金正恩政権は覚醒剤撲滅に成功するか 3月から大々的取締り開始 (1) あまりに深刻な薬物汚染
金正恩政権が、麻薬と覚醒剤などの違法薬物の蔓延に業を煮やし、かつてない強力な取締りを始めた模様だ。
北朝鮮で、覚醒剤などの違法薬物の蔓延が深刻であることは、これまで多くのメディアが報じてきた。
参考記事:「まるでタバコのように」生活に広がってしまった覚醒剤=「オルム」 上
1990年代まで、北朝鮮では国家的にケシを栽培し、麻薬を精製して外国に密輸、外貨を稼いできた。その後、国際的な非難と警戒が強くなったため、ケシ栽培から工場で製造できる覚醒剤に転換した。
筆者は取材の過程で、何度か北朝鮮と麻薬や覚醒剤との関わりに遭遇したことがある。一度目は1997年8月に中国人の団体と共に咸鏡北道の羅津(ラジン)を訪問した際のこと。乗っていたバスの車窓から大きなケシ畑を目撃した。同乗していた中国人のグループからはどよめきが上がった。
二度目は1999年に中国でインタビューした脱北者の証言だ。「勤めていた協同農場にケシ栽培をする作業班があった。年々縮小傾向だった」と語った。
三度目は2002年、中国朝鮮族の取材協力者に咸鏡北道の茂山(ムサン)郡に親戚訪問を名目にして現地調査に行ってもらった時のことだ。約二週間の滞在中、訪ねたいくつもの家で、「オルム」(氷の意)と呼ばれる覚醒剤を吸っており、彼自身も勧められた。覚醒剤が広く流行していることに衝撃を受けて帰ってきた。
まだある。90年後半から北朝鮮と中国を行き来して取材を手伝ってくれた北朝鮮の青年Aが覚醒剤の服用を始めたのだ。2004年のことである。
「『オルム』は中毒症状もないので体に悪くない。疲れがとれるので重宝している」
と言う。Aは、やめろという筆者の忠告を聞こうとしなかった。
Aと接触するのは、国境の川・豆満江沿いのある村だった。中国では麻薬・覚醒剤の所持や密売は厳罰だ。覚醒剤50グラムの密売は懲役15年上または死刑である。覚醒剤を扱っていると公安に誤解されるだけで、取材拠点にしていた村の協力者に多大な迷惑がかかるし、筆者自身もやばい。(覚醒剤密輸を図った日本人4人が2010年に死刑になっている)。
Aはオルムに対する罪悪感がほとんどなかった。目も少し虚ろだった。非常に優秀で仕事がでる男だっのだが、その時から関係を完全に切らざるを得なくなった。
北朝鮮国内で覚醒剤が蔓延するようになったのはなぜか。北朝鮮当局は、覚醒剤を中国への密輸を経由して世界に売りさばいていたが、中国を筆頭に、国際社会が圧力をかけた結果、2007年3月に、麻薬拡散防止のための代表的な三つの国際条約を批准するに至った。
2011年2月20日付の朝鮮中央通信は「中国公安部長が国境地域の安全を守ることを強調」と題した記事を配信した。中国の公安国境警備隊が、国境地域で麻薬事件2153件を調査・処理して2883名を逮捕、3トン828.75キロにも及ぶ大量の麻薬を押収した、と報じた。
北朝鮮の国営メディアが、中国当局の具体的な数字をあげて、自国の恥とも言える密輸の事実を認めるのは、極めて異例のことだった。中国から強烈な圧力があったのは間違いないだろう。
参考記事: 北メディアが載せた驚きの記事「中国が北朝鮮麻薬3トン超を大量押収」
このように、中国への密輸が困難になって国外でさばき切れなくなった覚醒剤がだぶつき、密売組織が国内に販路を見つける必要性が出てきたのだ。
実際、北朝鮮の覚醒剤の蔓延状況は極めて深刻で、富裕層中心に、タバコのように「一服しなさい」と気軽に勧めるほど「寛容」で罪悪意識が薄い。また「疲労に効く」と薬効を信じている人も多い。まるで、戦前戦後の日本の「ヒロポン」の流行を彷彿とさせる。
さて、北朝鮮政権の名誉のために言うと、覚醒剤などの不法薬物を、政府がまったく放置してきたわけではない。金正日政権の末期から中国への密輸はもちろん国内流通も取締りをしていた。だが、手ぬるい上に、前述したように覚醒剤の危険性を軽視し、罪悪感が希薄な社会風潮と、捕まっても賄賂で解決できるという「ローリスク」商売であることが、覚醒剤を蔓延させる大きな要因になっていた。
参考写真: 薬物蔓延の証拠写真 北朝鮮国内に掲示された布告文。「鎮静剤や睡眠剤を闇取引する者たちを厳罰に処する」とある。
だが、この3月に入ってから始まった集中取り締まりは、これまでとは水準の違う厳しいものになりそうだ。「覚醒剤の使用と密売で逮捕された者で拘置施設が一杯にになっている程だ」と、複数の北朝鮮内部の取材協力者が伝えてきている。しかも、取締りを主導しているのは、秘密警察組織の国家保衛省だという。金正恩政権が覚醒剤撲滅に本腰を入れたのは間違いない。次回は、その具体例を報告する。(続く)