全盲で英語も話せず米国へ来るなんて…友人・上原浩治が知る木村敬一 執念の金メダルの重み
これまでに取ってきた7個のメダルと色の違いや、輝きが見えているわけではない。だけど、ぶら下げた金メダルの重みは、積み重ねた努力の日々と相まってずしりと首に食い込んだはずだ。東京パラリンピックで、全盲スイマーの木村敬一選手(東京ガス)が男子100メートルバタフライ(視覚障害S11)で待ち焦がれた金メダリストの称号を手にした。折り返しをトップ。最後まで譲ることなく、理想のレース展開だった。米国時間の早朝に飛び込んできたニュースに、家族で喜びを分かち合った。
敬ちゃんとの出会いは2018年春にさかのぼる。彼は視力を2歳のときに先天性疾患で失っている。小学4年から水泳を始め、誰よりも速いスイマーを目指して人生を切り開いてきた。北京パラリンピックからリオデジャネイロ・パラリンピックまで3大会連続出場。銀と銅、合わせて6個のメダルを獲得した(7個目は今大会で獲得)。リオでの競技を終えた後、彼は金メダルを獲得できなかった悔しさに泣き崩れたという。
そんな彼が、リオ大会で金メダルを争ったブラッドリー・スナイダーを指導するアメリカ人のコーチに師事するため、私の自宅があるボルティモアにやってきたのだ。英語を話せず、目が見えない。そんな状況で、異国の地でトレーニングをしようという決断を下せる人が果たして、どれだけいるだろうか。だから、私は敬ちゃんと接するとき、障害者だと思ったことがない。世界のトップを目指す超一流のアスリートとして交流をさせてもらっている。
出会いのきっかけは妻だった。敬ちゃんがボルティモアに来たとき、自宅に泊めるなどのサポートを買って出た。妻が運転するオープンカーで練習場所のプールへ送った話、私の母直伝のお好み焼きをふるまったりした話は、彼の自伝「闇を泳ぐ」でも紹介されているので、ぜひ一読いただきたい。私が出演するNHK「サンデースポーツ」でも取材させてもらう機会があり、今大会前にも「頑張って」とメッセージを送った。
メダルの色や価値は他人が決めるものではない。敬ちゃんは自分自身のこだわりとして「世界に自分より強い人がいない事実」を求め、金メダルにこだわってトレーニングを続けてきた。「今日より明日」と常に前向きに生きる性格は好感が持てる。そのための努力を惜しまないことは、鍛え上げて盛り上がった背筋、上腕筋、バランスの取れた肉体を見ればわかる。「悔いのないようにやってほしい」と願ったが、最高の結果に敬意を表したい。
この日の金メダルを見て、感動した人は日本中にたくさんいると思う。言いたいことは「これで終わりじゃない」ということだ。パラリンピックのアスリートは日々努力を重ねている。そこには生活面や競技面でのサポートが欠かせない。4年に1度、感動をもらえばいいというのは違う。みんなが支えることで、パラリンピックの魅力はさらに高まると思う。自国開催の今大会のレガシーがどんなものになるのか。それぞれができることをして積み上げていけたらいいなと思っている。