習近平はなぜ北朝鮮高官と会談したのか?――その舞台裏を読み解く
6月1日、北朝鮮高官リ・スヨン氏が習近平総書記と会談した。背後にはパククネ大統領の親北朝鮮アフリカ諸国歴訪とそれ以前の米国による中韓蜜月離間および昨年末の日韓外相会談がある。巨大な地殻変動を解読する。
◆リ・スヨン氏の言動を追う
5月31日、北朝鮮の労働党中央委員会副委員長で国際部部長(元外相)のリ・スヨン氏が訪中した(リ・スヨンは李洙○と書く。「○」字は「土へんに庸」)。同日、中国における北朝鮮窓口となっている中共中央対外聯絡部の宋濤部長が対応し、会談を行った。
6月1日には習近平総書記と会談。
これは朝鮮労働党と中国共産党との関係なので、中国の外務省が対応せず、中共中央対外聯絡部が対応し、かつ習近平は国家主席としてではなく、中共中央総書記として会ったわけだ。
リ・スヨン氏が率いる朝鮮労働党代表団の訪中目的は、朝鮮労働党「第7回党大会」の結果を習近平総書記に報告するという形を取っている。
習総書記は「これは朝鮮労働党中央委員会が中朝両党と両国関係を重視している証拠だ」として、代表団の訪中を歓迎した。
リ・スヨン氏は、金正恩(中央委員会)委員長からの伝言を口頭で習総書記に伝え、金正恩委員長が「中国とともに努力し、中朝の伝統的な友好関係を強化発展させ、朝鮮半島の安定をともに推進していくことを希望している」旨のことを言っていると伝えた。
習総書記も「中国は中朝友好関係を重視している」と型通りのことを、お愛想笑いを浮かべながら淡々と述べた。
というのは、中朝関係は非常に悪化しており、特に今年初めの北朝鮮の核実験やミサイル発射に対する国連の制裁決議に中国が賛同するなど、中朝関係は一触即発の状態になっていた。
そもそも中朝首脳会談は金正恩政権誕生および習近平政権誕生以来、一度たりとも行なわれていない。
中韓首脳会談は言うに及ばず、日中首脳会談や日韓首脳会談も現政権下で行われている中、中朝首脳会談だけは行われていないというのは異常だ。
中国建国以来、初めての現象である。
金正恩氏は習近平政権が最大の敵であるアメリカに媚びて、「新型大国関係」などを米中間で打ち建てようとしていることに激怒していた。ネットには架空の「平壌日報」なるものが現れて、中国を「修正社会主義帝国主義国家」と罵倒し続けている。世界には「アメリカ帝国主義国家」と「中国修正社会主義帝国主義国家」という二大帝国主義国家があると酷評。今年の4月末にも、この罵倒がまたネットに登場したばかりだ。
それでいて、今年4月19日、リ・スヨン氏が突如、北京国際空港に姿を現した。迎え出たのは駐中国の北朝鮮大使チ・ジェリョン(池在竜)氏で、リ・スヨン氏はチ・ジェリョン氏の車に乗って北京にある北朝鮮大使館に消えた。目的は5月6日から開催される朝鮮労働党第7回全国代表大会(第7回党大会)に参加するため、中国から代表を送ってくれないかという要望であったと聞く。
しかしその願いは拒絶されたため、リ・スヨン氏はアメリカのニューヨークに向けて出発した。リ・スヨン氏にとっては非常に珍しい訪米だとのこと。
4月22日、2015年末にフランスで開かれた国連の気候変動に関する会議(COP21)で採択された「パリ協定」の署名式に参加するため、リ・スヨン氏は国連に姿を現した。これがサインをしているリ・スヨン氏だ。国連ではパンギムン(潘基文)国連事務総長とも握手している。
翌日、リ・スヨン氏はAP通信(Associated Press)の取材を国連の北朝鮮オフィスで受けている。これも非常に珍しい現象である。取材に対して彼は「韓国とアメリカが毎年行っている軍事合同演習を停止しさえすれば、(北)朝鮮は核実験をやめる」と断言した。
この前後に、リ・スヨン氏とアメリカ国務省OBらとの接触があったものと思われる。
今年5月28日、スウェーデンに北朝鮮外務省の高官とアメリカ国務省OB等が姿を現し、非公式会談を行ったことが日本でも報道された。
なぜ、こんなことが突如、米朝の間で行なわれるのか、少なからぬ人が不思議に感じたのではないかと推測するが、その陰には、まさにこのリ・スヨン氏がいたことになろう。
中国を批難することによって、アメリカを引っ張り出そうとしていた北朝鮮は、4月19日に中国の拒絶に遭い、「それなら直接アメリカと」という形で、北朝鮮外交の大物、リ・スヨン氏が動いたと考えるのが妥当だ。
5月9日付の本コラム「北朝鮮党大会を中国はどう見ているか?」で書いたように、朝鮮労働党の第7回党大会開催に対して、習総書記は一応祝電を送ってはいる。しかしそれは第6回党大会のときの祝電と比較して非常に抑えられたものだったし、また送信したのが党大会開催の夜だった。それもあってか、北朝鮮の「労働日報」では、他の国の祝電に関する情報は第5面にあったのに、習近平総書記からの祝電だけは第7面に小さく書いてあったという。
◆なぜ、中国へ?――背景にはパククネのアフリカ諸国歴訪
それならなぜ、諦めたはずの中国を、北朝鮮はまたアタックし始めたのか?
