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【カーリング】人気の理由は「普通すぎるルックス」〈親近感〉

五百田達成作家・心理カウンセラー
日本女子チームのスキップ藤沢五月は韓国の女優パク・ボヨンに似ていると話題に(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

2週間にわたった平昌オリンピックが閉幕。中でも、カーリング女子は銅メダルを獲得し、大変な話題となりました。個人的にカーリングは大好きな種目。予選からほぼ毎試合を観戦しました。

さて、日本の男子・女子チームや、対戦する世界各国のカーリング選手達を改めてじっくりと見ていて、ひとつ気づいたことがあります。それこそが、「氷上のチェス」と呼ばれる高いゲーム性や、「もぐもぐタイム」に象徴されるコミュニケーションスポーツの側面だけではない、カーリング人気の隠れた秘密と睨んでいます。

それは、普通すぎるほどに普通な選手のルックス、です。

他の競技に比べて普通すぎる

オリンピックとは、元来、卓越したアスリート達の真剣勝負の場です。鍛え上げた肉体を、高機能のウェアに包み1秒でも速くゴールしようとする。あるいは、磨き上げた容貌を美しい衣装で飾り立て、技術と芸術を競う。いずれにしろほとんどの競技の選手達のルックスは「非日常的」「ハレ」。まさに「神々しい超人達」という雰囲気です。

いっぽう、カーリングに目を転じてみると、選手たちの容貌は、どの国もいたって普通。

もちろん、顔がかわいい・かわいくない、とか、かっこいい・かっこよくない、とかの話ではありません。選手たちが放つオーラというか、映し出されるプレイの光景が、「人間離れ」していないのです。

ウェアも普通、メイクも普通

自分たちの身のまわりにいるような、職場で見かけるような、ごくごく普通の体格のごくごく普通の人たち。

ウェアも、ぴったりとするわけでもざっくりしたわけでもない普通のデザイン。そのため、実際には鍛え上げられているかもしれない肉体も、表面にはあまり出てきません。

プレイ自体も激しい接触があるわけでもないし、獣のような目でゴールを目指すわけでもない。メイクもフィギュアスケート選手のように華美ではありません。

その国の人たちの平均像?

結果として、男子・女子、日本・海外を問わず、いかにも「ああ、なるほど、こういう人たちがこの国の国民の平均的なルックスなんだろうな」「街中にはこういう感じの人たちが歩いているだろうな」と思わされます(実際はどうかわかりませんが)。

その醸し出される「普通さ」は、人間離れした肉体・容貌の超人たちばかりが集うオリンピックにおいて、一種異様とも言えます(印象としては、夏のオリンピックの射撃などに近いでしょうか)。

日本チーム以外も普通の人ばかり

アメリカ男子チームの4人などは、顔から体型からかぶるキャップにいたるまで、なにかもう、「古いアメリカ人像」という印象。ふだんハリウッド映画で見かけるニューヨーカーやヒスパニックたちとはまったく違っていて、逆に「こっち(カーリングチーム)のほうがリアルなアメリカなんだろうな」と思われます。

そういった視点で見ると、スウェーデン女子チームの中に、腕にタトゥーが入った選手を見つけても、「なるほど、スウェーデンでは、そういうものなのかもしれないな」と思ってしまいます(実際はどうかわかりませんが)。

高速の移動がない、プレイ時間が長い、帽子やサングラスで顔を覆っていないことも、彼ら・彼女たちの見た目に注目が行ってしまう理由でもあります。そして、この「普通さ」こそが、カーリング人気の大きな要因でしょう(おそらくは世界各国において)。

アスリートは尊敬すべきか、親近感を持つべきか

超一流のアスリートに対して、尊敬の念を持って畏怖すべきか、親近感を持って自分事のように応援すべきかについては、議論が絶えません。

プレイだけを評価すべきだ、いや、我が子のようにかわいがって何が悪い、感動を与えてくれる存在なのだから尊敬しろ、いや、”おらが村”のスターとして感情移入させろ……。

週刊朝日の「ユヅ、がんばったね。」炎上問題

つい先日炎上した、週刊朝日の「ユヅ、がんばったね。」表紙問題も、まさにここに根底があるでしょう。フィギュアスケート・羽生結弦選手を我が子のように応援するお茶の間の気持ちを代弁したタイトルが、「アスリートに対して敬意を欠いている」と、一部のファンの逆鱗に触れたわけです。

ユーザー・視聴者と、コンテンツメーカー・タレントの距離が縮まった現代において、少なくとも「人気」を博すためには、多かれ少なかれ「かわいげ」が必要となっています。一方的に憧れる対象ではなく、親近感を持って友達のように接する対象であることが、時代が求める要件です。

会話がまる聞こえなのも親近感に

そういった意味で、カーリングという競技が宿命的に持ち合わせている独特の「普通っぽさ」は、今後の人気にとっては追い風となるはずです。プレー中の会話がまる聞こえ(「そだねー」も話題に)という、これまた他の競技にはない特徴も、この傾向を後押しします。

「この人ができるなら自分でもできそう」とか「近所の○○ちゃんに似てるから応援する」とか、そういった感想を持つ人が増えることは、選手に対しては失礼かもしれませんが、人気獲得、そして、プレーの裾野を広げるためには大事な視点です。

カーリングの未来は?

世界中でカーリングがもっともっと人気になり、商業的にショーアップされたものになれば、ウェアのデザインも変わり、現在のどこか牧歌的な光景も失われるかもしれません。そのことが悲しいような、ほほえましいような、複雑な気持ちです。

日本、そして世界各国のカーリング選手の皆さん、わくわくする熱戦をありがとうございました。

作家・心理カウンセラー

著書累計120万部:「超雑談力」「不機嫌な妻 無関心な夫」「察しない男 説明しない女」「不機嫌な長男・長女 無責任な末っ子たち」「話し方で損する人 得する人」など。角川書店、博報堂を経て独立。コミュニケーション×心理を出発点に、「男女のコミュニケーション」「生まれ順性格分析」「伝え方とSNS」「恋愛・結婚・ジェンダー」などをテーマに執筆。米国CCE,Inc.認定 GCDFキャリアカウンセラー。

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