和歌山小5男児刺殺事件に思う、緩監理社会への期待
報道によると、地元警察は比較的早い段階で容疑者を特定し、捜査を進めていたようです。また、容疑者は不審な行動を繰り返し、特に奇声を上げるなどの行為も目撃されていたということです。
昔は良くも悪くも地域社会が一定の役割と担い、特に不審者等に関しては地域の目がひかっており、個人としてではなく、地域社会としての自己防衛が行われていました。しかし、この数十年にわたって、一部を除いてほとんどの地域が新興住宅地化され、地域社会は、その閉鎖性への批判とプライバシー保護の名の下に崩壊し、社会ではなく個々に個人が生活する場とだけになったのです。
一部の性犯罪者のみ、その地域での生活において警察への登録を含め、プライバシー保護の制限撤廃が議論されます。しかし、このような事件が多発する事で、問題があるとは言え、昔からの地域社会としての不審者の監視の必要性も議論の必要があるかと考えさせられます。
事件現場周辺での容疑者の評判は芳しくないというよりも、不審な行動が目立っていたようです。このような傷害や殺人事件が報道されるたびに、容疑者が確保されてからの、その不審な行動がクロースアップされます。不審な行動が顕著であるならば、予防につなげられないでしょうか。もちろん、それが難しいという事も、その前に、不審な行動が必ずしも犯罪行為に結びつくとも限らないのは重々承知しています。
昨年末、産經新聞で「SF?「犯罪予知」ソフト独警察が実験 「人権侵害」懸念も」という記事が掲載されました。推測するに、その地域に関係する人の過去の犯罪履歴や素行や評判等のプライバシー情報も含まれているはずです。
海外でさえ、実験段階であり、強い反対もあって採用にはほど遠いでしょう。ましてや日本での採用に現実味はないとも言えます。しかし、国家の管理による犯罪予知や直接的予防は無理としても、地域社会において、何らかの予防策、対処策が考えられないか、地域創成とともにこれからの課題になる事でしょう。