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日本のeスポーツ、流行らせる理論と危惧する感覚

平林久和株式会社インターラクト代表取締役/ゲームアナリスト
中国で行われたeスポーツ大会の光景(写真:ロイター/アフロ)

日本eスポーツ連合設立

 2月1日、コンピュータゲームの対戦競技「eスポーツ」を振興するための団体、日本eスポーツ連合(JeSU)の設立記者会見が東京都内で行われた。

 これまで日本国内のeスポーツ関連団体は、日本eスポーツ協会、e-sports促進機構、日本eスポーツ連盟の3団体が乱立していた。それらの団体が統合して結成されたのが、日本eスポーツ連合だ。あわせて新たに制定されたプロライセンス制度についての発表も行われた。この制度が整備されると、日本でも景品表示法など法規制にしばられずに高額賞金が払われる大会が開催できるようになる。

 一夜明けると、「欧米や中国・韓国と比べて『eスポーツ後進国』だった日本のゲーム産業が巻き返しをはかろうとしている」とマスメディアの漠然とした論評と、「なぜ、日本だけで人気があり、課金アイテムによって強さが変わる『パズル&ドラゴンズ』と『モンスターストライク』をeスポーツと認めたのか?」というネットからの酷評が聞こえてくる。

 今、eスポーツを巡って何が起きているのか。

 「主知主義」=知性・理性の働きを感情・意志よりも重視する。

 「主情主義」=感情・感覚の働きを知性・理性よりも重視する。

 平たく言うと理論と感覚に分けて筆者なりに分析してみたい。

すべてはオリンピックのために

 まずは理論の話である。

 この時期にeスポーツの新団体が設立されたわけだが、そこには理論的な背景がある。それはオリンピックに出場するためだ。

 今、ゲームはオリンピックの新種目になるのか、注目されている。2017年10月、スイス・ローザンヌで行われた五輪サミットでIOC(国際オリンピック協会)はeスポーツの五輪競技化に向けて、前向きに検討を行う旨を発表した。早ければ2024年のパリ大会からゲームがオリンピックの種目になるという。2022年に中国・杭州で開催されるスポーツイベント、アジア競技大会(アジアオリンピック評議会主催)ではすでに、eスポーツが公式メダル種目となることが発表されている。

 ゲームがオリンピックの新種目になる日は近い。そんな機運が盛り上がる中、政治家たちも動いた。超党派の国会議員によって構成されたオンラインゲーム議員連盟は2017年11月に「オンラインゲーム・eスポーツ議員連盟」に改称。同議員団は同12月に小池百合子・東京都知事と面会し、「2020年の東京オリンピック・パラリンピックで、eスポーツのエキシビション大会を開催してほしい」と訴える要望書を手渡している。

 オリンピックに出場するにはJOC(日本オリンピック委員会)への加盟が必要となる。JOCに加盟するためには種目別団体が統一していなくてはいけない。そこで、今般の統合となったのだ。2月1日の会見では「JOCへの加盟を急ぎ、8月にインドネシア・ジャカルタで開かれるアジア競技大会(エキシビション大会)への日本選手団派遣を目指している」旨が発表されている。このように、考え方の筋道は通っている。

あえて問う。ゲームはスポーツなのか?

 続いては感覚の話をしたい。

 オリンピックという強大な力を使って日本でもeスポーツを盛り上げようとする動きが一気に加速したわけだが、筆者はいくつかの疑問を抱いている。主催者のIOCは認めたのかもしれないが、そもそもゲームがオリンピック種目となることからして、違和感があるのだ。

●ゲームプレイは汗をかかない行為なのに、「スポーツ」と呼んでいいのだろうか? 汗をかかないスポーツもあるが、せめてビリヤードかダーツ程度に身体を動かさないと万人がスポーツと認めないのではないだろうか?

●ビデオゲームは将棋や囲碁やチェスのような頭脳ゲームに分類されてもおかしくない。あるいは、これら頭脳ゲームとビリヤードかダーツのような汗をかかないスポーツとの中間点が適宜な位置づけではないだろうか?

●オリンピックで最も重んじられるのはフェアプレイである。そのためオリンピックの競技種目は「誰のものでもない」という絶対条件があるのではないだろうか?

●あらゆるスポーツは誰かがルールを考えたが、普及するにつれて誰のものでもない公の存在になった。誰のものでもない=誰もルールを変更できないからこそ、平等な条件で競うことができるのではないだろうか?

●にもかかわらず、私企業が開発した著作物であり、いつでも改変可能なゲームをオリンピック種目にしてもよいのだろうか?

●ゲームに関する技術革新は目覚ましく、人々の好みも移ろいやすい。オリンピックには、紀元前の古代オリンピックから続く伝統的な種目もある。したがって近代オリンピックにおいても、新種目は未来も存続する普遍性が求められると思われる。ゲームはそれに適しているのだろうか?

