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「これからは理系の時代」は本当か

曽和利光人事コンサルティング会社 株式会社人材研究所 代表取締役社長
「私の仕事?人事ですが、何か?」(写真:アフロ)

■そう、これからは「基本的には」理系の時代

残念ながら(?)、そうです。読者の皆さんもお感じになっておられる方も多いのではないかと思うのですが、「理系的センス」を持った人を、多くの会社が望むようになっています。昔、ビル・ゲイツが「ギーク(ひとつのことをオタク的に極めていくような人。主に理系専門職を想定)には優しくしなさい。彼らの下で働く可能性は高い」と言ったという話がありますが、既に現実はそういう世の中です。

人事のようなヒューマンな仕事でさえ、「人事エンジニア」「人事データサイエンティスト」などと呼ばれるような職種が出てきました。採用選考や評価、配属など、これまで人の感性で対応していたようなことを、何らかの形できちんとデータを取って、それを分析して対応していくようになっています。

それどころか、それを人間ではなくAIがやってしまうような時代にもなってきていますので、そのAIをコントロールできるようなレベルの人でなければ、今まで自分がやっていた仕事を奪われてしまう可能性すらあると、多くの人が薄らと不安に思っているのではないでしょうか。

■正確に言えば、「科学的思考」の時代

ただ、そもそも「文系」「理系」という分け方自体が風化してきています。心理学はアメリカでは理系的な学問と思われていますが、日本では文系学問と思われています。心理学は実際にはさまざまな実験を行いますし、そこでは統計学を駆使しますので、まさに「理系的センス」は必要です。経済学でも大変難しい数学を使いますし、社会学でも同様です。

そう考えると、学部が文系か理系かということではなく、勉強をしているなかで、上記のような理系的なリテラシーを鍛えたかどうかということが重要です。

「理系的センス」をもう少しブレイクダウンすると、「世の中の現象を抽象化して捉えて、分析することで一般的な法則を発見する」「そのために、仮説検証を繰り返す(いわゆるPDCA)」という科学的思考と言ってもよいかもしれません。

この科学的思考が重視されるようになってきたのは、インターネットが浸透してリアルな世界がデジタルで表現されるバーチャルな世界に置き換わったり、さまざまなセンサーが発達してデータを数字で取れるようになり分析が可能となったりしたことで、この科学的思考が発揮される分野が実験室から世の中全体に広がったことが要因でしょう。

■しかし、「理系的センス」だけでもダメ

さて、冒頭から、悩める若手文系にはつらい話ばかりをしてしまっていますが、これらの「理系的センス」もしくは「科学的思考」が必要であるというのは、中高年世代の皆様には釈迦に説法かと思いますが、ベースの話です。これからのビジネスにおける基本となることは間違いありません。

しかし、あくまでも「ベース」です。ある程度、理系的用語や数字がわからないとやっていけない時代ではあると思いますので、基礎的なことは学んで「理系の人と言葉が全く通じない」という状況は脱出しなければなりません。

ところが、いくら理系的センスが重要視されてきていると言っても、それだけでもダメです。最近では政府が研究予算を減らすなどして世界における日本の理系分野の研究での地位がどんどん減退しているものの、もともと日本は、基礎研究は強いが、応用が苦手という時代が続いていました。

よく言われるのは、iPhoneの中身は多くが日本製品なのに……という怨嗟の声です。技術的には日本のメーカーがiPhoneを作っても全く不思議ではなかったのに、と。つまり、いわゆる理系的センスを持つ人たちだけがいても、ビジネスとしてはダメかもしれないということです。そして、iPhoneを作ったのはご存知の通り、非エンジニアのスティーブ・ジョブズです。

■ユーザーに対する「想像力」が欠けていると意味がない

一説によると、スティーブ・ジョブズは、プログラムもそれほどできず、デザインも自分でできるわけではなかったようです。しかし、ビジネスパートナーであるスティーブ・ウォズニアックのような天才エンジニアや、ほかにも数々の天才的なスペシャリスト(その多くが理系的センスを持つ専門家達)をまとめ上げて、マッキントッシュやiPhoneなどの革命的な製品を作ることができました。

彼は、自分で作ることはできなくとも、最終的に製品を使うことになるユーザーのインターフェイスに徹底的にこだわり(あるいは、そこにしかこだわることができず)、それらの素晴らしい製品を作ったわけです。

専門知識に詳しくないジョブズからのオーダーに、専門家たちはさぞかし苦しんだことでしょう。「そこまで言うなら、自分で作ってみろ」と思ったかもしれません。しかし、知らないことが力になることもあります。技術は、使われないと意味がなく、使う人(ユーザー)が満足しなければ使われません。

ジョブズは、自らの最も得意な領域(あるいはそれしかできない領域)であるユーザーに対する想像力を最大限活かし、どうすればユーザーが素晴らしい体験をすることができるのかのみを追求したわけです。それが世の中を変えるような製品の出現をもたらしたのではないでしょうか。

なまじ、専門家の気持ちがわかったなら、もしかすると、ジョブズの偏執狂的なこだわりは発揮されず、中途半端な製品しかできなかったかもしれません。

■わからない人の気持ちがわかること

ここに、技術の時代、理系の時代における、「文系」の生きる道のヒントがあるのではないかと思います。真理の探究をする科学者になるのであれば別ですが、様々な制約条件のある実践の世界を生きるのであれば、本稿の表題のように誰もかれもが高い理系的センスを備えている必要はないのです。

優等生だった人が、劣等生の家庭教師をすると、「何がわからないのか、わからない」ということが多々ありますが、世の中の稀有な人材である「理系的センスのある人」になると、多数派である「理系的センスのない人」の気持ちがわからないかもしれません。

前述のように、理系の人と言葉が通じないのでは困りますが、最低限の理系の人と意思疎通ができる共通言語さえわかっていれば、後は理系的センスのない「ふつうの人」の気持ちをわかっていることを活かせばよいのです。

たいていのサービスや商品を使うのは「ふつうの人」です。彼らのニーズをきちんと想像できれば、それを理系の方々に伝え、実現してもらうことで世の中に貢献するのは十分可能だと思います。

OCEANSにて若手のマネジメントに関する連載をしています。こちらもぜひご覧ください。

人事コンサルティング会社 株式会社人材研究所 代表取締役社長

愛知県豊田市生まれ、関西育ち。灘高等学校、京都大学教育学部教育心理学科。在学中は関西の大手進学塾にて数学講師。卒業後、リクルート、ライフネット生命などで採用や人事の責任者を務める。その後、人事コンサルティング会社人材研究所を設立。日系大手企業から外資系企業、メガベンチャー、老舗企業、中小・スタートアップ、官公庁等、多くの組織に向けて人事や採用についてのコンサルティングや研修、講演、執筆活動を行っている。著書に「人事と採用のセオリー」「人と組織のマネジメントバイアス」「できる人事とダメ人事の習慣」「コミュ障のための面接マニュアル」「悪人の作った会社はなぜ伸びるのか?」他。

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