ロシア料理店への相次ぐ嫌がらせは「ヘイトクライム」 それを放置することが絶対に許されない理由
ロシア料理店への相次ぐ嫌がらせ
ロシアのウクライナ侵攻から10日が過ぎた。この許しがたい暴挙について、世界中からロシアに対する激しい非難が続いている。
そんななか、Twitter上でこのような投稿があった。
当店で起きた悲しい出来事についてお話させていただきます。2月28日の夕方店舗の看板が壊され、割られてしまいました。ロシアの食品を扱っているという理由からでしょうか。・・・・お店と政治につながりはありません。私たちは日本とウクライナ、ロシア、その他の国々との懸け橋になりたいという気持ちで働いています。
これは、都内にあるロシア料理店が、その看板を何者かに破壊されるという被害を受けたことをツイートしたものである。そして、その店は実はロシア人ではなく、ウクライナ人が経営しているというから皮肉というほかない。
これだけではない。口コミ投稿サイトなどでは、全国のロシア料理店に対するあからさまな中傷や嫌がらせが多数書き込まれているという。それをTwitterで嘆いている投稿もある。
日本のロシア料理店が嫌がらせを受けてるって聞いて近所のロシア料理店のクチコミを見たら案の定だった…
こんなことをしても何の意味もないし、そもそもこのお店のオーナーは日本人でシェフはウクライナ人だったはず…
(元のツイートには、具体的な店名などがあったので、一部を改変した)
最初のツイートに対し、現時点で6万人以上が「いいね」を押し、2つ目のツイートにも2万件を超える「いいね」が押されている。そして、多くの人々が、こうした嫌がらせ行為を非難するコメントをしていることにほっとさせられる。
なかには、「ゆがんだ正義感によるものだ」と分析するツイートもあった。たしかに、剥き出しの悪意よりも、本人は「正義」だと思っているときのほうが、攻撃への心理的ハードルが下がることは事実であり、ゆがんだ正義感ほど始末に負えないものはない。
しかし、私はこのような卑劣な行為に対して、たとえ「ゆがんだ」という形容詞で限定しても、それを「正義感」だとは呼びたくもない。これは間違いなく卑劣な「ヘイトクライム」に過ぎないからだ。いくらロシアの暴挙が許せないとはいえ、ヘイトクライムは絶対に許されるものではない。
ヘイトクライムとは
ヘイトクライムとは、最もよく用いられるアメリカ連邦捜査局(FBI)の定義では、「人種、宗教、性的指向、民族などに基づく偏見の証拠が明らかである犯罪」とされている。しかし、ヘイトクライムの定義は難しく、FBIの定義にはジェンダーや心身の障害に対する偏見に基づくようなものは入っておらず、完全とはいえない。
したがって、ここでは対象を限定せずに、「特定の社会集団の一員であると認識されていることを理由に、個人に対して行われる犯罪」と定義しておきたい。ここで重要なのは、攻撃する側は、攻撃対象となる「個人」の具体的な特性には関心がなく、単に「その集団の一員であるとの認識」だけに基づいているということである。(1)
今回のロシア料理店への攻撃も、「ロシア」という表面的な認識だけでなされたものであり、「店主はウクライナ人だった」という個人的な特性は無視されている。また、仮に店主がロシア人であったとしても、本人は戦争反対の主張をしているかもしれない。しかし、攻撃する側はそのようなことはどうでもいいのだ。
これは何もめずらしいことではない。コロナ禍で頻発しているアジア人へのヘイトクライムも、相手が中国人かどうか、国籍はどうなのかなどはまったく考慮せずに、「アジア人」と一括りにして認識したうえで攻撃していることは、報道を見ると明らかであろう。
ヘイトクライムの害
ヘイトクライムは、一般犯罪よりも被害者に対して深刻なインパクトを与えることになりやすいというエビデンスがある。(2)
もちろん、どんな犯罪も被害者には想像以上の害を与え、それは決して軽視してはならない。
しかし、ヘイトクライムの場合、それは被害者が属するコミュニティやアイデンティティなどにも深刻なダメージを与え、被害を受けた後も長年にわたって、根本的な安全性や安心感を脅かし続けることになる。
また、その害は、攻撃を受けた個人だけでなく、その集団に属する他の人々にも同じように深刻な影響を与える。さらにヘイトクライムは、人間の尊厳、平等という人類の普遍的な価値への攻撃でもあり、社会全体に対しても大きな害を与えることになる。こうした理由から、ヘイトクライムには一般の犯罪よりも重い罰が与えられる国もある。(3)
わが国では、2016年に「ヘイトスピーチ解消法」が施行されたものの、それに罰則規定はない。川崎市などいくつかの自治体では、罰則付きの条例を定めているケースもあるが、それもまだごく少数である。日本では、まだまだヘイトクライムへの認識が不十分だと言わざるをえないだろう。
ヘイトクライムを行う加害者の心理
ヘイトクライムを行う加害者は、主に以下の4つの動機からその加害行為に至ると分析されている。(4)
