朝日新聞「吉田調書」報道の功罪
時系列による事実整理
弁護士が事件の事実関係を整理するときは、とにかく起こったことを時系列にまとめます。そこで、朝日新聞の「福島フィフティーの真相」、大分合同新聞(共同通信配信)の記事「全電源喪失の記憶~証言福島第一原発~」を読み比べ、記載してある事実を時系列にしてみました。最後に添付しておきます。
まず、朝日新聞は吉田所長がテレビ会議でした「構内退避」の発言と吉田調書をもとに、9割の職員が第二原発(F2)へ退避したことを「命令違反」としています。
一方、共同通信は、記事作成時点で吉田調書を入手していないはずです。9割の職員が退避したこと、吉田所長のテレビ会議での発言は前提にしつつ、現場の職員の証言などを元に吉田所長の発言を「不可解な発言」とし、菅総理の「逃げられないぞ」発言を踏まえて、部下が第二原発へ逃げられるようにしたのだ、と結論づけています。
そして、この度公開された吉田調書そのもので、吉田所長は以下のように証言しています(読みやすく書式をいじっています)。
吉田所長は共同通信の記事の推測を明確に否定しているのが分かります。また、吉田所長が政府の聞き取りに対してこの点で嘘を言う動機も見当たりません(もちろんですが吉田調書の方が共同通信より先にできています)。吉田調書が早期に公開されていた場合、共同通信の記事が上記のようにならなかった可能性があると思います。
結局、共同通信の記事と吉田調書を前提にすれば、吉田所長は第一原発から余り遠くない(比較的短時間で帰ってこれる)場所への退避を想定していたのに、指示が現場に伝わる間に、確定的に福島第二原発へ退避すべし、との指示に変わってしまった、ということが言えるのではないでしょうか。
このように、少なくとも吉田所長の意図に反する退避が行われたことは事実であり、読売新聞もこの事実自体は認めるようです。読売新聞2014年8月30日「朝日の「命令違反・撤退」報道、吉田調書とズレ」をご参照ください。
そして、これを引き起こしたのは、混乱状況における言い間違い、聞き間違いや、判断力の低下、現実的な死の危険を前にしたバイアスなどでしょう。問題は、これを捉えて朝日新聞のように「命令違反」と言うべきかどうかですが、日本語で「命令違反」というと、故意に命令に不服従したニュアンスが強く、筆者は評価としては誤っていると思います。ただ、この評価の誤りという誤報が大きな問題だとも思いません。誤報について言えばNHKだって読売新聞だって身に覚えがあるだろうし、産経新聞なんて誤報や曲解のメッカでしょう。
何が問題なのか
この件で一番責任が重いのは、吉田調書をはじめとする関係者の聞き取り資料を隠蔽し、原発再稼働のために都合の良い報告書を作成した政府と、せっかく事故調査報告書を作成したのに根拠資料を不開示として国会図書館に死蔵している国会でしょう。朝日新聞の失敗はこの資料隠蔽に挑んだ結果であり、結果的に吉田調書の全面開示を勝ち取ったという意味では大きな成果をあげており、国民の知る権利の実現のために多いに奉仕したと言えるでしょう。この点は評価するべきだと思います。
そして、吉田調書が開示されたことで判明した重要なことは、命令下だろうが命令違反だろうが、最悪の事態に向けて対処すべき職員らが、最悪の事態を前に、混乱して指示すら行き渡らない状況で、退避しなければならない、という原子力発電所の性質が再確認されたことでしょう。電源喪失に陥ると、事態が次々に拡大し、混乱・焦燥の中で過酷事故にいたる点については先の大飯原発差し止め訴訟に関する福井地裁判決でも述べられていて、原発の運転が差し止められるべき理由になっています。
朝日新聞は、吉田調書を取り上げる上で、正面からその点を強調すべきだったと思います。それをせず、本質的でない「命令違反」に焦点を当ててセンセーショナルに報道しようとした姿勢に、筆者は大きな疑問を感じます。また、朝日新聞は、退避の後に被害が拡大していることにも言及していますが、3月15日朝6時の段階で2号機でも4号機でも爆発が起こっており、職員の退避とその後の被害拡大に因果関係があるのかについて何も検証されていません。誤報そのもの以上に問題なのは、朝日新聞のこういう報道姿勢なのです。
一方で、 読売新聞は朝日新聞の「命令違反」の点を
などと批判しました。これも焦点がぼけています。自衛隊員ではあるまいに、東京電力の職員には死に至る可能性がある業務命令を拒否する権利があります。2011年3月15日朝の段階で職員らが退避したことは、命令があろうがなかろうが正しい判断なのであり、残った作業員の奮闘に感謝こそすれ、安易な「名誉」とか美談にしてはいけません。それは「名誉の戦死」を賛美しながら強制することにも繋がる危険な風潮です。また、安倍首相にいたっては第一次安倍政権の時の2006年に福島第一原発に危険性は無いと言い切り(第一次安倍内閣の答弁書はこちらで読めます)、福島第一原発の災害対策を遅らせた張本人なので、吉田調書を今日まで隠してきた歴代政権以上に、この問題であれこれ言う資格はないでしょう。
筆者は、すでに述べた点も含めて、朝日新聞の報道姿勢が大っ嫌いなので、大分前に読者を辞めましたけどね。朝日憎しで本当に重要なことをぼかすのには反対です。