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小沢健二の華麗なる帰還。19年ぶりのシングル「流動体について」、その本当の意味

宇野維正映画・音楽ジャーナリスト
渋谷のスクランブル交差点。約20年ぶりに、街の風景の中に現れた「小沢健二」
「流動体について/神秘的」(TYCT39050)
「流動体について/神秘的」(TYCT39050)

2017年2月22日、小沢健二が19年ぶりにCDシングル「流動体について」をリリースした。2月21日(フラゲ日)付のオリコンシングル・デイリーチャートでは初登場4位。アルバムはまだしも、CDシングルはアイドル以外まったく売れなくなって久しいが、その中で初登場4位(ちなみに同日の1位はジャニーズ、2位はLDH、3位はハロプロ)というのは上々の滑り出しと言えるだろう。そもそも、ソロになってからのセカンドアルバム『LIFE』(1994年)が大ロングセラーとなり、90年代半ばに日本のポップ・カルチャー全般に絶大な影響力を誇った小沢健二だが、当時もチャート上のアクションはそこまで派手なものではなかった。順位だけで言うなら、シングルでは1995年の「カローラIIにのって」の週間チャート2位が最高。小沢健二は19年のブランクを経て、22年前のピーク期と近いポジションにいきなり返り咲くという、日本のポップミュージック史においてほとんど前例がないようなことを成し遂げようとしている。

もっとも、「19年のブランク」というのは、あくまでもCDシングルのリリースに関してのこと。その間にも小沢健二は『Eclectic』(2002年)、『毎日の環境学』(2006年)という2枚のオリジナルアルバムをリリースしている。しかし、最後のシングル「春にして君を想う」をリリースした1998年には、もう既に彼は東京を離れ、ニューヨークに移住していた(移住した後も世界中を転々と旅していたのだが、その頃の「人間活動」についてはまた別の機会にでも)。ニューヨークで制作された2枚のアルバム、『Eclectic』と『毎日の環境学』のリリース時にはほとんどプロモーションをすることなく、また『毎日の環境学』にいたってはボーカルのない全編インストゥルメンタル作品ということもあり、その時点でもう彼は何重もの意味で「日本のポップミュージック・シーンの住人」と呼べる存在ではなくなっていた。

7年前から完全復帰への兆しはあった

そんな小沢健二が久しぶりにかつてのファンの前に姿を現したのは、「ひふみよ」というツアー名を冠した2010年の全国ツアー。その2年後には東京オペラシティで連続公演を行い(「東京の街が奏でる」)、昨年は新曲を中心とした6年ぶりの全国ツアー(「魔法的」)をおこなっていた。つまり、今回の「日本のポップミュージック・シーンへの完全復帰」への兆しは7年前からあったのだ。ただ、それらはいずれも感動的なライブではあったものの、かつてのファンに向けての「現状報告」といった意味合いが強いライブであったことは否めない。実際、毎回チケットは昔からのファンの間で争奪戦となり、そこに新しいファンが入り込む余地は限られていた(昨年の「魔法的」ツアーでは、若い観客も比較的増えてきていたが)。もちろん、ファンはライブだけでなくCDなどの音源での完全復活にも期待を寄せてきたが、同時に「小沢健二のすることはいつも予想ができないから……」と半ば諦めているようなところもあった。

だから、今回の(発売前日まで厳格に情報規制されていた)突然のシングル・リリース、朝日新聞2月21日朝刊の全面広告(そこには文字でぎっしり「モノローグ」と題された小沢健二の本作とは直接的には関係のない文章が綴られていた)、「ミュージック・ステーション」をはじめとする精力的なテレビ出演の発表、レコード会社(ユニバーサル)の特設サイトでの過去のミュージックビデオの公開といった怒涛の展開は、まさに青天の霹靂だった。

しかし、今回の小沢健二完全復帰においてその最大の驚きは、「流動体について」という曲そのものにある。この曲は昨年のツアー「魔法的」で初披露された7曲の新曲のうち、最もシンプルな8ビートにのせて、「東京」について歌われている曲で、ライブを体験したファンの間では「昔のオザケンっぽい曲」として評判となっていた曲だ。ただ、小沢健二本人を含め7人という(彼の過去のライブと比べると)少人数編成で演奏されたロックバンド然としたライブでの荒々しいサウンドと異なり、今回のCDバージョンではおそろしく手の込んだ編曲が施されている。それはもはや「昔のオザケンっぽい」どころではなく、かつて小沢健二にとってターニングポイントとなってきた「ぼくらが旅出る理由」や「ある光」といった代表曲へのあからさまなオマージュに満ちた集大成的なサウンドで、そんな情報量過多なサウンドにのせて「2017年の小沢健二」が新たな決意表明を歌った、完璧な復帰ソングとなっているのだ。

完全復帰した小沢健二の「これから」は?

