政府は半導体の重要性を本当に理解しているか
緊急事態宣言に伴う菅首相との記者会見の中で、半導体戦略にどう取り組むか、という質問が出て、次のように答えている(5月29日付け日本経済新聞);「デジタル化が進むなかで、自動車などに使う半導体は経済社会を支える重要な部品だ。国際競争が激化している。半導体戦略を策定しているが、技術開発の支援やさらなる政策を早急に検討する。与党の議論も踏まえつつ政府の重要な成長戦略の一つとして考えていきたい」。
この質問は、半導体戦略に関する議員連盟が結成されたことを受けたもの。5月22日の日経は次のように伝えていた;「自民党は21日、日本の半導体戦略を検討する議員連盟を発足した。米国は中国に頼らずに半導体を確保するサプライチェーン(供給網)をつくるよう日本に協力を求めている。議連は米国と連携して半導体産業を強化するため、税や予算などの政策を政府に提言していく」。
これらの答えを見る限り、政府は米国や中国、台湾などの動きを見て(すなわち一種の外圧)、半導体を何とかしようとしているように見える。通りいっぺんの回答だけに従来通り、一応答えておこうというものなのかどうかを見極めていきたい。
世界の半導体は日本を除き、25年以上に渡って成長してきた。しかし、日本の半導体事業は、総合電機の一部としてビジネスをやっていただけにすぎない。このため半導体事業をどうするかという課題は、総合電機の経営陣に任せられていた。日本の総合電機は1995年くらいまでは、世界をリードする存在であった。特に家電、民生電子機器でカラーテレビやVTRなどで一世を風靡し、品質の高さを最大の売りにしていた。日本市場で受け入れられれば、どこの国でも受け入れられる、と言われた。
しかし、慢心があった。「もはや米国から学ぶものはなし」、「政治は二流だが、経済は一流」などなど。バブルに浮かれていたことにすぎないことを日本全体、総合電機、そして半導体の各リーダーたちは理解していなかった。総合電機のリーダーは、自社の業績が悪くなりつつあるのを半導体事業が悪いからだ、として半導体を悪者に扱ってきた。しかし、半導体事業を整理しても業績は一向に回復しなかった。なぜか。半導体以外の民生やコンピュータ事業などが低下していたことに目をつぶってきたからだ。
かつては失敗の繰り返し
半導体ビジネスを何とかして盛り上げようとして、経済産業省の主導のもとにASPLAやSELETE、MIRAI、EUVAなど、手を替え品を替え、いろいろなプロジェクトを親会社である総合電機の下で繰り返し立ち上げてきた。もちろん、全て半導体事業に結びつかなかった。経産省は失敗を失敗と認めず、「成功」と評価したために全てのプロジェクトを分析することがなかったために、失敗を繰り返しただけに終わった。
総合電機がこういったプロジェクトに加わっていた責任は大きい。時にはSELETEやLEAPなどのプロジェクトでは、開発としては素晴らしい成果を得たのにもかかわらず、プロジェクト終了後、総合電機にその成果を持ち帰ると、半導体部門ではなく総合電機が「その技術は不要」と判断し切り捨てた。なぜ、総合電機はそう判断したのか。
総合電機は、旧財閥系であり、その下に半導体事業があった。日立は芙蓉系、東芝は三井系、三菱電機は三菱系、NECは住友系、富士通は古河系などの元では、護送船団方式で、大蔵省(現財務省)の言う通りにしておけば高度成長期の元、成長できた。しかも日立、東芝、三菱の主要顧客は電力会社、NEC、富士通、沖電気のそれは日本電信電話公社、すなわちどちらも公共事業依存型の会社であった。このため、各企業とも経営陣は公共事業部門のトップが社長になった。これでは半導体の「は」の字も理解できなかった。
1980年代後半の日本の半導体企業は、プラザ合意の後の円高により、ドル換算で世界のトップになった。しかし、経営陣(当時は執行役も取締役も区別がなかった)の大多数は公共事業派閥が占めていた。浮き沈みの激しい半導体事業では成功する年と失敗する年がはっきり分かれ、シリコンサイクルと言われていた。ある企業では半導体、特にDRAM事業が成功し専務取締役まで行ったのに次の年には平の取締役に落とされた人まで出た。公共事業派閥からは、面白くないと映ったためだ。社長は自分の好みで役員を選んでいた。
海外は半導体専門企業
海外では、サムスンを除き、全て半導体専門企業である。その時々のテクノロジーの流れを見ながら自社の得意分野を推進する、アジャイルな企業ばかりだ。公共事業おんぶ型の日本の半導体とは全く違った。時代の流れを読むにしてもそのスピード感が3~4倍違う。日本の半導体は出遅れるばかりだ。
かつて90年代中ごろ世界の上位にまだいたNECのトップに、「韓国サムスンや米マイクロンのように安価なDRAM技術を開発しないのですか」と聞いた時、「安売り競争には巻き込まれたくないからねえ」と答えた。時代はダウンサイジングの真っ盛りで、メインフレームと呼ばれた大型汎用コンピュータからミニコン、ワークステーション、そしてパソコンに移行していたときである。時代を読めないとはこのことだろう。コンピュータは性能追求よりも小型・低価格のパソコンへと進んでいた。しかし、日本は旧態依然として、コンピュータプロジェクトは性能追求をひたすら進めていた。かつて、クアルコムの日本人エンジニアから言われたことがある;「結局、第5世代コンピュータとはパソコンのことでしたね」と。
半導体はシステムの頭脳
今回、日本の政府が議員連盟を通じ、半導体を戦略事業と考えるなら、総合電機の経営者をメンバーに入れてはならない。半導体を理解していないからだ。あるDX(デジタルトランスフォーメーション)のコンファレンスで総合電機のトップは、「センサや半導体は外から買ってくればよい」と発言していた。しかし、これではDXは残念ながらできない。センサや半導体がDXに必要なデータを生み出すからだ。そのデータを信用できないものなら、DXはウソの結果しか出さない。センサや半導体を熟知していればデータの信用性を理解し、DXのユーザーはセンサへとフィードバックし、感度や分解能、均一性など必要な特性の改善点をもっと要求し、本当に欲しいデータにたどりつくからだ。
半導体が戦略物資に変わったのは、かつての産業のコメから、システムの頭脳(CPUやメモリ、ストレージ、インタフェースなど)に変わったためである。このことを政治家や官僚、電機業界が本当に理解しているか。心配は、議員連盟の最高顧問に就いた安倍晋三氏と麻生太郎氏だ。共に成長産業をこれまで理解したことがなかったからだ。特に、麻生氏は、微分積分は学校で教えなくてよいと発言していた。半導体を完全に理解するのに微分積分はマストだからである。それも財務大臣なら本来知るべき、年次成長率が何%であるという意味が実は、微分と深く関係していることも知らないようだ。
半導体を盛り上げようといった議員連盟は、過去にも何度か出てきては消えを繰り返していたらしい。今回は特別ではない、という意見もある。このプロジェクトを成功させるつもりなら、過去はなぜ失敗したかを研究し、そうならないようにはどうすべきかを具体的に示すことがまずやるべきことだろう。かつて、失敗を成功と言い換えることを繰り返した過去を本当に反省できるかどうかに、かかっている。優秀な人たちが係わるからには、過去を隠さず本当の姿を理解することから始めていただきたいと願う。