1 興奮、スリル
2 脅かされた自分の利益を守る
3 劣等と認識する相手を排除する
4 悪と認識する相手に報復を加える
1は、マイノリティや社会的弱者など攻撃しやすい相手に対して、単に興奮やスリルを求めて攻撃を加えるというきわめて卑劣なタイプである。相手が少数者であったり、弱者であったりすると、反撃されるリスクがないため、標的にするのである。
2は、特定の社会集団によって、何らかの自分の利益が侵されていると感じたときに、その集団に属する相手に対して攻撃を加えるものである。コロナ禍のアジア人襲撃はこのタイプであると言えるだろう。
3は、自らが「劣等」だと認識する相手に対して、社会的な排除を企てる攻撃であり、ナチスによるユダヤ人虐殺などが典型的である。
4は、自らが「悪」であると認識した集団に罰を与える、あるいは報復するために攻撃するタイプである。
いずれの場合も、その根底には偏見や差別感情がある。そして、犯罪心理学で「中和の技術」と呼ばれる反社会的な認知が加害行動を後押しする。
中和の技術とは、「自分の行動には正当な理由がある。悪いのは相手のほうである」などと、半ば無意識的な認知的操作をすることによって、自らの罪悪感を「中和」し、加害行動を正当化するものである。
先述したように、ヘイトクライムは「ゆがんだ正義感」の発露である場合があり、今回の件でも、「戦争を行ったロシアが悪い。罰するべきだ」という「中和の技術」が用いられた可能性が大きい。
言うまでもなく、市井のいちロシア料理店に戦争の責任があるはずがない。あるいは、最悪の場合、加害者は単に誰でもいいから暴力を振るいたかっただけで、その口実として「ロシア」を使っただけかもしれない。
むしろ、このような卑劣な行動をやすやすと行ってしまえる人物に何らかの「正義感」を期待するほうがおかしいといえるだろう。実際は「単に暴力を振るいたい」などという反社会的な動機が根底にあって、後付けで口実を用いていると考えるほうが自然である。事実、ヘイトクライムを行うものは、それ以前にも様々な反社会的行為を行っていると言われている。(4)
このように考えると、今回のロシアヘイトは、4に当たる可能性があるが、1である可能性も排除できない。
ヘイトクライムを放置してはいけない理由
ヘイトクライムは、どんな些細なものであっても、決して放置しておいてはいけない。今回のケースも、被害を警察に届け出たということであるから、厳格に処罰されるべきである。
なぜヘイトクライムを放置してはいけないか、理由はたくさんある。まず、標的とされた被害者の被害の回復、安全の確保などのために、加害者を見つけ出し罰する必要があることは言うまでもない。
さらに、先述のように、ヘイトクライムは平等や尊厳といった普遍的な価値への攻撃でもあり、社会への害を最小限に抑える必要がある。われわれの社会は、差別や不平等、暴力などを許さないという確固とした態度を表明するために、ヘイトクライムを絶対に看過してはいけないのである。
ヘイトクライムを無視したり、擁護したりすることは、差別や不平等を蔓延させることにつながる。最初は些細な差別的言動が、エスカレートしていく例は、歴史を見ても枚挙に暇がない。
アメリカの研究者らは、学生を2つのグループに分け、一方の学生に「言論の自由を前面に押し出して、ヘイトスピーチを擁護するような主張」を聞かせ、他方には「ヘイトスピーチの害を強調し、ヘイトスピーチを規制するような主張」を聞かせた。その後、女性、性的少数者、黒人を標的にしたヘイトスピーチが書かれた文章を読んでもらい、そのヘイトスピーチがもたらす害の大きさなどを評定してもらった。すると、前もってヘイトスピーチを擁護する主張を聞かされたグループは、害の評定が有意に低いという結果となった。(5)
このような単純な実験で個人の価値観や態度への影響を確定的に示すことはできない。しかし、それでもやはりヘイトスピーチを擁護したり大目に見たりすることは、社会のメンバーに対して誤ったメッセージを送る危険性があることを示唆した結果といえるだろう。
ロシアのウクライナへの侵攻は絶対に許されるべきではない。戦争は最大の人権の蹂躙であり、「平和」という普遍的な価値を破壊するものだからである。
同様に、いくらロシアへの批判や反感を抱いたといっても、ヘイトクライムはどんなに小さなものでも絶対に見過ごしたり、容認したりしてはならない。これもまた、われわれが長い時間を費やして多大な犠牲のうえに獲得した平等や自由という価値を危険に晒すものだからである。
文献
(1) Saucier DA et al. J Int Violence 2008
(2) Herek GM et al. J Soc Issues 2002
(3) Cramer RJ et al. Anal Soc 2017
(4) McDevitt et al. J Soc Issues 2002
(5) Cowan et al. J Soc Issues 2002