 このような感覚的なひっかかりが多々あるものの、オリンピック公認種目のような権威が欲しい世界各国のeスポーツ関連企業と、ゲーム人気とスポンサー収入にあやかりたいIOCの思惑は一致。このままゲームはスポーツとして認められ、そのスポーツは将来、オリンピック種目になる流れが形成されている。

日本でeスポーツが流行しなかった理由

 ところで、日本ではeスポーツが今まで流行しなかった理由について述べておきたい。それはゲームの発達史と関わっている。

 eスポーツの原点は1980年代、アメリカで自然発生的に生まれたLANパーティとされる。LANはローカルエリアネットワークの略。つまり、ゲーム好きの複数人が所有するPCを誰かの家に持参して集結。それらPCをLANケーブルで直結してプレイをした。はじめは『Rogue(ローグ)』のようなロールプレイングゲームがよく遊ばれていた。90年代に入ると『DOOM』や『Quake』といった銃で撃ち合う3Dシューティングゲームが大ヒットして、LANパーティの愛好者が一気に増えた。この動向に目をつけたのが、半導体メーカーのIntelで大会のスポンサーとなった。すると、Intelのライバル企業であるAMDはゲーマーのプロ連盟をつくることを発案して、1997年にPGL(プロフェッショナル・ゲーマーズ・リーグ)を結成している。

 つまり、eスポーツの原点はアメリカだ。ヨーロッパもアジア諸国もアメリカの影響を受けやすいので、現在世界各国でのeスポーツの隆盛がある。

 しかし、日本はアメリカとは違う。どこの国とも異なる独特のゲーム文化があった。それはゲームセンターとファミコンに象徴される。日本ではゲーム好きが集まる場所として昔からゲームセンターがあった。また、ファミコンやスーパーファミコンが普及していたので、日本では伝統的にPCゲームのユーザーが少ない。要するにLANパーティをする必要がなかったし、eスポーツに適したPCに馴染みが薄かったのだ。さらに、eスポーツでよく登場するリアルなCGキャラクターと銃で撃つゲームが日本ではヒットしないことなども影響しているのだろう。

 かなり端折った解説だが、日本でeスポーツが流行しなかったのは、長年の時間が積み重ねられてきた「文化の違い」としか言いようがない。

 さて、そうした文化の違いがあるものの、ゲームがオリンピック種目となり、プロゲーマーが育成されれば日本でもeスポーツが盛んになるという理論を掲げているのが、日本eスポーツ連合の会見内容である。

 対して感覚的にとらえる人々はこの理論を認めずに「そんなことやっても日本でeスポーツは流行らない」と拒絶反応を起こしたり、「『パズル&ドラゴンズ』と『モンスターストライク』はeスポーツではない」とツッコミを入れたりしているのだ。

ゲームにふさわしいのはゲーム独自のワールドカップ

 日本でeスポーツが流行るための理論と、それを危惧する感覚が交差する、2018年2月2日である。そんな中、筆者は何を考えているか、最後にまとめる。

 まず、日本におけるeスポーツ以前の問題で、IOCは堕落したのだと思う。時代とともにオリンピックは変わり、商業主義になびくのはいたしかたないが、魂を売りすぎていると思う。ゲームがオリンピック種目としてふさわしくないと考える理由は、前述の通りである。身近な人がオリンピックで金メダルを取ることをまったく夢見ない。ゲーム業界人というよりは、地球に生まれた一人の人間として、オリンピックの歴史を汚すことを畏れる。したがって、eスポーツ関連団体が統合されたことは喜ばしいが、それがオリンピック目的になっているのであれば、日本eスポーツ連合にはいつか路線変更をしてほしいと願っている。他国と比べれば少ないとはいえ、日本のeスポーツ人口は年々増えてきている。自然体、成り行きに任せていてもファンの拡大は見込める。また、日本国内ではオリンピックやプロゲーマーを振りかざさないほうが栄えるユーザーコミュニティも多数存在する。

 ゲームは対戦するのはおもしろい。うまいプレイヤー同士の対戦を観戦するのもおもしろい。そんなテクニックが見られるイベントや、ネット中継はもっと増えてほしい。勝者に賞品や賞金が提供されるのも当然のことだと思う。ここまでは世界中のeスポーツ推進論者と理論的にも感覚的にもまったく一致している。

 ただし、筆者の見解はここから先が違っていて「スポーツ」と呼ばずに、ゲームの対戦イベントはゲームらしく、ゲームの名に誇りを持って「ゲーム大会」と呼ぶのが理想だと考える。「ゲーム大会」の名が地味すぎるならば、その年の人気ゲームだけが集結した「ゲーム日本選手権」や「ゲームワールドカップ」が開催されればいいのだ。

 最後は暴論のようだが、ゲームの対戦競技はやはり企業色が強いモータースポーツのように、オリンピックのような括りには含まれない独自路線を目指すのが、あるべき道だと考えている。

株式会社インターラクト代表取締役/ゲームアナリスト

1962年神奈川県出身。青山学院大学卒。ゲーム産業の黎明期に専門誌の創刊編集者として出版社(現・宝島社)に勤務。1991年にゲーム分野に特化したコンサルティング会社、株式会社インターラクトを設立。現在に至る。著書、『ゲームの大學(共著)』『ゲームの時事問題』など。2012年にゲーム的発想(Gamification)を企業に提供する合同会社ヘルプボタンを小霜和也、戸練直木両名と設立、同社代表を兼任。デジタルコンテンツ白書編集委員。日本ゲーム文化振興財団理事。俗論に流されず、本質を探り、未来を展望することをポリシーとしている。

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