人質家族が泣き叫べない日本の異常ーイスラム国による邦人人質事件での親族の抑制
日本人ジャーナリストの後藤健二さんがISIS(イスラム国)に人質とされている問題で、後藤さんのパートナーである方が、ジャーナリストやその家族を支援する国際団体「ローリー・ペック・トラスト」(本部は英国ロンドン)のウェブサイトで英文で声明を発表した(本稿末尾に日本語訳)。声明文は、「もう時間がない」「最後のチャンス」とヨルダン、日本当局に後藤さん救出への決断を求めるもの。文中にもあるように、ISISに脅されて今回の声明の発表に至ったとのことだが、極めて困難な状況の中で、非常に気丈かつ冷静な文章である。
しかし、その抑制された文章ゆえに、筆者は暗澹とした気分とさせられる。これが日本ではなく、他の国のジャーナリストの家族であれば、テレビ等のメディアの前に出て、涙ながらに訴えたことだろうし、その方が解放の可能性が高まる*。基本的に中東は人情に厚い社会だからだ。そうした振る舞いを後藤さんのパートナーの方がしない、或いはできない大きな要因は声明中にもあるように、幼い娘や親族を守るため、だろう。メディアの前で感情をあらわに訴えようものなら、「自己責任」だの「自業自得」だの、それこそ尋常じゃないバッシングの嵐が吹き荒れ、ご本人やそのご親族の生活に実際に著しい支障をきたし、身の危険が及ぶ可能性すらある。04年のイラクでの日本人人質事件では、私も海外の友人や知人から、「なぜ日本では被害者があそこまで批難されないといけないのか???」と聞かれることも少なくなかったが、「心無い」を通り越して、もはや異常ともいえる風潮だろう。
*日本では散々バッシングされた、2004年4月イラク人質事件の際のご家族の訴えだが、イラクではむしろ非常に強い共感を持って受け止められ、解放のために極めて重要な要因となった。ISISは家族の訴えなど意に介さないだろうが、人質交換でヨルダン世論に働きかける効果はあったはずだ。
このようなバッシング文化をつくってしまったことでのメディアや政府の責任は大きい。「自己責任」バッシングが社会問題化したのは、'04年4月のイラクでの日本人人質事件だが、この時バッシングを主導していたのは、内閣官房であり、官邸記者クラブ周辺だと聞いている。それに週刊誌も飛びつき、事件とは関係ないプライベートのことまで、あることないこと名誉毀損レベルの事実の脚色、捏造を書き立てた。そうした報道がネット上でのバッシングを煽りたてたのである。
今回、安倍政権は、04年の人質事件の時とは異なり、被害者への直接の批判は避けている。そのこと自体は結構なことであるが、後藤さんの母親である石堂順子さんとは面会しないなど、やはり冷淡な対応だ。後藤さんの母親が面会を求めていた28日の首相動静を見ると、午後7時38分には安倍首相は公邸に戻っている。「多忙」を理由に面会を断ったというが、全く時間が無かったわけではないだろう。しかも、結果的に新たな期限が設けられたものの、28日当時は「後藤さんを殺害する」とする24時間の期限が迫っていた、非常に緊迫した状況だったにも関わらずだ。
一方、やはりISISに人質をとられているヨルダンではどうかというと、人質とされているパイロット、ムアス・カサスペさんの父親と国王が面会している。後藤さんは民間人、ムアスさんは軍人という違いはあるものの、ヨルダンでは国王を批判すること自体、刑罰の対象となる。そうした状況の中で、王宮前でデモを行い、米国主導の「テロとの戦い」から離脱するよう主張していたムアスさんの父親を、ヨルダン国王は迎えいれ、「彼は私達の息子でもある」と励ましたのだ。安倍首相も後藤さんの母親と面会し、「悪いのはISISであって人質やその家族の批判は慎むべきだ」とくらい言うべきだったのである。
気持ちが悪いのは、今回、「人質の救出に政府が全力を注ぐ中で、政府批判をするべきではない」という風潮があることだ。だが、昨年8月に湯川遥菜さんが、そして同年10月に後藤さんが拘束されて以来、現在に至るまで、様々な落ち度が政府にあったことは事実だ。今回の2億ドル支援についても、真に人道支援が目的ならば、米国主導の下での「対ISIS有志連合」諸国ではなく、国連や赤新月を通じての支援でも良かったはずだ。非常事態を口実に政府批判が自粛され、その結果、対テロ戦争の泥沼にはまったのが、9.11事件後の米国だった。確かにISISは非道極まりないテロ集団であるが、そもそもISISが蔓延る状況を作ったのはイラク戦争や占領政策の失敗、シリア内戦への国際社会の対応のまずさに他ならない。安倍政権が集団的自衛権の行使について、関連法の改正(改悪)を進めている今こそ、具体的な状況に基づいて、日本の外交・安全保障政策についての検証が行われるべきである。
以下、後藤さんのパートナーの方の声明文(原文は英文)