【京都市下京区】曹洞宗の開祖『道元禅師示寂の地』
道元禅師は、正治2年(1200)に京都で生まれ、比叡山で出家の後、建仁寺の栄西の門に入って禅を学び、貞応2年(1223)に入宋した。帰国後、建仁寺に足をとどめたが、その後、深草に興聖寺(後に宇治に移る)を建て、教化活動を続けた。晩年にいたって、権勢を逃れ、越前(福井県)の地に永平寺を創建し、釈迦正伝の仏法である坐禅の厳格な宗風を樹立した。建長5年(1253)、病の療養のために弟子懐奘を伴って上洛し、この地(下京区高辻通西洞院西入)にあった俗弟子覚念の屋敷に滞在し、同年8月に54歳の生涯を閉じた。
曹洞宗の開祖である道元禅師のことをご存知でしょうか?
道元は、正治2年(1200年)、京都の公卿・久我家(村上源氏)に生まれた。幼名は信子丸。両親については諸説あり、仏教学者・大久保道舟が提唱した説では、父は内大臣・源通親(久我通親または土御門通親とも称される)、母は太政大臣・松殿基房(藤原基房)の娘・藤原伊子で、京都・木幡の松殿山荘にて生まれたとされているが、根拠とされた面山瑞方による訂補本『建撕記』の記載の信用性に疑義も持たれており、上記説では養父とされていた源通親の子である大納言・堀川通具を実父とする説もある。四国地方には道元の出生に関して「稚児のころに藤原氏の馬宿に捨てられていたのを発見され、その泣き声が読経のように聞こえるので神童として保護された」との民間伝承もあるが、キリストや聖徳太子の出生にまつわる話と混同されて生じたものである可能性も示唆されている。伝記『建撕記』によれば、3歳で父(通親)を、8歳で母を失って、異母兄である堀川通具の養子になった。他には、両親の死後に母方の叔父である松殿師家(元摂政内大臣)から松殿家の養嗣子にしたいという話があったが、世の無常を感じ出家を志した道元が断ったと言う説もあり、逸話として「誘いを受けた道元が近くに咲いていた花を群がっていた虫ごとむしりとって食べ、無言のうちに申し出を拒否する意志を伝えた」とある。(wikiより)
以前に読んだ本の中で、曹洞宗や道元禅師に関して読み、昨今興味深く思っていると、突如、住宅街の一角に、鎌倉時代の僧・道元の終焉の地といわれる「道元禅師示寂の地(どうげんぜんしじじゃくのち)」の碑が立っているのを発見しました!
映画『禅 ZEN』(ぜん)は、2009年1月10日公開の日本映画であり、鎌倉時代初期の禅僧で曹洞宗の開祖である道元禅師の生涯を描いてます。大谷哲夫の小説『永平の風 道元の生涯』を原作とする角川映画です。映画では永平寺の禅堂で示寂されますが、実際には京都のこの地で亡くなったと言われてます。ちなみに原作『永平の風』では、道元禅師は京都で遷化されています。ご興味ありましたら是非!
道元禅師示寂の地
京都市下京区高辻通西洞院西入永養寺町