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国葬儀に関する所感と評価、課題

西田亮介社会学者/日本大学危機管理学部教授、東京工業大学特任教授

既に報じられているように、先般実施された安倍氏の国葬儀に関して、政府、立法府それぞれで検証が始まった。先日、筆者も衆議院議事運営委員会の招致を受け、意見陳述を行った。議事は非公開とされているが、山口委員長も記者ブリーフィングを行ったからか、報告者と紐付いた発言等の部分的な報道もなされているようだ。

国葬のルール化困難 衆院検証で有識者指摘(時事通信)

https://news.yahoo.co.jp/articles/296caa05e58f3901a94763f0148fea6f6ee3636c

国葬検証協議会、有識者から聴取 「国会への事前説明不十分」の声も:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASQCG6613QCGUTFK00Z.html

https://twitter.com/suzuki_fumie/status/1592279315483611136

このように中途半端なかたちで言説が流通するのであれば、特段守秘義務契約等も行っていないことから、筆者の国葬儀に関する基本的な認識、所感、評価の全体を知ってもらったほうがよいと考えることから、個人の評価を以下に示しておくことにしたい。

所感と評価

自由民主主義の毀損可能性と行政の裁量排除可能性、新しい「国葬」等規定が必要かどうかという観点から簡単な検討を加える。そもそも比較検討可能な類例が乏しい。しかしながら安全対策、弔慰の強制等への配慮のもと内閣設置法に基づく国の儀式としての国葬儀は一定程度、適切に実施され、国民からの賛否を含む多様な意見表明もなされ、また世論調査の評価は総じて分かれており、実施以後の内閣支持率も低下したことから、個人崇拝や政治利用等には繋がらなかったと考える。また行政の裁量性の完全な排除は困難で、また完全排除の必要性も明確ではない。客観基準の導入も、他国で一部見られるような総理経験者の一律国葬儀対象化の場合、却って総理経験者の個人崇拝を招来しかねず不適切と考える。反対に一律の排除も将来の事案を完全に予測することが難しいことから適切とは言い難いのではないか(要するに国葬儀の対象と思えるような事態が決して起こらないとは断言できない)。また別途、儀式を設けたところで検討の労力が必要な割に頻度も少なく既存の問題の具体的解決も困難ではないか。そこで実施の場合には環境整備に配慮しながら抑制的に開催し、社会に対して事前事後に実施理由や国葬儀に関する詳細な説明を行い、開催決定等の裁量的側面を含めて直接には選挙を通じて民意に広く判断を委ねるのが妥当と考える。

  • 吉田茂元総理の国葬儀も閣議決定のもと実施。内閣府設置法上の他の国の儀式も、法律による定めがある大喪の礼等を除き、儀式開催の可否は行政権の裁量のもとで判断され、「国会の関与」を必要とする例は乏しい。世界の「国葬」も法的位置づけ有無や裁量は多様で一概にはどちらが妥当ともいえない。内閣府設置法における「国の儀式」のうち内閣が主催するものについてはとくに類例が乏しく、時間不足で原本調達間に合わなかったが、内閣府設置法逐条解説等でも事前に検討?
  • 「国葬は「国の儀式」平成12年の政府作成文書に規定」(https://www.sankei.com/article/20220912-FRMJZYGQUVJYJIHPV527VRZU6A/

個人的には、通例の合同葬を基本とするほうが、弔慰を積極的に儀式に参加して表明したい人の弔慰の表明が容易で(通例と異なる開催によって通例とは異なる儀式に参加し弔慰を表明すべきか否か熟慮の必要が生じた?)、好ましかったと考える。そのため国葬儀開催の行政の判断を支持しないが、内閣府設置法に基づいて開催された国葬儀やその過程の妥当性については理解可能で総合的に見れば相当程度適切に実施されたと考える。ただし、現在、公表されている報道等で判断する限り、首脳間、国家間の信頼醸成増進等を除くと、特筆すべき成果には乏しい。

半ば結果論だが、国葬儀の開催を通じて、安全管理上の大きな問題は生じなかった。さらに現時点において事前に懸念された顕著な政治家の個人崇拝や、政権浮揚等への著しい貢献も認められず、賛否を含む多様な意見の表明がなされたことは、昨今、世界で自由民主主義の危機が叫ばれるなかで、逆説的に日本における冷静か、あるいは成熟した自由民主主義の姿を示したとみなすこともできるのではないか。なお厳密な客観基準化や裁量性排除は困難で、前述のように総理経験者の一律対象化は却って個人崇拝促進に繋がりかねない。かといって総理経験者を一切排除するという性質のものでもないように思われる。加えて、批判が多く国葬儀を断念したとされる佐藤国民葬にしても、今回の安倍国葬儀にしても多くの批判的意見が出たことなどから政権浮揚等を目的に安易に選択できる政策的選択肢ではなくなった。もし国葬儀の開催支持一色や政権の支持率が劇的に向上するような結果になったのであれば、国葬儀という儀式の危険性が強く懸念されるが、現状そうはなっていないし、過去もそうはならなかった。国民葬や国葬儀を経てなお、相当程度、日本の社会は批判的な視点や批判を表明する自由、国葬儀に対する多様な認識と言説を有しているといえるのではないか。そうであれば当面は、国葬儀に関して言葉を尽くして国民、立法府に説明がなされ、判断を委ねるという現状維持でも問題は小さそうに思われる。

課題

同時期に英国エリザベス女王陛下の国葬が実施され、また多くの国内報道においても「国葬」と報じられたことから、多くの国民にとって他国の(元首等の)国葬と日本の内閣設置法上の「国の儀式」としての国葬儀の区別が難しかったと考える。さらに総理経験者の個人葬に、初めて自衛隊の儀仗隊が自衛隊法を根拠に参列し、これは内閣府が事務を担当する国葬儀の範疇には含まれないと考えるが、少なくない国民が国葬儀と個人葬、山口県民葬等を一体的に捉え、国の個人に対する特別な儀式が実施されたと認知した可能性がある。こうした懸念に対する配慮した運営は必要ではないか。関連して「国葬儀とはなにか」に関する周知がよりなされても良かったのではないか。

半旗掲揚を巡って自治体等の混乱も報じられている。通知上の工夫がなされても良かったのではないか。また国葬儀会場や一般献花会場、周辺において、参列者の混雑状況予測は難しかったと考えるが、混乱なく、心穏やかに安心して参加できる行列や簡易トイレ等環境整備が検討されるべきではないか。

社会学者/日本大学危機管理学部教授、東京工業大学特任教授

博士(政策・メディア)。専門は社会学。慶應義塾大学総合政策学部卒業。同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。同後期博士課程単位取得退学。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科助教(有期・研究奨励Ⅱ)、独立行政法人中小企業基盤整備機構経営支援情報センターリサーチャー、立命館大学大学院特別招聘准教授、東京工業大学准教授等を経て2024年日本大学に着任。『メディアと自民党』『情報武装する政治』『コロナ危機の社会学』『ネット選挙』『無業社会』(工藤啓氏と共著)など著書多数。省庁、地方自治体、業界団体等で広報関係の有識者会議等を構成。偽情報対策や放送政策も詳しい。10年以上各種コメンテーターを務める。

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