昨年の「魔法的」ツアーには、そのバンド編成を表す「Gターr ベasス Dラms キーeyズ」(ギター、ベース、ドラム、キーボード)というサブタイトルが付けられていた。一方、今回のCDシングル「流動体について」の裏ジャケットには、透かしのような印刷で「魔法的」の下に「Nニーveズ&Nノeuマnns」という不思議な文字の羅列がある。これは、今回のレコーディングで使用された機材(Neveはイギリスのミキシング・コンソール/ミキサーのメーカー、Neumannはドイツのマイクロフォンのメーカー。使用された機種は不明だが作品を聴く限りいずれもアナログ・レコーディングで使用されるビンテージ系の機種と思われる)のことだろう。つまり、昨年のツアーは小沢健二の頭の中にしかない「魔法的」という作品のライブ演奏版であり、今回の「流動体について」は「魔法的」のレコーディング版である、という意味が込められているように思えるのだ。

これは何を意味するのか? 2月20日にニュースサイト「ナタリー音楽」でおこなわれた公開チャット、本人の公式ページ、ユニバーサルの特設サイト、朝日新聞の全面広告などの告知媒体を注意深く見ても、そこにある情報はシングルCDのリリースやテレビ出演についてだけで、「流動体について」に続くアルバム作品やツアーの告知は一切されていない。もしかしたら、今回これだけ華々しく音楽シーンの最前線に復帰してみせた小沢健二だが、少なくとも「魔法的」にまつわる作品はここで一旦途絶えてしまうのかもしれない。

自分がそう考える根拠は二つある。一つは、スタッフ筋からの伝聞によると、昨年の年末から東京で約2ヶ月にわたっておこなわれた今回のレコーディングでは、どうやら今作に収められた「流動体について」と「神秘的」の2曲しか完成していないということ(最初からその2曲にしか取りかかるつもりがなかったのかも)。既にライブ・バージョンとしては一度「完成」していた2曲(カップリングの「神秘的」は2012年の「東京の街は奏でる」で初披露された曲)のレコーディングにたっぷり2ヶ月かけたとしたら、参加しているミュージシャンの顔ぶれを考えても通常ではあり得ないような贅沢なことだが、実際その異常に作り込まれた編曲を耳にすると、それだけの時間と手間がかかったことにも納得させられてしまう。そのまま単純計算をすると、「魔法的」ツアーで披露された残りの6つの新曲のレコーディングには、さらに半年ほどの時間を要することになる。小沢健二が現在もニューヨークに住んでいること、そして幼い子供が二人いることをふまえると、現実的にそれだけの時間、日本でレコーディングに費やすことは可能なのか? 少なくとも「魔法的」の楽曲については、海外でレコーディングすることは考えにくいだけに、ちょっと不安になってしまうのだ。

もう一つは、「魔法的」で披露された曲の中には、例えば《ちょっと出かけたライブの会場で覚えた歌くちずさんでみる》というメタなフレーズが飛び出す「その時、愛」のように、そもそもライブだけで発表することを想定していたと思える曲があることだ。昨年、「魔法的」ツアーに夢中で何度も足を運びながら、「今回の新曲がCD化されることは多分ないだろうな」と自分が思ったのも、それが理由だった。もっとも、今回レコーディングされた「神秘的」の歌詞は、5年前にライブで歌われた歌詞といくつかの変更箇所があるので(コネティカットの情景が歌われている箇所が東京の情景に差し替わるなど)、今後もレコーディングで歌詞が「更新」されていく可能性も十分にあるのだが。

いずれにせよ、今回のシングル「流動体について」は、ずっと小沢健二の活動を熱心に追ってきたファンだけでなく、また、かつて『LIFE』を手にした100万人近くのリスナーだけでなく、まだ見ぬ新しい世代のリスナーに対しても強烈な吸引力を持ったとても開かれた作品である。『Eclectic』も『毎日の環境学』も擦り切れるほど聴いてきて(CDだから実際は擦り切れないけど)、そこから数えても10年以上「小沢健二の作品」をずっと待ち望んでいた一人としては、「流動体について」だけであと5年はいろいろと考えを巡らすことができる宿題を与えられたような気もしているのだが、それでも願いはただ一つ。周到に準備された今回の「復活劇」がそれだけで終わることなく、19年前までのようにこのまま「小沢健二がいる日常」が続きますように。

映画・音楽ジャーナリスト

1970年、東京生まれ。上智大学文学部フランス文学科卒。映画サイト「リアルサウンド映画部」アドバイザー。YouTube「MOVIE DRIVER」。著書「1998年の宇多田ヒカル」(新潮社)、「くるりのこと」(新潮社)、「小沢健二の帰還」(岩波書店)、「日本代表とMr.Children」(ソル・メディア)、「2010s」(新潮社)。最新刊「ハリウッド映画の終焉」(集英社)。

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