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高橋財政の日銀の国債引受がデフレ脱却の直接要因ではない

久保田博幸金融アナリスト

アベノミクスの主軸にあるのが、異次元緩和であり、その背景にはリフレ派と呼ばれる人達の考え方があった。大胆な金融緩和とは、とにかく巨額の国債を日銀が買い入れることであった。それによる国債市場への弊害はさておき、なぜ巨額の国債を買い入れれば、デフレから脱却できるのか。ベースマネーを増加させるのであれば、短期のオペでも可能なはずである。米FRBの債券買い入れよりも積極的な国債買い入れを日銀が行うことで、円高調整を狙ったのかもしれない。安倍自民党総裁は昨年11月の衆院解散後、円高是正についても発言しており、その考えがあった事も確かであろう。ただし、これについては米国からのクレームもあったようで、目的が円高是正、つまり円安誘導であったことは伏せられるようになった。

アベノミクスは麻生財務相も指摘していたように、世界最速でデフレ脱却を成功させた昭和初期の高橋財政を意識していたと思われる。高橋財政に学べ、と説くリフレ派も多い。特に高橋財政のなかでの、日銀による国債引受がデフレ脱却に大きな影響を与えたのではないかとの見方がある。現在は財政法で日銀による国債の直接引き受けは禁じられているが、日銀が巨額の国債を買い入れれば同じ効果を生むのではないかとして、黒田日銀が異次元緩和を行ったとの見方も可能となる。

高橋財政におけるデフレ脱却過程を見てみると、日銀による国債引受がデフレ脱却に直接どれだけ効果があったのかは甚だ疑問なのである。見えない期待に働きかけていたと言われれば、その当時の期待が測定できないため、完全に否定はできない。しかし、高橋財政期にはデフレからの脱却を可能にさせた具体的な手段があり、それによる直接的な影響が大きかったことは確かである。このあたりを含めて当時の歴史を振り返ってみたい。

1931年12月に犬養毅内閣が成立し、蔵相には高橋是清が就任し、直ちに「金輸出が再禁止」された。金輸出再禁止により株価は急騰し、円安放置策もあり、円安も進む。これは昨年11月のアベノミクス登場以降と同様に実はかなり期待先行の思惑的な動きであった。世界経済は大恐慌の影響から不況の最中にあり、満州事変の勃発、英国の金本位制停止などにより、先行きの不透明感も強い状態にあった。当時も外為市場では急ピッチの円安に対する警戒も強まった。株式市場も1932年3月あたりからは調整局面を迎えている。アベノミクスにおいても、同様の事態が発生し、円安・株高の修正が5月23日あたりから入ってきている。

日銀が1932年3月と6月に公定歩合を引き下げたが、この際にはあまりその効果は出ず、市中金利の低下はむしろ限定的であった。ところが8月の第三次公定歩合の引き下げで、公定歩合の水準は日銀創設以来の最低となる。これは本格的な低金利時代を迎えたことを意識させた。さらに政府による積極的な財政政策が打ち出され(満州事件費や時局匡救費)、財政面からの大規模な需要拡大・景気刺激策と呼応し、金融面から金融緩和・金利低下を本格的に推進しようとする政府の意向も浸透してきた。これにより景気回復への期待を強めることになったのである。

8月以降は輸出の伸びも顕著になる。特に輸出の数量が、円安とともに中国での日貨排斥運動が次第に収まってきたことも背景に伸びてきた。財政支出と輸出の増加により総需要は拡大し、日本経済は1932年後半から急速な景気回復過程に入った。物価も上昇し卸売物価は1932年7月から、小売物価は同年8月から上昇に転じた。1932年12月の卸売物価指数は前年同月比39.6%増となり、ほぼ金解禁当初の水準まで戻っている(日銀百年史より)。

それではここで高橋是清が決めた日銀による国債引受について再確認してみたい。高橋蔵相は1932年6月に議会で国債の日銀引受の方針を表明している。その前に3月10日の「大毎新聞」は軍事公債、およびそれ以外の新規発行公債も日銀引受とする、前日の日銀主催時局懇談会で明らかにされた政府の方針を報じていた(富田俊基著「国債の歴史」を参照)。

現在、日銀が国債引受を行うことを発表したとすれば、金融市場は大混乱となることが予想される。新聞などマスコミもその是非を巡って、大きく扱うであろうし、国民の間でも論議が交わされ、大きな問題になると予想される。もちろんドイツなどを中心に諸外国からの非難等も出てくることが予想される。

ところが、高橋財政の時代、国債の日銀引受の方針を表明して、それが問題化したとは考えづらい。当時は中央銀行による国債引受が特に禁じられていたわけではない(日銀の国債引受を禁じた財政法の制定は戦後)。つまり当時、日銀が国債を引き受けると発表したことで、国民の間にインフレ期待が強まり、それが物価上昇を招いた主要因であったとは考えられない。もちろん日銀が引き受けることで、国債発行が容易となり、財政政策が取りやすくなる。その財政政策による影響は大きい。しかし、日銀が国債引受をするとの発表で、インフレ期待を生んだとは考えづらい。日銀引受による国債発行が開始されたのは1932年11月からである。

高橋是清は、世界最速のデフレからの脱却に成功させたが、これは井上準之介による緊縮政策により、輸出競争力強化のために引き下げた物価の部分を元に戻した格好であり、その分の物価上昇余地が高橋財政前には存在していたと言える。アベノミクスには残念ながら、高橋是清が足かせとして取り外した金本位制のようなものが存在していなかった。現在の物価は低迷しているが、それに対して高橋財政以前のような明らかな理由が存在していない。日銀の緩和が足りないから、との見方は私は賛同できない。

高橋財政は日銀に大量の国債を引き受けさせたことで、インフレ期待を強めさせ、デフレ脱却に成功したとの考え方が、もし今回、日銀が大胆な国債買い入れを行った背景にあったのであれば、それはかなり効果そのものへの疑問が残る。それと共に、今後のリスクをむしろ増加させただけともなりかねないのではなかろうか。

金融アナリスト

フリーの金融アナリスト。1996年に債券市場のホームページの草分けとなった「債券ディーリングルーム」を開設。幸田真音さんのベストセラー小説『日本国債』の登場人物のモデルともなった。日本国債や日銀の金融政策の動向分析などが専門。主な著書として「日本国債先物入門」パンローリング 、「債券の基本とカラクリがよーくわかる本」秀和システム、「債券と国債のしくみがわかる本」技術評論社など多数。

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