【横浜市】大佛次郎没後50年・横浜出身の作家を身近に ゆかりの場所と大佛次郎記念館へ
「本を読むと云うことは、その本を書いたひとを自分の友人とすることだ」。横浜に生まれた作家、大佛次郎(おさらぎじろう)の言葉だ。時代小説の「鞍馬天狗」シリーズなどで知られ、港の見える丘公園には「大佛次郎記念館」がある。
昭和48(1973)年に亡くなってから、今年で没後50年。作家を身近に感じながら、作品を読み継いでいきたい。横浜市内のゆかりの地と、記念館を紹介する。
横浜を愛した鎌倉文士
大佛次郎は、明治30(1897)年横浜市英町(現・中区英町8番地)に生まれた。明治37(1904)年に、横浜市太田尋常小学校(現・横浜市立太田小学校)に入学、一か月後には東京に引っ越しをする。
荷物を送出したあとで、母に連れられ東京へ出発したのは、雨の日であった。例によって、母とひとつ人力車に乗せられて、見なれた町を通って汽車が出る横浜のステンショに行った。その時の横浜駅は、現在の桜木町駅で、駅前の広場に鶴の形をした噴水があった。ここで私は、横浜と別れて了(しま)った。――「私の履歴書」1965年
以降大学卒業まで東京で暮らすが、鎌倉高等女学校(現・鎌倉女学院中学校高等学校)の教師になると鎌倉に住居を移す。作家となってからはホテルニューグランドでを仕事場にするなど、神奈川で過ごした。
大佛の生家はすでに無いが、現在「赤門医院」という病院が建っている。黄金町駅から徒歩で4分ほどの住宅街にある。
病院の名前になっている赤門とは、光明山東福寺(横浜市西区赤門町)のこと。一目見れば納得の「赤門」だ。
のちに大佛は「幼ない時を過した横浜には今日でも変らぬ郷愁を覚える」(「あとがき」1970年)と言っている。
大正11(1922)年には外務省条約局に勤めるが、翌年に関東大震災が発生。鎌倉の自宅で被災する。この地震もきっかけとなって、大佛は本格的に作家の道を歩み始める。
「鞍馬天狗」を書くように成ったのは地震のせいだけである。学校を出て、親に無断で女房を持って鎌倉に住んでいる内に、グラグラと来たのが、大震災であった(中略)役人になる気持は、その前から私は失くしていた。自分に合わないと思ったせいである。大震災で、汽車が不通になったのを幸いとして、私は出なくなった。――「鞍馬天狗と三十年」 1954年
大正13(1924)年に連載が始まった「鞍馬天狗」シリーズは、昭和40(1965)年まで47作品が続いた。幕末を舞台に、弱い者を助け悪者をこらしめるヒーロー。連載開始の年には映画化も始まり、大佛は一気にスター作家となる。映画では鞍馬天狗と新選組との対決などが、痛快なチャンバラ劇として描かれた。
昭和33(1958)年からは14年間、神奈川新聞でエッセー「ちいさい隅」を連載した。忙しい毎日の中で、ふと「からっぽになって」「用のないもの」に目をとめてみることを勧めている。
私と限らず、現代の人間はだれでも何かにせき立てられて暮らしている。必要がつきまとって離れない。そのまま一日を終わり寝てしまって、次の朝目がさめると、また、せき立てられて起きて働き出す。おいそがしくて結構ですと言うあいさつがあるが、失業にも仕事をさがして歩く苦しいいそがしさがあるとすると、ふいと何もない空白な瞬間に出会うことを、この世で幸福なことと考えなければならない。――「無用のこと」(連載「ちいさい隅」1961年)
用事や情報に振り回されていないか。しばし立ち止まることの大切さを思い出させてくれる。
大佛次郎記念館:部屋再現などゆかりの品展示 カフェでチーズケーキも
港の見える丘公園を本牧方向に進むと、「大佛次郎記念館」がある。12月10日までの企画展示は「『南方ノート』と『戦後日記』大佛次郎が見た戦中・戦後」、12月16日からは「大佛次郎と木村荘八 ―作家と画家、そして猫」が開催される。最新の展示やイベント情報は大佛次郎記念館ホームページから。
記念館には、寝室と書斎を再現した部屋がある。ベッドは大佛が特注で作らせたもので、ヘッドボードと足元に本を置くスペースが。晩年は幕末・維新史に関心を持ち、「天皇の世紀」の執筆を続けた。資料が積み上げられている。
自筆原稿や貴重な単行本も展示されている。
出版社の博文館からもらった給料袋には、大佛次郎のほかに「坂下五郎」「田村宏」「瓢亭白馬」などの名前が。様々なペンネームを使い分けていた。
閲覧室には、著作や関連資料が置かれている。ゆっくりと大佛作品を読んで過ごす一日も良さそうだ。
記念館に併設のカフェ「ティールーム霧笛」。ここでは大佛夫人のオリジナルレシピによるチーズケーキがいただける。最新の営業時間は記念館のX(旧ツイッター)を。
公園に面した入口から「ティールーム霧笛」のみの利用も可能だ。
<関連情報>
大佛次郎記念館
住所:横浜市中区山手町113
アクセス:元町・中華街駅から徒歩8分(上り坂あり。エレベータ・エスカレータで上がれる6番出口が便利)。または神奈中バス・市営バス等で「港の見える丘公園前」下車徒歩2分
大佛次郎記念館 ホームページ
<引用・参考文献>
・「本に慣れること」、「私の履歴書」(『大佛次郎随筆全集 第3巻 病床日記ほか』朝日新聞社、1974.2)
・「あとがき」(『大佛次郎時代小説自選集 第6巻 霧笛・幻燈・薔薇の騎士』読売新聞社、1970.6)
・「鞍馬天狗と三十年」 (『作家の自伝91 大佛次郎』日本図書センター、1999.4)
・「無用のこと」(『「ちいさい隅」の四季 大佛次郎のエッセー』神奈川新聞社、2016.5)
・『新潮日本文学アルバム63 大佛次郎』新潮社、1995.11