その背景には韓国のパククネ大統領のアフリカ諸国歴訪がある。
実は北朝鮮と外交関係を結んでいる国は意外と多いのだが、アフリカには軍事的に北朝鮮と協力的な国が少なくない。中でもウガンダとかエチオピアなどは軍事同盟を結んでいるに等しいくらいの軍事的および経済的に友好的な関係にあった。中国では明確に「北朝鮮の軍事盟友国」という言葉で位置付けているくらいだ。
だというのに、パククネ大統領は、わざわざ際立った親北朝鮮国家を狙い撃ちして歴訪したのだ。5月25日からエチオピア、ウガンダ、ケニアなどを歴訪したあと、フランスに向かった。
大きな変化はウガンダを訪問していたときに起きた。
韓国の「中央日報」は、ウガンダのムセベニ大統領が29日、「北朝鮮との軍事協力を断絶する」旨の発言をしたと、韓国の外交安保関係者が述べたと報道したのだ。するとフランスに向かうパククネ大統領に対する牽制か、フランスのAFP通信に対してウガンダ政府は「事実ではない。(韓国の)プロパガンダだ」と抗議したとAFP通信が報道。ところがウガンダのクテサ外相が現地メディアに対して「われわれは国連の北朝鮮制裁に基づき、北朝鮮との協力を中断する」と述べたと、今度は韓国の「聯合ニュース」が報じたのである。
おそらくウガンダのムセベニ大統領としては、これまでの北朝鮮との関係を考えると、そんなにすぐさま世界に公表し、北朝鮮にストレートに伝わるのは、メンツ上困るということだったのだろうと推測される。
しかし、結果的にウガンダは北朝鮮との軍事協力を断絶したことに変わりはない。
武器などに関する協力は、韓国と行うことになったようだ。
中国では「ウガンダは北朝鮮との軍事盟友関係を断絶した」と大きく報じている。
◆G7オブザーバーより優先した韓国のアフリカ歴訪と日米中朝の連鎖反応
パククネ大統領は、実はオブザーバーとして日本で開催されたG7伊勢志摩サミットに参加する資格を持っていた。しかし彼女はG7参加の選択を蹴ってアフリカ歴訪を優先した。韓国のメディアでは、パク大統領がG7よりアフリカを優先したことを批判するメディアもあるようだ。
しかし、そこには遠大な計画があり、しこもこれにより東アジア情勢に巨大な地殻変動が起き始めたと筆者は見る。
パク大統領の少し前までの媚中外交は世界の知るところで、中韓蜜月を習近平国家主席も積極的に演じて見せた。なんといっても習氏は北朝鮮を訪問する前に韓国を先に訪問したのだ。
これは中国建国以来、前代未聞の出来事である。それくらい、韓国を中国の懐に抱え込もうとした。
それを嫌ったアメリカは中韓離間工作に力を注ぎ、パク大統領に圧力を掛け続けた。その結果、媚中をあきらめた韓国は、ついに昨年末、電撃的な日韓外相会談によって慰安婦問題を二度と再び国際社会で言わないことを日本に約束するにおよんだのである。安倍外交のこの瞬間の決断は非常に大きい。
潮目はこの瞬間から急変している。
日韓外相会談によって習氏との袂を分かつことになったパク氏は、中国の早くからの地盤でもあり、北朝鮮の軍事協力の陣地でもある「アフリカ」に目を転じたのだ。
パククネさん、なかなかやるではないか……!
彼女の戦略をあなどってはならない。
アフリカは、まだ国連に加盟できていなかったころの中国にとって、1955年のバンドン会議以来、最大の友好国を持った大陸であり、中国にはすべての政府組織に早くから「アジア・アフリカ処」があり、大学にも「アジア・アフリカ研究所」が設置されていた。
だからパククネ氏のアフリカに対する動向を最も敏感にしてかつ詳細にキャッチしていたのは中国だと言っても過言ではない。もっとも、当事者の北朝鮮以外で、ということになるが。
だからこそ、今般、北朝鮮のリ・スヨン氏との会談を習氏は承諾したのである。
ということは、アメリカの中韓離間工作と日本の昨年末の日韓外相会談が習近平総書記の心を動かし、北朝鮮をようやく受け入れる方向に動き始めたということになる。つまり中朝接近を促したことになるのである。中朝がもし今後関係を改善するとするなら、中朝をそこに追いやったのはアメリカだ。恐るべき連鎖反応ではないか。
東アジア情勢にとって、どちらが効果的で、どちらが平和安定につながるかは、次のステップまで待たなければならないが、少なくとも巨大に地殻変動が起き始めたことは確かだ。北朝鮮問題を解決するために「中国」というコマを使う上で、日米にとってどちらが良かったのか、今後も慎重に解読を続けていきたい。