが大切です。大きな仕事になればなるほど、長期戦になるからです。
ところが、本稿のように、トラブルを起こさない人は目立たない人でもあります。そういう社内の「すごい凡人」を見逃してしまわないようにしなければならないのではないでしょうか。
※OCEANSにて若手のマネジメントに関する連載をしています。こちらも是非ご覧ください。